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東急ハンズ新卒社員、パワハラマネージャーから罵倒&サビ残の日々で30歳過労死 遺族が一審全面勝訴

情報提供
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過労死事件以降の東急ハンズ歴代社長。真ん中が、日下部二郎氏(在任期間02年4月1日~06年9月30日)。右が中島美博氏(06年10月1日~11年3月31日)。左が榊真二氏(11年4月1日~)
 東急不動産の主要子会社(75%保有)、東急ハンズ。昨年4月に中国・上海にも出店するなど業績好調、マスコミも店舗内の売れ筋商品を紹介しPRする。だがその労働実態は悲惨だ。心斎橋店勤務の東久治氏(仮名、死亡時30歳)は「残業予算」の範囲内で残業するよう毎日のように指導される一方、過剰な仕事量を課せられ、予算内では終わらず、サービス残業を強いられた。0時頃に帰宅する日々が続くなか、マネージャーから怒鳴り散らされ続け、心身に不調をきたす。そして04年3月の就寝中、妻と子を残し、心臓性突然死で死亡。遺族は労災を申請し、07年11月、大阪中央労基署は労災認定した。10年2月には会社を相手取り、計9100万円の損害賠償を求め神戸地裁に提訴。今年3月、東急ハンズに計7837万円の支払いを求める一審判決が下った。事件の全容を詳報する。
Digest
  • 心斎橋店のキッチンフロアを担当
  • 「残業予算」オーバーでサビ残の嵐
  • パワハラマネージャーに罵倒される日々
  • 「体が、しんどい、しんどい、もう限界や」
  • 労災認定→神戸地裁に提訴→一審で原告全面勝訴

心斎橋店のキッチンフロアを担当

判決文や訴状、陳述書などによると、東久治氏(仮名、1973年生まれ)は、大阪府内の私大を97年3月に卒業後の同年4月、正社員として、東急ハンズに入社した。

その後、98年10月まで、『東急ハンズ三宮店』で勤務したのち、心斎橋開店準備室に異動。99年3月の『東急ハンズ心斎橋店』オープンにより、同店2Fキッチンフロアを担当することになった。

心斎橋店2Fでは、東氏ほか計5人の正社員と、契約社員のアシスタント14人、アルバイト2人が、以下の5チームに分かれて担当した。

「調理器具」「食器」「収納・保存器具」「クリーン用品」「製菓・喫茶用具」。

各チームには、社員1人、アシスタント、アルバイト数名がついた。

そして、この5チームを統括する管理職として、後述するように東氏に対しパワーハラスメントを行っていたYマネージャーと、K主任がいた。

東氏が担当したのは「調理器具」チームだった。同チームは、「調理道具」(鍋など)、「調理器具」(へら、菜箸、下ろし器などの小物、オーブントースター、炊飯器などの調理家電など)、「包丁」「キッチンファンブリック」(ランチョンマット、エプロン等)の4分野の全7000アイテムを、アシスタント3人で担当し、東氏は全体をアシスタントと重複する形で担当した。

業務内容は、メインは接客だった。また、東急ハンズには「ショップマスター制度」(仕入販売員制度といって、仕入商品の選択、発注、レイアウトから販売までを、社員一人一人が自分の判断で行う仕組み)がある。この制度のもと、東氏は、問屋やメーカーなどの仕入取引先との電話連絡、仕入の事務作業、値付け、商品の陳列(品出し、ポップシートの制作依頼、展示)をしたり、2か月に一度、東京本社の商品検討会への参加や、東京周辺の店舗調査のため、出張していた。

心斎橋店の勤務時間は、10時15分から19時15分が基本で、遅番は12時から21時。実働8時間、休憩1時間。

勤怠管理は、各人のIDカードをカードリーダーに差し込んで入力する仕組み。具体的には、社員たちは、1Fの従業員専用入り口で、IDカードを警備員に提示して入館し、エレベーターで9Fへ行き、ロッカー室へ行く途中に置いてあるカードリーダーで打刻し、ロッカー室で着替えて、売り場へ移動する。退勤時は、これとまったく逆の動きをする、という仕組みだ。

「残業予算」オーバーでサビ残の嵐

時間外労働については、まず、心斎橋店では、始業時間前に個人の判断で出勤してタイムカードを打刻しても、時間外手当はつかないことになっていた。早出は、上長の指示・承認がなければ、認められなかったためだ。

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心斎橋店

終業時間から退勤の打刻までの時間は、残業時間としてカウントしてはいた。しかし、心斎橋店では、半期(4~9月、10~3月)ごとに、あらかじめ、「総残業時間」を設定し、各フロアごとに、管理職に管理させていた。

東氏の2Fフロアでは、残業時間目標のことを「残業予算」と呼び、K主任が管理した。K氏は、毎日のように、朝礼、夕礼のいずれかで「残業は計画的に」と繰り返し訓示。毎月月末には、各人に就業月報を渡すことになっていて、月報には残業時間数が印字されている。K氏は、一定の残業時間を超えていると、月報を手渡す際、「あと何時間ですよ!」と指導していた。

その一方で、心斎橋店では、残業予算オーバーが常態化していた。残業予算がどれ程あったかというと、例えば、03年度、アシスタントが月20時間、正社員が月15時間。

しかし、実際は2Fの正社員5人の月平均残業時間は26~34.2時間、アシスタントも14人中13人が月20時間以上だった。

要するに、残業予算の範囲内でこなせない仕事量を課せられる中、毎日のように、執拗に、残業予算を順守するよう指導を受けることで、結果的に、賃金不払い残業が構造化していた。

サビ残の仕方は3つあった。

一つは、出勤日に、本来の出勤時間より早く行って仕事をする。

二つ目は、退勤打刻をした後に仕事をする。

三つ目は、休日の早朝に、会社に来て仕事をする。

東氏の過酷な労働環境を示すエピソードがある。東氏は99年に結婚していたが、夫人の陳述書や証人尋問によると、東氏は、会社を出て、最寄りの心斎橋駅で地下鉄に乗るまでの間に、携帯に「今から帰る」との、「帰るコール」をしていた。

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心斎橋駅

帰るコールは通常、23時前後で、そこから自宅までに約1時間かかり、帰宅は午前0時前後が常態化していた。

そのため、東氏の就寝時間は、1時30分~2時。起床は5時30分~6時。睡眠時間は3時間半~4時間でしかなかったという。

イベント期間は、さらに帰宅時刻が遅くなった

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キッチンフロアは現在は3Fになっていた

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kaz_the_scum2014/07/04 17:07

セクハラ・パワハラ、すべては記録を残すところから。先達から学ばないと・・・

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hiroomi2013/09/08 09:30

怖くて権限委託は出来ないんだろうな。

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四海2014/08/04 00:58会員
共同通信・日刊スポー2013/08/09 02:07会員
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