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過労死36協定の違法化「現政権のうちに」 「日本海庄や」社員の両親に聞く

情報提供
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吹上了さん。
 新入社員の吹上元康さんが「日本海庄や」の調理場に配属されて4カ月後に過労死した事件(労災認定済)は、前回の記事で元康さんの給与明細と勤務表を公開し、最低賃金で長時間労働を強いる給与体系だったことを報告した。今回は、父・了さんと母・隆子さんがともに「いつも通りだった」と話す直前の元康さんの様子から、過労死が周囲から見ると突然起きうるものであること、そして、過労死ラインを超える36協定であっても法的には認められてしまう労働行政の問題点などについて話を聞いた。了さんは、京都市北区にある西陣織製造会社の代表取締役。経営者の視点も交えて語っていただいた。

前回記事
入社4カ月で過労死した「日本海庄や」社員の給与明細とタイムカード公開

◇時系列

2007年 8月 死亡
2007年12月 解剖完了
2008年 2月 労災申請
2008年 5月 証拠保全手続き
2008年12月 労災認定、提訴1
2009年 1月 提訴2
2010年 5月 判決(提訴1と2)

ーー亡くなったときはどのような様子だったのでしょうか。

 朝6時半に家内が起こしに行って、へんや、というので飛び上がってやね。そしたら、すでに冷とうなって、布団の上でうつぶせになってね。救急車呼んで、救急車の指示で仰向けにして気道確保して心臓マッサージしとったわけですよ。

 まさか子供を。しかもごっついんですよ。186センチの96キロあって、そのときは90キロちょっと割っとったくらいですね。仰向けになんて、なかなかできなかったですよ。それを仰向けにしてやね、一生懸命心臓マッサージして。

 シューシュー言うてね、押したら鼻からすっと出て来て、引いたら入る。それの音やね。どれくらいしてたのか、長いことしましたよ。それでもぜんぜん生き返る様子がなかったしね、これはもうあかんのかなと。そのうちに救急車がきて、すぐにまた警察がきましたわ。

 ぜんぶ部屋の写真を撮って行きましたわ。外から入って殺されたと違うかとか、金庫はあけられていないかとかね。それはもう、ほんまに、どうしようかなと思いましたよ。

◇「お父さん、お酒飲む?」 死亡前夜
ーー元康さんはいつもどおりだったのですか。

 そうです。とてもそんなことになるとは思えなかったですよ。びっくりしましたよ。

 前日(8月10日)は金曜日やったんですよ。15日にお盆やさかい、休みもろうて友達といっしょにお酒飲むわと言って買うてきてやね、珍しく「お父さん、お酒飲む?」て言うわけですよ。

 珍しいこと言うな、言いたいことでもあるんかなと思うていたけど、言いたいことというのはなくて、買うてきたお酒をコップに1杯ずつ。1杯いうても130ccですよ。警察もまさかと言いよるし、あとから測ってみた。私はなみなみとやったけど、息子は7〜8分目やったかな。

 これでやっと晩酌の相手ができると思うとったわけですよ。日本酒の純米吟醸ですわ。そのときはステーキやったんやけど、「洋食にも合うと思うし」と言うて。1時間ほどいろいろ話をしとって。そのときに仕事の話は全然していないですよ。世間話やね。そして9時過ぎに(自室に)上がって。

 お父さん酒飲む?って言うたとき、ものすごいいい顔をしていましたよ。なんとも言えんええ顔していましたね。せやし、なんか言いたいのかなっていうふうに思うとったんですよ。

 けれどもまあ残念ですわ。ほんまにおだやかに、うまい具合に育ったなっていうふうに思うとったんですよ。

◇「亡くなる前もいつも通り」 母・隆子さん
ーー食欲がなくなったとか、前兆のようなものはありましたか。

 ほんとに元気のいいがっしりした子でしたのでね。大型冷蔵庫を上から見下ろして、「お母さん、一番上が危ない状態になってるよ、いっぱいいっぱい」「上から見下ろすと危ないよ」とか言ってね。

 朝晩はふつうに食べていました。朝はご飯とみそ汁と納豆が定番で。夜は帰って来てからしっかり、暑くなってからは素麺とか食べていました。亡くなる前もいつも通りでした。入ってすぐのころは帰って来たらすぐに寝ていました。そこの人や仕事の流れに慣れるまで、帰って来たらすぐに倒れ込んで寝るような感じで。

 亡くなる前日にね、いちど整体に行こうかなあ、なんて言うて。1週間に1回くらい行こうかなあて言うてましたね。

◇通夜で「それは過労死ですね」と医者
ーー過労死ではないかと考え始めたのはいつ頃でしょうか。

 姪っ子の旦那が医者をしているんですよ。お通夜のときにね、実はこうで帰りも遅うて、こういう状態で急に亡くなったんですわと言うたら、「それは過労死ですね」と。タイムカードとかね、そういうものを取ってくれとすぐ言うたわけですよ。

 これはおかしいということで、うちの労務士さんに相談して労災の申請をしたわけですよ。そのときには弁護士さんはお願いしてなかったんですよ。労災の申請をしてから弁護士さんにお願いしようということで。

 家内の友達の知人の弁護士さんに相談にしたらね、「ぼくは刑事事件専門やさかいに過労死専門の先生を紹介するから」ということで紹介してもろうた先生が、あべの法律事務所であり、松丸先生(松丸正弁護士)だったんですよ。

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円町駅の駐輪場と領収証。出入りの時刻が勝訴のポイントの1つになった。

◇駐輪場の領収証や作業ノートが裏付けに
ーー勝訴のポイントは何でしょうか。

 こちらの一方的な勝ち方の大きなポイントとなったのは、作業手順を書き留めていたことですね

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作業手順のノート。「休憩も仕事」と書かれている。

当時の大庄の36協定。但し書きで月100時間の残業を可能としている。

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平はワンマン経営者2015/02/08 17:11
鬼畜生にも劣る平辰2010/08/01 00:14
庄やは廃業を。2010/07/31 00:50
やはり庄やは酷かった2010/07/31 00:43
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