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シュリーマン型キャリアモデル

情報提供
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これ見に来てるわけじゃないんだけどブツはこのくらいしかない
 10日も滞在しているとイスタンブルも飽きてきたので、チャナッカレという街の近くにあるトロイ遺跡へ行くことにした。イスタンブル→チャナッカレが飛行機で1時間、チャナッカレ→トロイが、バスで1時間。長時間の移動は苦手なのだが、このくらいならノープロブレムだ。
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  • 複線型のキャリア設計
  • 霊能者じゃあるまいし
  • ボられてた


@チャナッカレ(トルコ)2009.7

チャナッカレ中心部のオトガル(バスターミナル)に行き、トロイ行きのバスを尋ねた。すると、「ここじゃない、ブリッジへ行け」という。どうやら橋のある河原が、トロイ行きバスの出発地点らしい。

500メートルほど歩き、ブリッジへ。人に聞いて回って、やっと見つけた。トロイ行きのマイクロバスは、20人乗りくらいで、ちょうど橋の真下に停まっていた。こんなの、地元民じゃなきゃ分かるかよ、という場所だ。けっこう有名な遺跡の割に、交通がしょぼいな、と思った。

 30分後くらいにバスは出発。途中、思い思いの場所で人が降りていく。バス停があるわけでもないのだが、運転手に告げると適当な場所で降ろしてくれる仕組みらしい。なるほど合理的だ。昔乗った南米・ボリビアのバスもそういう仕組みだった(→ 拷問バス )。

「ここだ」と運転手に合図されて降りた。トロイを目指す客は、ほかに2人しかおらず、要するにこのバスは、地元民の足だった。ではトロイに来る旅行者はどうやってここまで来るのかというと、それはすぐに分かった。トロイ遺跡前の駐車場には、メルセデス製の大型観光バスが、4台停まっていた。個人ではなく、ツアー客ご一行様としてやってくるのだ。

団体ツアー客は、韓国人と日本人だった。ヨーロッパ人は、自分らの車で来ている。陸続きだから、ヨーロッパから車でやってくるのだろうか。

遺跡内に入ると、日本語がうまいトルコ人ガイドが、「次のトイレ休憩は1時間45分後で~す!」と叫んで誘導していた。

複線型のキャリア設計

「トロイの木馬」「アキレス腱」という日常的に日本で使われる言葉の元となった話が、ホメロスが「イリアス」に描いたトロイ戦争である。この話は、学校の「世界史」で学んだ話のなかでも、私のなかで妙に覚えがよかった。以下、有名な話なので簡単に紹介する。イリアスは、ホメロスという詩人が紀元前9世紀ごろに作った物語であり、話自体は、オリンポスの神々が出てきて英雄たちが戦う小説である。

トロイ戦争では、ギリシャがトロイに攻め込む。ギリシャの猛将アキレウスと、トロイの総大将ヘクトールの一騎打ちが始まる。アキレウスは不死身の強さを誇り、ヘクトールを突き刺す。だが、アキレウスは、唯一の弱点であるアキレス腱を、トロイの王子パリスによって弓矢で射られ死ぬ。

 ギリシャ軍で代わって指揮をとったオデュッセウスは、奇襲作戦を思いつく。アテネの神に捧げた木馬を残して、トロイからの撤退を装う。木馬に潜んでいたギリシャ兵士は抜け出して門を開け、松明の合図で、港に待機していたギリシャ軍が奇襲攻撃を開始、トロイは滅亡する。
--以上、『イスタンブールを愛した人々』(中公新書)より要約

この話は叙事詩、つまり作り話だが、フィクションは、ノンフィクションを元に作られることも多い。

ドイツの実業家であるシュリーマンは、子供のころから父親に聞かされたトロイ戦争の物語を、史実にもとづくものであると確信していた。ロシアのサンクトペテルブルクで財をなし、実業家として成功したシュリーマンは、1870年、48歳のとき、実業界を引退して、トロイ遺跡の発掘に乗り出す。

シュリーマンは、イリアスの精密な解読にもとづき、海に近いヒサルルックの丘こそが、かつて栄えたトロイであると結論づけた。そして、1871年から73年にかけて、1日平均約150名の人夫を使って、発掘調査を行ったという。

そして、トロイの実在を、発掘によって証明した。晩年はアテネに住み、亡くなった際、ギリシャは国葬をもって業績を讃えた。シュリーマンは自らの夢を実現させ、歴史に名を残した。

シュリーマンは、トロイ遺跡発掘という「やりたいこと」の実現のため、48歳までカネを貯めた。発掘にはカネがかかるからだ。もちろんその間も情熱を失わず、文献の精密な解読などは進めていたから、引退の翌年から発掘に着手できている。この、複線型のキャリア設計は、1つの理想型として、参考になるだろう。

霊能者じゃあるまいし

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発掘跡。周辺は田園風景が広がる

さて、そのシュリーマンが発掘に没頭したトロイ遺跡の現場である。肝心の遺跡はというと、見えるのは、レンガと石ばかり。確かに第8層まで印はついているものの、素人には普通の地層と何が違うのか、区別がつくはずもない。

遺跡自体、大きくないし、出土した品はすべて博物館にいっていて、現地には何も残されていない。あまりに何もなさすぎて申し訳ないと思ったのか、遺跡の出入り口に大きな木馬のモニュメントが立てられていたほどだ。そこでは、観光客が記念撮影に勤しんでいた。

立花隆は42歳のときに、約40日をかけてギリシア、トルコを取材旅行している。今回、旅の合間にその記録本である『エーゲ 永遠回帰の海』を読んでいた。そのなかに、こんなくだりがある。

 この地を旅する者は、空間を超えて旅すると同時に時間を超えて旅しなければならない。クレタ文明、ミノア文明などは、いまから四千年、五千年前にさかのぼる一方、東ローマ帝国の遺跡などには、まだ千年もたっていないものがある。時間差数千年の歴史が隣り合っていたり、あるいは同じところに積み重なっていたりする。典型的な例が、シュリーマンの発掘したトロイの遺跡である。ここには9層の遺跡が積み重なっていた。一番古いトロイⅠは紀元前3千年のもの、一番新しいトロイⅣはローマ時代のものである。うちトロイⅦAがホメロスが「イリアス」にうたったトロイ戦争のトロイだと推定されている。しかし、その他の8層のトロイがいかなる都市であったかは、やはり歴史の深淵の中に没している。

見れば、この周辺は田園風景が広がっているのだが、1千年単位の流れのなかでそうなったのであって、かつてはもっと海が近かった。地形まで変わっているのだ。この、のどかな場所に、一千年単位で異なる都市の歴史が詰まっているのかと思うと、歴史のロマンはあるが、普通の人の想像力の限界を超えている。

 この本で、立花隆はこう述べている。

「遺跡を鑑賞するとき、黙ったまま最低2時間くらいは、そこにたたずんでみるといい。数千年の時の流れという観念が、圧倒的に押し寄せてくる」

そこで私も、遺跡内のベンチに座って、9つの層を前に、たたずんでみた。だが、私は哲学者ではない。観念とかいうものは押し寄せてこない。そもそもインプットした知識以外のものが、人間の頭に、どう浮かぶというのか。どんどん浮かんで見えてくるとしたら霊能力者だし、普通の人にとっては単なる空想や思い込みだろう。私には、立花氏のような霊能力はないようだ。

私が現地で実際に思ったのは、遺跡よりもむしろ、シュリーマンの執念深さ、そして、夢を信じることの大切さ、である。このような何もない草原にあたりをつけて、自分が稼いだ大金を投じて何年も発掘を進め、ついには仮説を実証してしまう。好きなことは続けることが苦にならないから、成功するまで続けられるのだ。

古代ギリシャへのあこがれから、発掘前の1869年、当時17歳のギリシャ女性ソフィアと再婚までしている。そのときシュリーマンは47歳だ。この、人並み外れた情熱や行動力が、偉業を成し遂げることにつながるのだ、と思わずにはいられない。

ボられてた

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ベンチで寝てるネコのほうが見所がある

さて、遺跡内は殺風景で、もちろん売店などもない。炎天下、1時間以上歩くと、さすがに脱水症状になってくる。

遺跡を出て、しばらく歩くと、来るときに降ろされた場所に土産物屋が並んでいる。そこからさらに100メートルほど歩くと、飲み物を売っている売店があった。ジュースとミネラルウォーターを5本買って、飲み干す。よほど水分が不足していたようだ。

一息ついて、さて、帰りのバスに乗らなければならない。だが、どこがバス停なのか?売店のオーナーらしきおじさんに尋ねる。

 「バスはどこに来る?どこで待ってればいいのか?」

「バスストップは、ウチだ。ここ。まあ座れ」

 田舎だから、適当なんだろうか。とりあえず待つことにした。

そして、いつもの質疑応答。

「どっからきた」「仕事か」「仕事はなんだ」「どこにいった」「いつまでいる」…。

 しばらくすると、郵便(P.T.T.)の車がやってきた。

オーナーがポストの鍵を明けて、ハガキを取り出し、回収にきた人に渡している。

この地では郵便物を、店のオーナーが管理しているのだった。

 「ほんとに、ここで待ってればOKなの?」

「そうだ。最終便が5時にくる」

 「どれが目印?」
 「ここでいいんだ。おれは昨日遅かったので眠い。昼寝してくる」

そんなことを言って、店に入って行ってしまった。

行きも、どことなく人が降りていったから、帰りもどことなくやってきて拾ってくれるのだろうか。

それにしても、ほかに誰もバスを待っていると思われる人は見あたらない。

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これがバス停だということが、最後に分かった
 しばらくして、オーナーがやってきた。
 「もうすぐだ。あそこで待ってろ」
 指さした先には、確かにベンチがあった。

ああ、あれが停留所なのか。

ほかに2人ほど、そこに向かって人が歩いてきていた。少し安心だ。

バスはちゃんとやってきて、チャナッカレの中心部にあるオトガルへ走り始めた。今度は、橋ゲタではなかった。

帰りの運賃は、5リラ。どうやら、行きに10リラ札を出してお釣りがなかったのは、ボラれたということらしい。

金額表示などはどこにもないので、地元民でないと分かりようがないのだ。

 数千年の時の流れという観念よりも、むしろ、ボられてちょっと不愉快な気分になった現世的な記憶のほうが、私のなかには残っている。人間とは、そういうものである。

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