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マーケットフレンドリーの逆説――「文化帝国主義」再考

情報提供
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ホーチミン中心地。後ろはGAPやリーバイスはじめ、下層階に欧米ブランドショップが入る「Vincom Center」。

先月(2016年3月)、ホーチミンを久しぶりに訪れた。ベトナムには21年前の1995年夏に初めて旅して、初めてのアジアだったため、かなりのカルチャーショックを受け(ハノイとホーチミン)、ホーチミンには20代の後半に一度、ゼミの先輩を訪ねて友人と行った記憶があり、ハノイには2009年3月に10日間ほど訪れた。7年ぶり4回目のベトナムである。

@ホーチミン(ベトナム)2016.3

シクロ(人力三輪車)は生活シーンから完全に消え、浅草の人力車みたいに観光用に一部が残されているだけになっていた。代わりにタクシーが目立つようになり、観光客を運んでいた。ウーバーもたくさんいて便利だ。

とはいえ相変わらず自動車に対するバイク比率の高さ(見た感じ1:20とか)はそれほど変わっておらず、20年前よりは車が増えたが、7年前とは同じ印象。信号待ちの光景が、バイクレースのスタート風景みたいに映るのも変わっていない(一枚目写真)。

7年間の変化は、意外に小さかった。市内に電車くらい走っているかと思ったが、まだ建設中だ。「ビンコムセンター」など商業ビルが中心部に建って欧米ブランドショップが入り、郊外にはイオンモールがオープンして日本の「丸亀うどん」等も出店していた。だが、ホーチミンの市街地はあまり変わっておらず、歩くのが楽しい街だった。

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約1千円の20万ドン札。1千ドン札(=5円相当)まである。

物価は、7年間でドンの価値は15%ほど下がった。新興国通貨は、かつての円がそうであったように、経済成長とともに上がっていくものであるが、黒田円安政策のもとでもなお、「円高ドン安」となっていた。

為替は「1ドン(VND)=0.0048円(JPY)、1円 = 206 VND」。ようは、200で割ればよい。20万ドン札が千円札だ。日本もたいがいだが、ベトナムこそデノミが必要である。マルの数を数えるのがタイヘンだ。しかも、20万ドン札と2万ドン札があって、どちらもホーチミン先生が刷ってある。これでは間違えないほうがおかしい。

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PHOは65000ドン(=314円)。チェーン店の2倍、屋台の3倍くらい。麺より多い香菜の量がポイント。好きなだけちぎって入れる。

さて、ベトナムといえば、大好物のフォー、ヌックミア(さとうきびジュース)、ベトナムコーヒー、生春巻、である。

僕はPHO(フォー)が大好きなので、毎日2食は食べていた。7年前と変わったのは、ネット上の情報が増え、間違いのない店を探しやすくなったことだ。青空屋台は情報がないので入らず、人気のある大衆食堂ばかりを食べ歩いた。遠くても1時間くらいは歩き、疲れたらタクシー(初乗り1万2千ドン=60円)である。

ちゃんとした大衆食堂で人気店は、1杯=65000ドン(314円)と少々高い。どこも満席で、すごい熱気だ。「PHO24」などのチェーン店だと3万ドンくらいで、それでも屋台よりずいぶん高い。

人気店は、どこも香彩類が充実している。3種類ほどの山盛り香菜類が使い放題で、日本でいうと、ほうれん草の束をほどいてドカっと置いたくらいの量がある。これが、客が入れ替わっても常時、机上に置きっぱなしとなっていて、減ると裏で足されたものを持ってくる。

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モヤシ、香菜、スダチ、唐辛子、3種類のソース、ニョクマム…が主人公にみえるほど。

ほかに、モヤシ、すだち、ニョクマム(魚醤)、チリソースなどを組み合わせ、自分で好みの味に調整できるところがポイントだ。すべて使い放題で、なくなれば持ってきてくれる。切り端などのゴミは、各机の下にゴミ箱が1つずつ用意されていて、捨てていく。

これらは、21年前から全く同じ。これこそ、食文化である。僕がハノイやホーチミンで食べてきたホンモノのフォーは、豊富な付け合わせを使い放題で、自由自在に自分の好みの味に、無限段階に調整しながら食べられる点にこそ、本質がある。そして僕は大量にこれらを使って、あらゆる味を試す。何を入れてもおいしい。

東京でフォーを食べるときは、いつも「パクチー大盛りで」と頼むが、その「大盛」とは、本場のフォーについてくる香菜と比べると、10分の1にもならない。本質から外れているのだから話にならない。東京のフォーは完全な偽物である。

今回思ったのは、そのうち余裕ができたら、本場のベトナム料理屋をやりたい、ということだ。都内で有名なベトナム料理屋にはずいぶん行ったが、ぜんぶカネ儲け主義でコストカットばかりしていて、ショボすぎる。ホンモノがない。

単純に、コストの問題なのだと思う。香菜類は日本のスーパーだと、少量ワンパック200円といった相場なので、本場と同じようにドサっと置くと、その10倍の量は必要で、香菜だけで2千円也。スダチやモヤシも使い放題にすると、麺や肉の価格を入れると、1杯3~4千円にしなければペイしないだろう。麺類としては、一般大衆向けの価格設定にならない。

それでも僕は食べたいし、ニーズはそこそこあるだろうから、趣味で店をやって自分で好きなだけ食べたいと思うのだ。

ちなみに僕はイシャログというサイトを半分趣味で作ったが、400~500万円投資して、売り上げはまだほとんど立っていない。10年単位で回収できればよい。回収できなくても、必要なものは、存在しなければならない。そういうことである。どなたかベトナム人有志と一緒にやりたい。

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少なくとも東京でヌックミアを飲める場所は見当たらない。コーヒー店なんかよりもずっと健康的だし、市場競争力もあると思うんだけど。

まだ5千ドンだったヌックミア

フォーと一緒に、好物の生春巻きがメニューにあれば食べる。そして飲み物は、ある店では、ビール(「333」「タイガー」)が2万ドン(100円)。フレッシュココナッツジュースも同額。そして、さとうきびジュース、食後にベトナムコーヒー。どれも1杯100円前後で完璧においしい。

大好物のヌックミア(さとうきび生搾りジュース)は、街歩きをしながら、ゴクゴク飲んだ。インドでチャイやラッシーをゴクゴク飲んだように、飲み続けた。主に露店で飲むが、意外にも腹を壊すことはなかった。

観光客が多い市場だと1万ドン(50円)だが、少し外れると8千ドン。さらに地元民しか行かない路地に入っていくと、移動屋台で、5千ドン(25円)。それより安いところは見つからなかった。5千ドンというのは7年前と同じ価格で、急成長するベトナムのはずが、ぜんぜん値上がりしていなかった(21年前は1500ドンだった)。

加工品のほうが値段は高い

面白いのは、加工食品のほうが高いということだ。「ハイランズコーヒー」というスタバみたいなベトナムコーヒーの店がいたるところにできているが、ここで紅茶系飲料を頼んだら49000ドン(240円)であった。

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ハイランズコーヒーは、だいたい1杯200円くらい。バカ高い。これは49000ドン。添加物入りの不健康なモノのほうが途上国人にはウケるらしい。

店を出てすぐ隣にある商店でさとうきびジュースを搾ってもらうと(上記映像)、8千ドン(40円)。実に6分の1である。さらに歩けば5千ドンと、10分の1になる。

先進国では、生ジュースのほうが加工品よりも高いのが相場だ。スタバで座って飲むコーヒーよりも、生搾りジューススタンドで立ち飲みするほうが値段が高い。無駄な添加物がなく自然でおいしい生ジュースのほうが価値が高いのは、我々にとっては当然である。

ところがベトナムだと、一番安いのが天然の搾りたて生ジュース。日本でさとうきびジュースといえば、沖縄の市場でギリギリ飲めるかもしれない程度だが、東京で飲める場所は見当たらない。実現させるなら、500円以上になるだろう。

このあたりの、旨くて安くて健康的なもの(ヌックミア)が、よりまずくて高くて不健康な先進国の加工品(ハイランズコーヒーとかコーラとか)にどんどん駆逐されていく様は、文明による文化の侵略であって、どうにかならないものか(文化の進化などではなく、文化帝国主義である)、文化と文明はトレードオフなのか――というのが21年前からの問題意識であった。資本主義自由経済とグローバル化の負の側面、いくつもある「市場の失敗」のなかでは語られることがない側面である。

21年たってみて、その間、グローバル化をテーマにした本も書いて、今、あらためてベトナムを定点観測してどう思うのかといえば、缶コーラのような保存がきいて安価に大量生産できる「マーケットフレンドリーな商品」と、そうでない商品は確かにあって、後者は確かに不利な戦いを強いられているものの、意外に駆逐されることもなく、容認できる範囲内のバランスを維持しているように見えたことだ。

この21年でヌックミアやフォーが、その姿を消していたら、または、姿をその本質から変えすぎていたら、残念だった。だが、経済成長とともに物価は上がるものの、大きく消えていくことはなかった。

ただ、今後さらに十年、二十年をへて、経済成長を遂げたあとにどうなるか、だ。今回、サイゴン川を上るツアーにも参加したが、サイゴン川に面するスラム街はとんでもなく大量に存在している(まさにこれ)。この国の貧困は、厳然として残っている。まだ日本の昭和30年代、といったところだろう。

ベトナムが日本のような経済成長を遂げたとき、ヌックミアは街中から消えているのだろうか?また、フォーは日本のそば屋のようにチェーン化が進み、日本のフォーの店のように偽物になってしまうのか?

保存が利かないモノ

本で書いたとおり、グローバル化が進む際に、影響を受ける度合には差がある。①一番速く影響を受けるのは、情報・カネ。これは瞬時に国境を越えるからだ。②次が、モノ。少し時間をかけて、最終的に1物1価になる。

③モノのなかでも、保存が利かない生鮮食品は、国境を越えにくい。たとえば、日本のコンビニの惣菜工場が中国に移転することはない。保存が利かないからだ。1日3回、中国から都度、輸送していたらコスト高でペイしない。新鮮であることに価値があるのだ。したがって、国内にその工場での作業員の仕事と雇用は、残り続ける。

④次に国境を越えにくいのが、ヒト。その地に生まれ育った人間は、簡単に移動できない。だから失業率が高い国と低い国が生まれる。⑤もっとも国境を超えないのは土地だ。国境線が変わらない限り、動かせない。よって不動産は常にローカルビジネスになりやすい。

マーケットフレンドリーの逆説

日本に帰って、似ているな、と思ったのが、日本のイチゴである。日本のイチゴは世界的にみて圧倒的においしい。値段も高くない。冬から春にかけては、日本中で毎日、スーパーに並ぶ。数日で腐るので、輸出はしにくい。鮮度に価値があるからだ。低コストで全く鮮度が落ちない技術が開発されれば別だが、今のところはない。タイなどごく一部への輸出が精いっぱいで、車や電化製品のように地球の裏側では売れない。

同様に、ヌックミアも、鮮度に価値がある。加工されパックされたジュースも販売されているが、買って飲んでみたところ、マズすぎて捨てた。別モノにしかならないのである。バングラデシュなど世界中に同様の飲み物はあるが、どこも同様に輸出はできない事情には変わりはない。

そう考えると、「ベトナムのヌックミア」は、「日本のイチゴ」化するのではないか、というのが私の仮説である。同様に、香菜も鮮度が重要なので、大量の香菜にこそ本質があるホンモノのフォーも、今の形のまま、残り続けるかもしれない。

逆説的だが、マーケットフレンドリーではないからこそ、そのオリジンである地域には、残るのだ。世界化できないからこそ、外からの侵攻も受けないのである。イチゴも、何か別の理由があるのかもしれないが、韓国産のイチゴはマレーシアなどにはふつうに並んでいるが、日本では見たことがない。マズいし鮮度も落ちるし輸送費分がコスト高だからだろう。

一方、マーケットフレンドリー(市場への親和性が高い)な文化とは、たとえばコーヒーだ。保存が利く。大量生産できる。コーラと同じだ。ベトナムコーヒーはおいしいが、マーケットフレンドリーであるがゆえに、あの独特のカップに入れて飲む文化は、廃れつつあった。21年前はどこでも見かけたが、手軽な自動焙煎器にとって代わられ、チェーン店では、スタバ等と変わらぬ姿で提供されていて、残念である。文化帝国主義だな、と感じる。

 グローバル化が進み、文明化が進んでも、マーケットフレンドリーでない文化は、外部からの侵略を受けることなく、そのままの形で、むしろ市場に残りやすい――これが現状の私の結論であるが、今後も、フォーやコーヒーやヌックミアについて、定点観測を続けていきたい。

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gtravel2016/09/21 16:18

"マーケットフレンドリーではないからこそ、そのオリジンである地域には、残るのだ。世界化できないからこそ、外からの侵攻も受けないのである。"

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読者コメント

  2016/05/01 00:25
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