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エイベックスが小室の保釈金を払ったワケ

情報提供
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小室プロデュースでエイベックスが発売したtrfのデビュー作「GOING-2-DANCE」
 小室哲哉の保釈金3千万円の一部は、「エイベックス社」が支払った。その背景には、同社と小室の「蜜月と決裂の歴史」があることは、あまり具体的に語られていない。小室が1990年代前半に大成功を収めた背景には、エイベックス社との二人三脚の関係があった。当時から音楽産業を取材し続け、「Jポップとは何か」 (岩波新書)などの著作があるジャーナリスト・烏賀陽弘道氏が、小室事件の背景を解説する。
Digest
  • 歌を書く前にマーケティングリサーチ
  • 作品主義ではなく購買者主義
  • エイベックスがマーケ会社に発注
  • 若者顧客層が急減前だった
  • エイベックス松浦と小室の出会い
  • エイベックス舞台に「trf」を主導
  • エイベックスをヒットメーカーにした小室
  • エイベックス売上の60~70%が小室に

11月21日、小室哲哉が詐欺容疑で大阪地検に起訴され、同時に身柄も保釈された。小室は茶髪の色もたいして変わらない姿で大阪拘置所から出てきた。逮捕が同4日だったから、ほぼ最短の日数である。小室本人の詐欺事件そのものだけなら、構図は単純なので、立件に必要な取り調べ日数はこんなものだろう。

検察は小室の懐を通ったカネをどこまで洗ったのだろうか。沖縄サミットの背後でうごめいていた「ライジング•加藤紘一事務所裏金事件」も、東京地検の起訴事実(脱税)とは別に、公判の中で「サプライズ」として転がり出てきた。その記憶が鮮烈な私としては、まだ何か「隠し球」があるようで、イヤな感じだ。小室は、沖縄サミットのレセプションステージの総合プロデューサーとして、サミットをめぐる裏金事件のど真ん中にいた人物である。何かとんでもない事実が転げ出てこないか、公判から目を離さない方がいいだろう。

小室の保釈金3000万円の一部を「エイベックス社」が払ったという報道を聞いて、私は同社と小室の「蜜月と決裂の歴史」を思い出した。これから何回かに分けて、小室が90年代から2000年代にかけてたどった、成功と挫折について、バックグラウンドを含めて書いていこうと思う。すなわち、これまでまだ具体的に語られていない次の3点だ。

(1)なぜ小室は90年代に日本で成功したのか
(2)なぜ小室は2000年代になって失速したのか
(3)なぜ小室は東アジアの音楽市場で失敗したのか

この3点である。

今回は、なぜ小室が1990年代前半にあれほどの大成功をおさめることができたのか、エイベックス社との二人三脚の関係をたどる(文中敬称略)。

歌を書く前にマーケティングリサーチ

小室の90年代の大成功は「エイベックス」社(社名が変遷するので、この略称で統一する)との二人三脚の関係を抜きにしては語れない。

小室と同社が手に手を取り合ってヒット曲を大量生産していたのは、1992年から1997年ごろの間だ。これはちょうど、日本のレコード生産額がピーク(1998年=6075億円)に向かって右肩上がりの急成長を遂げていた時期に重なる。当時の小室とエイベックス社合作の代表が「trf」(1996年からTRFと表記)と「安室奈美恵」だといえば、当時の狂騒を思い出される方も多いのではないか。

彼らは「ミリオンセラー」(売り上げ100万枚)を大量生産し、CD売り上げの拡大に多大な貢献をした。その意味で、小室は間違いなく日本のレコード市場を倍に成長させた功労者である。逆に、小室がヒットを生まなくなった時期と、日本のCD生産額が急減する時期は、偶然かどうかは別として奇妙に一致している。詐欺容疑で逮捕されたからといって、その経済的な貢献を決して過小評価するべきではない。私はそう考えている。

90年代前半の小室が巧みだったのは、自分の曲を買う人の性別、年代層、居住区域まできっちりリサーチした上で曲を作っていた点だ。言うなれば「マーケティング•リサーチ」をしてから歌を書いていた。「お客さんのほしい歌」を先回りして調べてから作るのだから、売れないはずがない。

作品主義ではなく購買者主義

シャンプーや化粧品、ソフトドリンクといった家庭用消費材では、こうしたマーケティング調査のうえで製品を作る「購買者主義」はごく当たり前だ。が、音楽を「商品」と割り切り、音楽産業にこうしたマーケティング手法を持ち込んだ点に、小室の他にはない巧みさがあった。それまでの音楽業界では「いい曲をつくることがヒットを生む」という「作品主義」が主流だったからだ。そこではソングライターは「いい歌を書くこと」に専念すればいいわけで、客層をリサーチしたり、タイアップ先を考えたりすることはレコード会社内外の専門チームが請け負っていた。小室のように「曲も書けるし購買層や売り出し方法まで考えている」というソングライターは、そのころ彼一人といってよかった。

小室がこうした「購買客を先に想定して曲をつくる」ことで最初に成功したのは、渡辺美里に提供したヒット曲「My Revolution」だった。この歌が出た1986年は「男女雇用機会均等法」が施行された年である。この歌が描いた「強く明るく生きる自立した女性像」は、男性と対等の働き手として企業社会に足を踏み入れた女性たちへの「応援歌」として若い女性層に歓迎された。

27歳、まだ無名だった小室は、一躍作曲家としての名を広める。このとき、小室は学習したのだろう。「時代背景を読んで、どんな性別、どんな年齢の客層に歌を聴かせるのか想定して曲を書く」というヒット曲作りの奥義を。

エイベックスがマーケ会社に発注

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「女子高校生をゲットせよ!」(『AERA』1997年5月26日号)

小室の音楽の一番の客層は10代女性、特に女子高校生だった。私は1997年春に朝日新聞社「アエラ」誌の記者として「女子高校生をゲットせよ!」という記事を書いたことがある(97年5月26日号)。女性高校生に流行を作らせ、それを社会全体の流行に広がらせることを仕事とする会社のルポだ。

私が取材した「ティーンズネットワークシップ」という東京•原宿にある会社は、首都圏の女子高校生2000人を組織して、シャンプーや化粧品、お菓子や清涼飲料水のサンプルを渡して「口コミ」を広げる仕事をしていた(社名を変更して現在も営業している)。

当時はマスメディアが「ルーズソックス」「コギャル」「援助交際」などをキーワードに女子高校生を競って取り上げていた。女子高校生の間で何かが流行すると、それがメディアに乗ってさらに社会全体に拡大していった。つまり女子高校生が社会流行の震源地だったのである。同社は、前述のような製品のパッケージデザインやテレビCM案、商品名のリサーチも請け負っていた。

この会社がリサーチを請け負っていたレコード会社がエイベックスだった

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松浦社長がブログで公開しているavexの歴史。その122ページで小室がavexとの出会いについて証言している。

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井上善友 2009/01/27 02:45会員
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