社員の鬱病発症に対し、トヨタとデンソーの過失が認められた。2008年10月30日、名古屋地裁前。
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「使い物にならない人は、うちには要らないよ」。同僚のいる前で公然となじられ、月100時間超の残業を強いられたデンソー社員の北沢俊之さん(当時42歳=仮名)は、鬱病を発症して休職した。北沢さんは損害賠償を求めてトヨタとデンソーを訴え、昨年秋に勝訴。判決は確定した。トヨタやデンソーの現役社員が会社を訴え勝訴したのは史上初と言われる。全国的にも鬱病患者が増加傾向にあるなか、北沢さんに、この裁判の意義について話を聞いた。
【Digest】
◇泣き寝入りか闘うかで結果が180度違う
◇失敗を一切許さないトヨタ
◇「使えない人はうちにはいらないよ」となじられ
◇トヨタ・デンソー両社に損害賠償命令
◇「倒れると自己責任。それが許せなかった」
◇「職場で話しかけてくる人が減った」
◇トヨタもデンソーもいまだに謝罪拒否
◇裁判を起こしたら会社が変わり始めた
◇泣き寝入りか闘うかで結果が180度違う
2008年10月30日、名古屋地方裁判所は、トヨタとデンソーが社員に過重労働を課して鬱病を発症させたことを認め、両社に約150万円の賠償金の支払いを命じた。被告2社は控訴を断念し、翌11月に判決が確定した。
地裁判決直前の昨年9月に、北沢さんは鬱病発症の労災認定を求める行政訴訟も起こしていた。しかし、民事裁判でトヨタとデンソーに対する損害賠償が認められ、鬱病などを抱える社員に対する一定のケアがデンソー社内で推進されたこともあり、行政訴訟のほうは取り下げている。
これまでパワハラ裁判や過労裁判では、遺族もしくは解雇(あるいは辞職)された社員が会社を訴えるケースが多かった。それに対して北沢さんの場合は、働きながら会社を訴えて勝利した。関係者の話では、トヨタやデンソーの現役社員で会社を訴え、なおかつ勝利したのは史上初だという。
つまり、泣き寝入りすれば結果はゼロ。闘えば勝つ可能性があることを、現役デンソー社員が実証したことに意義がある。民事と行政ともに裁判を終えた北沢さんに、これまでの経緯を振り返ってもらった。
◇失敗を一切許さないトヨタ
MyNewsJapanでは、北沢さんの裁判を「過酷勤務とパワハラでうつ病になったデンソー社員、トヨタを訴える 「死んでからでは取り返しがつかない」(2007年6月29日)で伝えた。この記事と重複するが、現役社員が会社を訴えるに至ったプロセスを、もう一度簡単に確認しておこう。
北沢さんが、自動車の電機・電子部品などの製造するトヨタグループの㈱デンソーに入社したのは1985年。ディーゼル噴射技術部に長く勤務していた。忙しい技術職だから残業も多く、月40~50時間、多い時は100時間に達することもあったという。しかし、これといって大きな問題はなかった。
1992~1994年には、はじめてトヨタに出向したが、このときにも大きな問題は生じなかった。ところが1999年8月にトヨタに出向したところ、長時間労働、緊急度、難度の高い仕事内容、上司によるパワハラが重なり、鬱病を発症してしまったのだ。
「完璧な仕事を求められ、その日に100パーセントやらなければ翌日の自分の仕事もできず、一緒に働いている人に迷惑がかかるシステムです。市販されている製品が数万円だとすると、開発に使う試作品は数百万円という単位。ですから、数は作れず、ひとつの試作品をAさん、Bさん、Cさん、と複数の人間が共有(持ち回り)して試験データをとるなどして関わることになります。
そうなると、一人でも病気で休んでしまったら、その仕事は成り立たない。そのプレッシャーですね。デンソーで働いているときや1992年にトヨタに出向したときは、試験・評価で4日(予備1日)、データ整理が1日というように仕事を5日で組んでいくような余裕がありました。それだと、予期しない事態に対応できます。
ところが2回目の出向(1999年)は、まるでマージン(余白)がない仕事のやり方で、前は5日で組んでいた仕事を2-3日でやらなければならないようになっていたんです。試験・評価だけで定時間内は目一杯で、残業時間でその日のデータ整理をし、その結果を反映して翌日朝からの試験計画を立て、事前準備なければ、朝からの試験に間に合わない。
精神的にも肉体的にも、本当に追い詰められました。トヨタでは、人間は失敗をしないことになっているし、病気にもならない前提でシステムが構築されています」
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会社側の過失を認めた判決文。原告の北沢さんは2回鬱病を発症させたが、1回目は会社が安全配慮義務などを怠った点が認められ、上司の叱責はパワハラに当たるとも認定された。しかし、2回目の鬱発症に関しては、会社側に過失にないと判断された。 |
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ここで整理しておくと、北沢さんがトヨタとの共同作業をしたのは3回である。
○1993年 トヨタに出向。(大きな問題なし)
○1999年 トヨタに出向(過重労働で鬱病を発症。休職)
○2002年 デンソー内にいながらトヨタと共同プロジェクト作業(鬱病再発で休職)
◇「使えない人はうちにはいらないよ」となじられ
「そんなころ、1999年11月15日に会議が開かれ、トヨタとデンソー社員が6人くらい出席しました。このときトヨタの上司が『北沢さん、もうデンソーに帰っていいよ。使い物にならない人は、うちには要らないから』と言ったんです。
それまで経験した事のないみじめな気持になり、私という人間の人格、人生すべてを否定されたような気持ちになり、帰りの車で涙がとまりませんでした。翌日は起きられず二日間休んでしまいました」
他の社員もいる場で“不用品”扱いされた北沢さんは、デンソーの上司に「早くデンソーに返してほしい」と訴えたが、すぐには無理だということだった。仕事内容は難しく、長時間勤務もつづき、ますます精神的・肉体的に追い詰められていった。ついには、駐車場から職場のビルまで歩けないほどになってしまったのだ。
こうして、北沢さんは2000年8月末から2か月間、休職。その後デンソーに戻って仕事を始めた。ところが02年5月、トヨタと共同の仕事を命じられて、また鬱病を発症。同年8月から6か月の休職となった。
北沢さんは、2度目の鬱病から復帰したときにデンソー労働組合に相談したが親身になって話を聞いてもらえず、何の解決にも至らなかった。それで闘う組合「全ト・ユニオン」(全トヨタ労働組合)に加盟し、2006年5月、ついにトヨタとデンソーに損害賠償を求める裁判を起こしたのだった。
◇トヨタ・デンソー両社に損害賠償命令
判決に対して原告の北沢さんはどう思っているのか聞いてみた。
「先ずは、優秀な弁護団と多くの支援者の助けや協力があり勝訴できたことに皆様に感謝を申し上げたい。1回目に鬱病を発症したのは、業務によるものだと認められ、トヨタ・デンソー両社に賠償を命じたことが一番うれしいです。また、会社が社員の健康管理に関する安全配慮義務を怠ったことも認められました.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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第1回の鬱病発症時の労働時間。双方に主張の時間は一致しないが、会社の責任は認められた。 |
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第2回鬱病発症時の原告・被告双方が主張した労働時間。このころ業務命令で英語学習の負担もあったが、これは残業時間には認められなかった。また、2回目の鬱発症に会社の責任はないとの判決が下った。 |
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