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陸自「徒手格闘」死亡事件の内部調査に重大矛盾 頭部強打の回数減らし矮小化か

情報提供
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2年半の審理をへて証人尋問が行われたが、いまだ不可解な点が多い。上司や先輩隊員らが「覚えていない」を繰り返した証人尋問について、無念の思いを語る島袋英吉さんの遺族(写真上。2013年2月1日・札幌市)。島袋英吉さんが死亡した陸自真駒内駐屯地(写真下)。
 激しい脳の損傷に肋骨骨折、肝臓亀裂――陸上自衛隊真駒内駐屯地で2006年、新隊員の島袋英吉1士(享年20歳)が、「徒手格闘」訓練中に先輩から投げられて死亡した。その事件をめぐり、頭を強打した回数を少なくみせかけ、事故の矮小化がはかられた疑いが浮上した。陸自の内部調査によれば、頭を強打した回数は1回。だが、医師の診療録には「4回ほど強打した」と、食い違う記載がある。さらに2月1日に札幌地裁で行われた証人尋問でも、「1回説」と矛盾する証言が出た。息子は「沖縄出身」を理由にいじめられたのではないか、虐待ではなかったのか。遺族はそんな疑念を持ち続け「真相を知りたい」と訴える。
Digest
  • 証人尋問に現れた3人の自衛官
  • 隊長が救急車に同乗したか「記憶にない」
  • 救急隊員への説明状況もあいまい証言
  • A士長の重大証言
  • ずぶの初心者を10日で選手にする?
  • 8回の「倒して胴突き」
  • 不意の投げ返しに「受け身が取れた」 
  • 「受け身取れなかった」証言に慌てる国側
  • A士長の手紙に手掛かり
  • 「もつれて倒れて」頭部打撲
  • 「細かい話知らない」と隊長は他人事
  • 試合時間すら答えられなかった隊長
  • 払拭できない「いじめ」説

証人尋問に現れた3人の自衛官

本稿は「全身傷だらけ、肋骨骨折に脳血管破断―新兵を殺した陸自『格闘訓練』の恐怖」の続報である。

格闘訓練で死亡した島袋英吉1士の遺族が国を相手に起こした国家賠償請求訴訟(佐藤博文弁護団長)の証人尋問は、2月1日、札幌地裁805号法廷で行われた。証人として出廷したのは、訓練の教官だったF3曹、格闘の相手をしたA士長、そして部隊の長である輸送隊隊長の黒田耕太郎2佐の3人である。それぞれ島袋さんの上司や先輩にあたる。

証言に先立ち、3人は裁判官の前で宣誓をした。雛壇に座るのは石橋俊一(裁判長)・松本真・館洋一郎の各裁判官だ。

「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、何事もつけ加えないことを誓います」

声をそろえて宣誓する3人の姿を、父の勉さんら遺族は原告席からじっと見つめた。発生から6年を経たいまも事件は不可解な事実に満ちている。息子はなぜ死んだのか。目の前にいる3人こそが真相を知っているはずだった。

結論から言えば、この3証人が法廷で真相をすべて語ったとは到底信じがたい。事実が明らかになるというよりも、むしろ疑問が深まった。そのひとつが「頭を強打した回数」である。

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陸自11師団の調査報告では、格闘訓練中、島袋さんが頭を打ったのは1回とされる(上)。しかし病院の診療録には頭部打撲が「4回ほど」との記載がある(下)。誰が説明したものか真相は不明だ。

◇「強い頭部打撲4回ほど」と診療録に記載

島袋さんは「徒手格闘」の訓練中に先輩のA士長から投げられて頭を強打、意識不明となり、1日後に死亡した。死因は脳挫傷と急性硬膜下血腫・クモ膜下出血。事故が起きたのは2006年11月21日。入隊して1年半、20歳の若さだった。

徒手格闘とは、キックボクシングと柔道を合わせたような格闘技だ。テロ対策などを理由に5~6年前から自衛隊が導入した。強い殺傷力を持つ。

島袋さんが頭を打った回数は、陸自の内部調査によれば「1回」だとされる。ところが島袋さんが手当を受けた中村記念病院の診療録の6ページ目にこんな記載がある。

平成18年11月21日午後2時55分頃、自衛隊での格闘訓練中に後頭部を打撲。意識障害が出現し、自衛隊札幌病中央院に救急搬送。JSC200※、瞳孔散大、頭部CTにて急性硬膜下血腫および脳挫傷を認め、当院救急搬送(午後4時45分着)。

 後で聞いた話では強い頭部打撲を4回ほど繰り返した後で意識を失った。

※意識レベルの指標。JSC200は、意識不明で「痛み刺激で手足を動かしたり、顔をしかめたりする」状態」。

陸自の調査では「1回」のところが、診療録では「4回ほど」になっている。医師が誰かから聞き取った内容だろう。

では「4回ほど」と説明したのは誰か。現場にいたのは島袋1士、教官のF3曹、そして先輩A士長の3人だった。島袋さんとA士長が組手をやり、F3曹は脇で指導をしていた。つまり、「4回ほど」を知っているのはF氏とA氏の2人しかいない。説明をしたとすればこのどちらかだ。

隊長が救急車に同乗したか「記憶にない」

この「4回ほど」について、まずF3曹から尋問がなされた。救急車に同乗した場面から順を追って原告代理人がただす

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事故現場となった陸自真駒内駐屯地西体育館の2階部分。柔道場として設計された場所ではない。道場で通常導入される床の緩衝装置はなく、相当硬い床だったと思われる。死亡事故が起きた当時、島袋さんは防具(面以外)とグローブをつけていた。道着をつかんだり受け身を取るのは困難で、より危険が増した可能性がある(訴訟記録より)。

弁護団の実験による、大外刈りに対する「投げ返し」の状況。頭を下に背後から落下する恐れがあり、きわめて危険であることがわかった。島袋さんも投げ返したA士長も、投げ技や受け身については未熟だった(訴訟記録より)。

意識不明になった島袋さんは、まず自衛隊札幌中央病院(上)に搬送され、検査を経てから中村記念病院(下)に再搬送された。中村病院に着くまでに2時間を要した。自衛隊病院に高度な脳手術をする設備はない。なぜ直接中村病院に運ばなかったのか遺族は疑問を持っている。

島袋英吉さんは輸送隊でトランクの運転手をしていた。さっぽろ雪まつりの制作にも参加したという。証人尋問のあった翌日、札幌市内では真駒内駐屯地の隊員らが「伊勢神宮」をつくっていた(左)。東京ドームホテルではお披露目式があり、幹部自衛官が出入りしていた。

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