原田信助はなぜ命を絶ったのか―6 新宿署が設置した特命捜査本部は“国賠訴訟対策本部”の疑惑
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原田信助さんが亡くなって3年経った2012年12月11日、東京都内で法要が行われた |
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- 犯人は水色無地シャツ、信助さんはピンクの縞模様シャツ
- 自己保身のための証拠作りか
- 事件発生時刻も発生場所にも疑問
- 裁判対策本部=特命捜査本部か
- 警察庁と警視庁が表に出てこない意味
犯人は水色無地シャツ、信助さんはピンクの縞模様シャツ
事件が起きた夜半に取り調べ、「痴漢の事実がなく相互暴行として後日地域課呼び出しとした」「乙が現認した被疑者の服装と甲との服装が別であることが判明」と警察は当日の「110番情報メモ」に記録して、翌未明に信助さんを釈放した。
事件から2日後の09年12月13日の新宿署による「取扱い状況報告」では、服装に関して、こうなっている。
《V(筆者注:被害を受けたとされる女性)に何度も原田を犯人と認めた理由について確認するも(中略)たぶん水色の無地のワイシャツの人だった。と説明し、ワイシャツの柄については絶対に間違いないと申し立てたが、原田が着ていたワイシャツはピンク色の縞模様であり、Vの供述とは異なった》
当日に痴漢容疑は晴れたことを警察が本人に告げていれば、悲劇は起きなかっただろう。まして、痴漢という不名誉が即日晴れており、残るのは、勘違いした(あるいは因縁をつけられたことによる)女性の連れとの間で起きた暴行事件を解決するのみで、後日に双方が警察の呼び出しに応じ、事を進めていけばよい。双方にとって致命的でもないし、まして、自ら死を選ぶような事件ではなかった。
2009年12月10日午後11時ごろ、念願かなって転職した職場の歓迎会からの帰宅途中、原田信助さんがJR新宿駅の階段を登り始めたところ、直前にすれ違った女子大生が「いまお腹を触られた」と言い、連れの男子大学生2人は信助さんを背後から突き落とし暴行した。
信助さんは携帯で110番通報し、かけつけた警察官によって交番に連れて行かれ1時間半聴取、さらに新宿警察署に任意同行された。暴行事件の被害者として話を聞いて貰えると思ったら、痴漢事件の被疑者としての取り調べが数時間に渡って行われたのである。
女子大生の証言と信助さんの服装が違うことなどから、「痴漢の事実がなく相互暴行として後日呼び出しとした」「乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であると判明」と新宿署は「110番情報メモ」記録し帰宅を許した。
信助さんは、新宿署を出て地下鉄東西線の早稲田駅に向かい、列車に飛び込み死亡した。事件直後には、被害者とされる女性の被害届も供述調書もなく、信助さん本人の自白調書もなかったのに、警察は急遽調書を作り、彼の死後の2010年1月29日、痴漢容疑(東京都迷惑防止条例違反)で検察庁へ書類送検(本人死亡のため不起訴)した。
母親の原田尚美さんは2011年4月26日、東京都(警視庁)を相手取り、1000万円の国家賠償請求訴訟を提起した。
○原田信介さんの国賠を支援する会○母親の原田尚美さんのブログ「目撃者を探しています!!」
○ツイッター@harada1210
嫌疑が晴れたことを告げなかっただけでも警察に重大な非があると思われるが、そればかりか、警察や検察が取り調べもできず起訴もできないのに、本人が死亡した後に、急遽“特命捜査本部”なるものを新宿署が設置したというのだ。
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事件当日の警察の記録。「痴漢の事実がない」ことはすぐに判明した。別の警察文書によると、犯人は水色の無地シャツを着ていて間違いないと女性は強調。信助さんはピンクの縞模様シャツだった。![]() |
その“特命捜査本部”が、再現実況検分調書、当該女性の被害届(事件当時は女性は被害届を出していない)と連れ男性の複数回に渡る供述調書、JR駅員の供述調書など多数の書類を作成し、事件が起きて一月半が過ぎた11年1月29日に検察庁に送致したのである。
前述した、警察自ら作成した「110番情報メモ」や「取扱い状況報告」は、どうなったのか。ともかく、信助さんの死後に作られた“特命捜査本部”は、「新宿署・痴漢冤罪暴行自殺事件」の真相を解明するキーワードになる。
“特命捜査本部”が突如浮上したのは、原告代理人が要求した「警察が検察に送った記録の一切を提出せよ」に応えて検察が、写真資料を含むA4判300枚近い文書を出したこと。そのなかで明らかになった。原田さんの代理人・清水勉弁護士は言う。
「ふつう、警察相手の裁判では、警察と検察は一体となり、なかなか文書を出さないが、本件ではかなりの文書を出してきました。新宿警察署の不手際に巻き込まれたくない、との検察の思惑が感じられるし、警察としては、当事者が亡くなっている事件に関して作成した文書類が、まさか法廷の場でさらされることはない、という前提のもとに作成されています。
死者にむち打つような内容ですが、いずれ具体的に反論し、すべてを公開しようと思います」
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送致書。新宿警察署は、信助さんは無実である判断を下した。にもかかわらず、母親が真相究明に乗り出したのを察知し、信助さんの死後に”特命捜査本部”を設置し、検察に記録を送った。被疑者死亡のため不起訴。![]() |
自己保身のための証拠作りか
警察が検察に送った文書の中に、「捜査報告書」がある。ここには事件の経緯が書かれ、母親の原田尚美さんが新宿署に連絡し、息子の死の真相をさぐるため、問い合わせしていることが示されている。(この時点で、暴行され、痴漢の疑いをかけられていたことを母親は知らなかった)
「捜査報告書」には、次のように書かれている。
《(原田さんからの質問などを受け、)「よって、本事案の全容解明を図るため、痴漢及び相互暴行の各罪を視野に入れた上、平成21年12月14日、当署生活安全課及び刑事課からなる、署長指揮による特命捜査本部を設置し、捜査を実施した」》
これだけを読むと、母親の必死の思いを汲んで特別の捜査体制をしいたと好意的に捉えられるかもしれない。だが、これまでの経緯や送致した刑事記録類などを総合的に判断すると、
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息子・信助さんが亡くなってちょうど3年経った2012年12月11日。JR新宿駅の暴行現場で献花する母親の原田尚美さん。
信助さんの死後に設置された「特命捜査本部」とはいかなるものか。それを聞くために原告弁護団が出した求釈明書。文書の後半で特別捜査本部と表記されているが、特命のことと思われる。
最初は答えなかった被告・警視庁(東京都)は、裁判長に書面で出すように言われて準備書面4を提出した。原告の原田さん側から出された求釈明書に答えていない。
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『ふつう、警察相手の裁判では、警察と検察は一体となり、なかなか文書を出さないが』
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読者コメント
警察官の横暴や検察の無法、裁判所の怠慢は目に余るものがあります。そうなったのは、警察や司法を監視する有効な仕組みがないからです。司法改革の国民運動が必要だと思います。
信じられない話はこの世にいくつもあるが、この事件で警察がやったことは、「ここまでするのか」というレベルである。あともう少しで全容が判明するだろう。裁判所がきちんと認定するかはわからないが、少なくとも世論が監視していかなければならないと思う。
林 克明氏には、一昨年よりご取材をいただいて、マイニュースジャパンに6度目の記事を御登載頂きました。本当に有難く御礼申し上げます。明日からは2013年となりますが、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。
記者からの追加情報
日時:2013年1月19日(土)13:40受付開始、14:00開始、16時20分終了
場所:喫茶ルノアール「マイスペース 新宿区役所横店」6号室。先着41名
東京都新宿区歌舞伎町1丁目3−5 相模観光ビルイーストプラザ 1F
03-3209-6175
地図
料金 500円(会員無料)プラス飲物
主催:草の実アカデミー
■次回 第10回口頭弁論 2013年3月5日11時30分 東京地裁709号法廷
本文:全約5800字のうち約3500字が
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