オリコンうがや訴訟4 小池社長を裁く綿引穣裁判長、「噂眞」「2ちゃん」に賠償命じた過去
東京地裁に傍聴券を求めて列ができた。定員42人に対して78人が並んだ(第1回口頭弁論2007年2月1日)。 |
2月13日(火)13時10分、東京地方裁判所709号法廷にて「オリコン裁判」がついに始まった。今回は傍聴券の抽選のある裁判となった。
オリコンに訴えられた烏賀陽弘道氏は2月7日に外国人記者クラブで講演、その翌日には司法記者クラブでオリコンへの反訴記者会見をした(詳しくは、オリコンうがや訴訟3 いよいよ反訴! アルバイトでもできる質問しかしないマスコミ記者たち)。この報道を見た東京地裁は、多数の傍聴人が来ることを予想し、傍聴券の発行を決めたのである。
◇42席の傍聴券を求めて並んだ78名
709号法廷の定員は42人。この42の席を求めて12時20分頃から東京地裁内にずらりと人が並んだ。MNJ編集部では、「オリコンうがや訴訟」を執筆してきた石井政之、司法や裁判官のあり方を取材する池添徳明、そして編集部の山中登志子の3人が傍聴券を求めて列に並んだ。
傍聴券を求める人はどんどん増えていく。「傍聴券のくじ運悪いし、もし3人とも傍聴券が取れなかったらどうしようね」と不安そうな山中に、「3人ともワン・ツー・スリー・フィニッシュで入れますよ」と自信満々の石井。
列には、テレビでおなじみのジャーナリスト江川紹子氏、烏賀陽氏のコメントを掲載した『サイゾー』揖斐憲編集長の顔も見える。傍聴に駆けつけた多くがフリーランスだ。まるでフリーランスジャーナリスト烏賀陽弘道の講演会を聴きに来た参加者の集まりのようである。
12時50分に傍聴整理券配布の締め切り。ついに傍聴券を求める人は78名になった。この法廷を傍聴できる可能性は約53%となった。パソコンでの抽選後、当選した番号が貼り出された。
「当たった、当たった!」
「25」「26」「60」の番号を見つけ、めでたく3人とも入廷が可能になった。
◇「日本の裁判手続きはディナーの予約をとるよう」
13時10分開廷。今回、烏賀陽氏は、オリコンによる「恫喝訴訟」あるいは「いじめ訴訟」について意見陳述を行なった(くわしくは画像参照:【07年2月13日第一回口頭弁論での烏賀陽の意見陳述】~オリコン訴訟は言論の自由の敵だ~)。
第1回口頭弁論での烏賀陽氏の意見陳述内容「オリコン訴訟は言論の自由の敵だ」。 |
意見陳述が終了すると、
「書面の提出期限は3月16日でいいですか?」
「次回の期日は4月3日では?」
烏賀陽氏側弁護士「午前はちょっと・・・」
双方の弁護士と裁判長が手帳を取り出して、スケジュールを確認しあっている。数分の話し合いの結果、次回の公判は4月3日(火)午後1時30分、同じく709号法廷となった。
初公判がこうして15分で終わった。
閉廷して、裁判官が後のドアから退室していく。傍聴人らが席を立って、廊下に出ようとしたとき、傍聴券を獲得して傍聴できた外国人ジャーナリストが、廊下で待ち受けていたイタリア人ジャーナリストと立ち話を始めた。
「日本の裁判の手続きは、ディナーの予約をとるように、次の裁判の手続きを決める。アンビリーバブル!」
日本のほとんどの裁判は、傍聴人にわかるような対話がないまま進行していく。弁護士と裁判官にしかわからない法律用語だけで裁判が行なわれるのである。
今回、烏賀陽氏が第1回口頭弁論での意見陳述ができたのは、烏賀陽氏側の希望があったからだ。もし希望しなければ、書面をやりとりして手続きは終了。そして、裁判官と双方の弁護士による「ディナーの予約」で終わっていた。
◇裁判官にも「当たり外れ」がある
さて、この東京地裁民事12部の綿引穣裁判長はどういう人なのか。
東京地裁民事12部の綿引穣裁判長。東京都出身54歳。中央大学法学部で法律を学び、1977年に25歳で司法試験に合格。2003年4月に東京高裁判事に異動し、2006年4月から現職。 妻の綿引万里子氏は「有名裁判官」の一人。東京高裁民事5部の判事。 (似顔絵画:池添徳明)。 |
烏賀陽氏の代理人の弁護士は、綿引穣裁判長について、「あたらず触らずといった感じの温厚な裁判長だ。妻(同じく裁判官である綿引万里子氏=後述)ほど鋭くはないが、悪い裁判官ではない。今日の意見陳述についても、最初は戸惑っていたがこちらの要望を聞き入れて許可してくれた。意見はきちんと聞いてくれる」と評価した。
「憲法と法律と良心のみに従って、独立して公正に判断する」
裁判官という職業に対して、そんなイメージを抱いている人は多いだろう。たとえば中学校で三権分立について学習する中で、そのように教わった記憶がある人は大勢いるに違いない。
しかし実際には、「憲法と法律と良心のみに従って、独立して公正に判断」している裁判官がどれほどいるかと言うと、かなり疑問だ。「これってちょっとおかしいんじゃないか」と思わざるを得ないような判決に出くわすことも少なくない。
一人一人の裁判官の人間性や憲法に対する姿勢、人権感覚によって、判断には大きな差が出てくる。裁判官には「当たり外れ」があるのだ。
◇「裁判官Who's Who」オリコン裁判の綿引穣裁判長を考察
裁判官による判断の違いは、国や自治体を相手にする行政訴訟、住民訴訟、労働・公安事件、刑事事件などで顕著になってくる。裁判官の人間性までもが問われることになるからだろう。
たとえば、国や行政や企業に対する市民の異議申し立てには最初から耳を貸さないとか、捜査機関の言い分を鵜呑みにして、推定無罪の原則や刑事訴訟法の手続きを平然と無視するなど、そんな裁判官に審理を担当されたら当事者はたまったものではない。
裁判官には、憲法と法律を厳守し、当事者や代理人が提起した疑問点・論点に対して、すべてきちんと答えることが求められる。事件に誠実に向き合って説得力ある説明をすれば、仮に不本意な判決が出たとしても、当事者はそれなりに納得するだろう。
そうした問題意識に基づいて出したのが、2002年4月に『裁判官Who’s Who (東京地裁・高裁編)』(編著・池添徳明+刊行委員会、現代人文社)という本だ。
東京地裁と東京高裁の部総括判事(合議で審理する法廷のいわゆる裁判長)全員の経歴、主な判決、訴訟指揮などの評価について取材し、似顔絵入りで1冊にまとめたのである。
「それまで遠い存在だった裁判官の表情や姿勢の一端が見えてきた」「裁判官の経歴や評判を一覧できる情報がほとんどなかったので意義ある試みだ」などと、法曹関係者だけでなく一般市民からも、この本には高い評価をいただいた。
また、「いろんな裁判官がいることがわかって興味深い」「読み物としても面白かった」という感想は、裁判や裁判官に関心を持ってもらうことが目的の一つでもあったので、取材・執筆者としてとても励みになるものだった。
2004年12月には、少し取材エリアを広げて東京地裁・高裁に加え、横浜・千葉・さいたま地裁の首都圏4都県の裁判所を対象とした『裁判官Who’s Who (首都圏編)』(同)を出版した。
というわけで、「裁判官Who's Who」のこれまでの取材で蓄積した情報を加えながら、オリコン訴訟の審理を担当する綿引穣裁判長とはどのような人物なのかを、これから考察していきたい。
◇地味だが「窓際」ではない裁判官
東京地裁民事12部の綿引穣裁判長は、東京都出身の54歳。中央大学法学部で法律を学び、1977年に25歳で司法試験に合格した。
司法修習生として東京で実務修習後、裁判官に任官。1980年4月に浦和地裁(現在のさいたま地裁)の判事補に着任したのを振り出しに、裁判官生活をスタートさせている。
その後、名古屋地家裁、横浜地家裁横須賀支部、大阪地裁の各判事補を務め、1990年4月に大阪地裁判事に就任。さらに転勤を重ね、東京地裁、東京地家裁八王子支部を経て、2000年4月に那覇地家裁の部総括判事となった。2003年4月に東京高裁判事に異動し、2006年4月から現職である。
こうした経歴を見てみると、地味ではあるし「超エリート」とは言えないかもしれないが、いずれも大都市の裁判所を回っていることから、決して「窓際」ではない処遇をされている裁判官であることは確かだろう。
しかし、綿引穣裁判官に対する弁護士たちの印象は必ずしも強くない。
「誰だ? 知らないなあ」「綿引万里子さんなら知っているけど、旦那ですか?」という声に代表されるように、弁護士たちの記憶にはほとんど残っていないのだ。むしろ、妻の万里子氏の方がはるかに法曹界では知られている。
◇妻の綿引万里子氏は「切れ者」のエリート裁判官
綿引万里子氏は、強烈な存在感を示している「有名裁判官」の一人だ。東京都出身の51歳で、夫の穣氏と同じ中央大学法学部で学んだ。
司法試験に合格したのも夫と同じ1977年。東京で実務修習後、東京地裁、岐阜地家裁、再び東京地裁でそれぞれ判事補として経験を積み、1986年には最高裁行政局付となる。その後、東京地裁判事補、大阪地裁判事補、最高裁調査官を経て、1997年4月に東京地裁判事に就任し、2001年4月には東京地裁の部総括判事。2005年3月に司法研修所教官へ異動になり、2006年10月から東京高裁民事5部の判事を務めている。
東京と大阪を主に異動で回り、最高裁調査官や司法研修所教官を経験するなど、華々しい経歴の持ち主だ。まさに「エリート裁判官」そのものの道を歩んでいる。
それだけではない。大阪地裁で「豊田商事事件」の国家賠償請求訴訟の審理を担当した際は、国の責任を認めさせる決定的な証言を補充尋問で引き出し、東京地裁では裁判長として、住民基本台帳ネットワーク差し止め訴訟に誠実に取り組むなど、裁判官としてのセンスや采配への評価は高い(ただしどちらの場合も結審する直前に異動となって、「国の責任は認められない」とする判決が出ている)。
「訴訟指揮がてきぱきとしている」「とても優秀な人だと思った」「判断は的確で、関係者の言い分をきちんと取り上げようとしている」「法廷に緊張感がある」といった感想が、弁護士から数多く返ってくる。
◇父も裁判官、慎重に審理をすすめるタイプ
このような万里子氏への評価と比べて、穣氏の評判は今ひとつパッとしない。
父親も裁判官で、東京高裁で裁判長を務めていたという裁判官一家だけあって、学生時代からまじめな勉強家タイプだったのだろう。
だが、穣氏をよく知る同期の弁護士の一人は、「人権問題については、どちらかというと保守的な人という印象があります。あまり強い関心は示さなかった」と振り返る。
「裁判官としては、まじめに慎重に審理を進めるタイプだと思います。典型的な職業裁判官でしょう」
◇スーパーフリー事件で2ちゃん、噂の眞相らに名誉毀損判決
それでは綿引穣裁判長は、これまでにどんな判決を言い渡しているのだろうか。主な判決には次のようなものがある。
【ごみ最終処分場/建設禁止の仮処分】(2001年10月3日、那覇地裁決定) 沖縄県国頭村が村有地に計画したごみ最終処分場の建設をめぐって、座り込みを続けていた住民の入会権を認め、建設禁止を命じる仮処分を決定した。 【米軍基地「不法占拠」/地主主張を一部認める】(2001年11月30日、那覇地裁判決) 沖縄県内の反戦地主が、駐留軍用地特別措置法(特措法)は財産権を保障した憲法に違反するとして、国に1億円余の損害賠償を求めた訴訟で、国の暫定使用権を認めて憲法違反ではないとする一方、知事の代理署名拒否で使用期限が切れた楚辺通信所(像のオリ)については、国の不法占拠を認めた。 【読売の渡辺会長めぐる記事/文春側に賠償命令】(2006年10月31日、東京地裁判決) 『週刊文春』が「国税当局が読売グループの渡辺恒雄会長の個人資産に関心を示している」と報じた記事で名誉を傷つけられたとして、渡辺会長が文芸春秋と編集者に1千万円の慰謝料を求めた訴訟で、文芸春秋側に200万円の支払いと謝罪広告掲載を命じた。「真実と信じる相当な理由が認められない」などと判断した。 【月刊誌や掲示板の名誉毀損認める/投稿者情報の開示も命令】(2006年11月7日、東京地裁判決) イベントサークル「スーパーフリー」の集団暴行事件に関係があるかのような記事や、プライバシーを侵害する書き込みで名誉を傷つけられたとして、大手広告会社員の男性が、メールマガジン「サイバッチ」、月刊『噂の眞相』、インターネット掲示板「2ちゃんねる」に各330万円の損害賠償を求めた訴訟で、 この先は会員限定です。 会員の方は下記よりログインいただくとお読みいただけます。
閉廷後、弁護士会館1Fロビーで開かれた烏賀陽氏と担当弁護士による説明会(ブリーフィング)には、約40人のジャーナリストたちが集った。 公式SNSはこちら
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読者コメント
裁判官によって判決が大きく変わってしまう?けっこう怖いことですね。
裁判は、どこになるかで判決が決まる、当たりはずれがあるなんて、こまった話ですね。オリコン裁判、ちまたでも注目されています。今度、似顔絵に似ているか裁判官を見に行こう。
記者からの追加情報
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■オリコン訴訟の詳細は、うがやジャーナル
■第2回口頭弁論期日:2007年4月3日(火)午後1時30分~。東京地裁709号法廷。