好きなダンスの道を進ませていれば…「水たまりでもすすっておけ」と虐待され自殺した2等陸士・小川賢二さんの遺族が悲痛な訴え
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プロダンサーの夢をあきらめて陸上自衛隊に入り、膝の怪我と失神などの病気に悩まされた挙句に19歳で自殺した小川賢二さん。産みの母はフィリピン出身。元2等陸士。自衛隊は否定するが、いじめを受けた疑いが濃厚だ。「KEN JL」のステージ名で踊っていた(小川さんのフェイスブックより)。 |
- Digest
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- 自衛隊で何があったのか
- お母さんはフィリピン人
- いじめ裁判を勝ち抜いた中学時代
- ダンサーをあきらめて自衛隊へ
- 「何を休んでいるんだ!」
- 膝の激しい痛みで歩行不可能
- 原因不明の失神
- ボロボロの体で「一番きつい」隊へ
- 迷惑そうに「自殺未遂」を告げた中隊長
- 「迷惑かけてごめんね」
- ミクシイとLINEに残された真相
- 「E.T.」と暴言を吐いた隊員も
自衛隊で何があったのか
「自衛隊で何があったか真相を知りたい。俺が死んでも親父が戦ってくれる――賢二は天国でそう思っているに違いありません」
北海道東部で保険代理店を経営する小川透氏は静かに語った。息子・賢二さんは、2012年11月28日、自殺した。享年19歳。
活発な性格でダンスが得意だった。高校卒業を控えたとき、賢二さんは「東京に行ってプロのダンサーになりたい」と言った。透さんは「ダンスで生活していけるのか」と賛成しなかった。そして、数少ない就職先のなかから「自衛隊に入ったらどうか」と勧めた。賢二さんが陸上自衛隊に入ったのは、親の勧めに従ったからだった。
結果、心身を壊して休職し、入隊8ヶ月目にして帰らぬ人となってしまう。
子どものころから人気者だった。特に女の子にもてた。それをよく思わない者から嫌がらせを受けたこともある。しかし、毅然と戦って名誉を勝ち取った。正義感が強く、誇り高い男だった。
自衛隊内でいじめを受けていたという話が耳に入ってきたのは、賢二さんの死後である。ダンス仲間が教えてくれた。しかし自衛隊は「いじめ」を完全に否定した。真相を隠していると両親は確信した。
ダンスの道を進ませてやればよかった――自衛隊を勧めたことを透さんは悔やみきれない。無念さをにじませながら、透さんは息子・賢二さんが歩んできた19年の人生について、とつとつと筆者に語った。その内容を以下に紹介したい。
お母さんはフィリピン人
小川賢二さんは、1993年5月6日、透さんとフィリピン人母の間に生まれた。3歳のときに透さんは離婚、7年後に真由美さんと再婚した。育ての母・真由美さんのもとで賢二さんは愛情を受けて育った。
フィリピン人のお母さんの影響で、賢二さんは色黒で彫りの深い顔立ちをしている。そしてダンスがうまかった。そのせいもあって小学校時代から女子にもてた。教室でも廊下でも、賢二さんの周りにはいつも女の子が集まっていた。
ダンスは別に親が教えたわけではない。透さんはダンスになど縁がなく、アイスホッケーのほうが好きだった。子どもにもアイスホッケーをやらせようとした。しかし賢二さんはホッケーよりもダンスが好きだった。ブレイクダンスのような激しいダンスを自分の部屋で熱心に練習していた。
踊りは素人離れしてうまかった。だからダンス愛好家の目にたちまち留まるところとなった。町のイベントなどに出場し、やがて「KEN JL」というステージネームで活躍するようになる。
「KEN JL」はちょっとした地域の有名人になった。その賢二さんが中学校に進学したとき、予期しなかった試練が待ち受けていた。番長格の生徒に土手の上から川に突き落とされたのだ。足に大怪我を負ってしまう。嫉妬によるいじめ、嫌がらせだった。
透さんは学校に連絡し、危害を加えた生徒と親に対して謝罪を求めた。番長格の生徒はこう言い放った。
「突き落としていない。賢二が自分で落ちたんだ」
本人だけではない。教師までもが「賢二が勝手に落ちた」と思っている様子だった。賢二さんも両親は失望し、憤りを覚えた。
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自衛隊のなかで息子に何があったのか、真相を知りたいと訴える小川賢二さんの両親(左から育ての母親・真由美さん、父・透さん、釧路市内)。![]() |
いじめ裁判を勝ち抜いた中学時代
訴訟を望んだのは賢二さん自身だった。
「裁判やったら大変だよと言ったら、俺は白黒はっきりさせたいと。先生も生徒も賢二を疑っていたので、学校全体を相手に一人で闘っているようなものでした」(透さん)
学校相手に裁判をした結果、さらなる嫌がらせを受けた。同級生らが賢二さんを無視し、「うぜー」「死ね」などと陰口をたたいた。中学生の身にどれほどの重圧だったことか、想像に難くない。とうとうストレス過剰で過呼吸になり、失神して倒れてしまう。
文字通り傷だらけの闘いだった。そして2年に及ぶ裁判の末、賢二さんは勝訴する。ウソつきは「番長格」のほうだった
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小川賢二さんは釧路駐屯地の教育隊に入って訓練をはじめてすぐに、両膝の靭帯炎に見舞われる。入隊時は健康だったことが確認されており、訓練が原因であることは明らかだが、自衛隊は「ダンスが原因」などとして公務災害を認めていない(膝痛で診察を受けた際の問診票と公務災害を否定した自衛隊の回答)。
膝痛は悪化し、歩けなくなってしまった。加えて不眠に悩まされ、とうとう失神して倒れてしまう。自衛隊札幌病院で診察を受けたが原因はわからなかった。訓練についていけないことで周囲から冷たくされ、精神的に追い詰められた可能性が高い。
半年間の教育課程を終えた後、小川賢二さんは陸自東千歳駐屯地の第11普通科連隊4中隊に配属される。歩くのもままならない体調からみて訓練は明らかに無理だったが、35キロ行進に参加。結果、症状が悪化する。4中隊が受け持つ73式装甲車(防衛省HPより。左の写真は11師団のHP)
「いつまでも人の手をかりてんじゃねー!」「お前に飲ませる水はない!水たまりでもすすってろ!お前を見ているといらつく!」「肩貸すな」「E.T.」--小川賢二さんが陰湿ないじめに遭っていたことが、死後、知人の話でわかった。心配をかけまいとしたのか、両親には話していなかった。自衛隊に調査を求めたら、「いじめは確認できなかった」と回答した。LINEの画面より。
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この親がアホ過ぎるだけでは
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企業、自衛隊、警察、職場は関係なくパワーハラスメントは犯罪であると誰もが自覚して欲しい。無くなられた小川さんの無念はどれほどであろうか。少子高齢化の進む我が国で若い命が失われる事の損失はどれほどかよく考えて欲しい。
軍人の育成に際して、既存の価値観を破壊するために大げさで乱暴な教育を施すのは当然のこと。もし怪我や病気を理由にして特定の候補生への手を緩めるなら、それこそ同期に見放されてイジメの原因になるだろう。この子、自衛隊に向いてなかったんだよ。可哀想に。
今時 親が子供の職業をきめるなんてナンセンス! 親は子供の人生に責任もてないのだから (64歳主婦)
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