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日本政策金融公庫 無謀なノルマ・徹夜の転勤・異動先のワークスタイル変化で38歳行員が過労自殺、遺族が一審全面勝訴

情報提供
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過労自殺事件・訴訟にかかわる総裁の面々。左から順に高木勇樹・農林漁業金融公庫総裁(就任期間03年10月11日~08年9月30日)、安居祥策・日本政策金融公庫総裁(08年10月1日~13年10月10日)、細川興一・同総裁(13年10月11日以降)。出典は日本プロ農業総合支援機構、衆議院、日本政策金融公庫HPより
 日本政策金融公庫(旧農林漁業金融公庫)に90年に入社した錦織義朗氏(仮名、死亡時38歳)は、04年に西日本の某支店業務第一課に異動してから、支店長の号令で、他の金融機関で支払いの滞っている会社に融資するという常識では考えられない営業活動に忙殺された。05年3月には別の西日本の支店に翌月転勤する辞令が出て、引き継ぎ、引っ越し、着任に休日がない中で追われ、過労はピークに。しかも転勤先では突然、残業ができない環境になり、長年続けた仕事のスタイルが認められず、労働が質的に変化。上司に叱責される中で急速にうつ症状に陥り、7月に首つり自殺した。07年12月に労災認定され、08年8月、遺族は損害賠償を求め大阪地裁に提訴。13年3月の一審判決では原告が全面勝訴し会社側に8879万円の支払いが命じられた(二審係争中)。記録された労働時間より労働の「質」の変化を重視した判決だった。
Digest
  • 真面目で思いやりの深い職場の人気者、仕事は丹精込める職人
  • 支店長命令で不良債権先に追い貸し
  • 突然の転勤、引き継ぎ、引っ越しで過労のピークに
  • 期待した新天地での生活が暗転
  • タオルを持って「首を絞めておくれ」
  • 深夜の不気味な猫の鳴き声でおびえた数時間後、衝動的に自殺
  • 労災認定後、提訴→地裁判決で遺族側の全面勝訴
  • 賠償金8879万円の内訳

真面目で思いやりの深い職場の人気者、仕事は丹精込める職人

原告、被告双方に取材を申し込んだところ、係争中のため、取材に応じることはできない、という回答だった。そのため、判決文や訴状、陳述書などの裁判資料に基づき、事件を詳報する。亡くなった錦織義朗氏(仮名、1966年生まれ、死亡時38歳)は、90年3月に東日本のとある私大を卒業後、同年4月に農林漁業金融公庫(08年10月1日に株式会社 日本政策金融公庫に承継。以下、「公庫」)に入社した。

錦織氏は、関西方面の支店などを経て、01年7月から西日本にあるA支店に赴任した。配属先は業務第二課。業務内容は、林業・漁業・加工流通部門の貸付け、管理、回収がメインだった。

錦織氏は、周りの人への思いやりの深い温厚な性格のため、A支店では人気者だった。スポーツも得意で、職場の野球部では、ピッチャーで4番で、リーダー的存在だった。裁判資料には、錦織氏を回想するA支店の後輩たちの声が記載されている。そこにはこう書いてある。

「嫌々仕事にきている私を、いつも気遣ってくれ、冗談を言って励ましてくれました。錦織さんがいなかったら、わたしはとっくに会社を辞めています」

「錦織さん、いつもニコニコして、職場の雰囲気を良くしてくれた。あんな誰にでも気を遣い、優しい人いませんよ。自分の仕事たくさんあるのに、後輩たちの面倒も見てくれたし」

一方、錦織氏の仕事ぶりは、真面目で、几帳面で、責任感が強く、頼まれたことは断ることができないタイプだった。

また、錦織氏は、じっくり時間をかけて、丹精込めて仕事を仕上げる職人気質だった。そのため、公庫の定時は9時から17時20分だが、錦織氏は午前8時前の仕事時間は自主的に残業申告せず、早朝出勤を続けた。錦織氏の仕事の完成度は高かったが、反面、力の加減をはかり、効率よく仕事をこなすことは不得意という一面もあった。それを錦織氏は自覚していた。

そのため、自己評価を記す書類に、スピードアップが課題、と書くこともあった。課長も、チャレンジシートという書類に、「営業活動が遅れ気味」と評価しており、支店長もそう認識していた。

そんな錦織氏に転機が訪れたのは、04年4月1日のことだった。かねてから異動を希望していた、同じA支店内の業務第一課(以下、「一課」)に移ったのだ。

支店長命令で不良債権先に追い貸し

一課の業務は、農業部門の融資や管理、回収だった。農業政策を担う県市町村の役人や、農協との協議、打ち合わせ、連絡も行った。

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日本政策金融公庫本店(東京都千代田区大手町1-9-4 大手町フィナンシャルシティ)

また、筆頭調査役(課長補佐)として、課員たちの四半期の資金需要調査などの資料の取りまとめも担当した。

なお、錦織氏は、これまで林業・漁業部門の担当が中心で、農業部門はほとんど経験してこなかった。

また、二課が5人だったのに対し、一課は10人いた。

そのため、家族に、こう期待を語っていた。

「初の農業担当で、つぶしが利くかも。会社を辞められる知識か何かが身につけられるかも。何よりも課の人数が多く、一人当たりの負担が少ない」

だが、実際やってみると、農業の融資は、作物の品種ごとに審査の指標が異なるため、慣れていない錦織氏にとって、負担を伴うものだった。

さらに追い打ちをかける事態が起きた。04年12月、当時のA支店長・Z氏が、「A80」と銘打ち、一課に40億円の融資ノルマを課したのだ。この数字は、A支店では、到底実現し得ない数字だった。

Z支店長は、もともと本店の総務部出身で、本店にアピールするためのノルマ設定だったという。そのため、社内では「一体、誰のため、何のための融資なのか?」という声も出た。ちなみに、Z氏は、その後、総裁が最も力を入れている本店の広報担当に就いたので、このノルマは、Z氏の出世には一役買ったようである。

こうして支店長の音頭で、借り換え営業が活発化した。借り換え融資をすれば、新規融資としてカウントされるためだ。こうして一課はほかの金融機関では融資がおりない経営者にも、強引に営業を仕掛けた。

例えば、信用農業協同組合連合会(信連)で支払いが停滞している顧客Kに対して、公庫が融資するよう、支店長命令が出たこともあった。錦織氏は、自身の信念や金融の常識とのジレンマに悩まされながら対応した。

県内最大手の鶏卵業者にも、支店長命令で借り換えを実行した。T社は不良債権を8000万円抱えており、金融常識ではありえない処理で、審査手続きは難航した。

この頃から、錦織氏は、げっそりした表情で、目の下にクマができるようになったという。

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大阪地方裁判所(大阪府大阪市北区西天満2−1−10)

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 2013/12/16 23:07
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プライバシーに、より配慮する方向で本文に変更を加えた。(2014.6.16、2014.7.7修正済み)
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