これがトヨタ式「〝労災保険を使わせない〟マニュアル」だ!
「トヨタにはルールがあるんです」明らかに労災の負傷社員に示された、謎の小冊子
事業所内で就業中に起きた疾病・負傷でも、労災保険ではなく「とりあえず健康保険で」と医療機関に要請するように規定しているトヨタの「労災マニュアル」。「大きな誤りがある。よほどのことがない限り、普通の労働者であれば労災保険の対象」(厚労省労働基準局補償課)と指摘されている。 |
ながらく“謎の小冊子”とされてきた、トヨタ自動車の正式な「労災手続きマニュアル」が、裁判所に証拠提出される形で、初めて明らかになった。トヨタは「訴訟記録閲覧等制限申立書」を裁判所に提出し、このマニュアルの非開示を要求したが、裁判所は却下。トヨタがそこまでして隠しておきたかった冊子は〝労災回避マニュアル〟ともいうべきもので、事業所内で就業中に起きた傷病であっても、まずは健康保険で処理することを求めていた。現場でもその通りに運用が徹底されていることが複数の取材で裏付けられている。健康保険で治療すると、本来ゼロ円であるはずの治療費に自己負担が発生するほか、休業補償を受けられない、のちに後遺症が発覚しても補償されないなど、労働者にとってデメリットが大きい。働き手を労働災害から守る労災保険制度の趣旨に反するほか、労基署が認定するトヨタの労災発生件数が、実態よりも低く抑え込まれている可能性が高い。
- Digest
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- トヨタのルール=「労災マニュアル」が裁判に出された
- 医療機関に対し仕事中のケガでも「とりあえず健保で」と治療依頼書
- すべての始まりは10年前の労災 執拗に健康保険使用を「要請」するトヨタ
- 小部屋に入れられ5人の上司から「健康保険使え」生き地獄の45分
- 自身の労災で目覚めて活動開始し、トヨタを訴えるまで
- 「労災マニュアルは営業秘密」と閲覧制限を申し立てたトヨタ
- 「労災マニュアル」が世間の目に触れることを避けたいトヨタ
- 職場で作業中のケガでも「まずは健康保険で」は問題ないか?トヨタに聞いた
- 解説:トヨタ労災マニュアルの背景
※トヨタ「<最新>労災手続きマニュアル」(78~91頁)は末尾にてPDFダウンロード可
健康保険法の第55条 第1項では「労働者災害補償保険法」の給付を得られる件では健康保険から給付を行わない、と規定されている。だが、その正式な判定には、半年程度かかる。
最初から労災申請すれば、労災指定医療機関(例:豊田市内なら70ある)ならば自己負担ゼロで治療できるが、最終的に労災と認定されなかった場合は、後で労働者が多額の治療費をまとめて支払わなければならない。労災指定ではない医療機関で治療を受ける場合は、労災認定されるまでの間、健康保険を使わなかったら医療費が10割負担になってしまうという問題もある。
トヨタによると、労災になる場合は、マニュアルに沿って「とりあえず健康保険で受診し、労災と認定されてから労災に切り替えて、それまで負担した分の支給を受ける」流れになるという。「トヨタ労災マニュアル」は、労災保険と健康保険の、本来の趣旨と運用実態との間にある課題を浮かび上がらせている。
トヨタのルール=「労災マニュアル」が裁判に出された
このマニュアルが発覚した経緯は、以下の通り、10年前にさかのぼる。
トヨタ堤工場で働く正社員の染谷大介氏が作業中に膝を負傷したのは、10年前の2014年。あきらかに就業時間中の作業によるケガだから労災を申請すると、上司たちから「まずは健康保険で受診せよ」と迫られた。「健保を使え」と、メールや電話で指示、上司が医療機関の窓口まで出向き、「染谷さんの労災を健保に変えていただきます。トヨタにはルールがあります」と医療機関に告げた。
さらに、染谷氏を安全衛生室に入れて「健康保険を使うように」と要請。翌日、本社から課長も駆けつけ、5人の上司で取り囲み「健康保険に」と再要請した。染谷氏がその根拠を上司に問うと、「これがトヨタのルールだ」と、謎の小冊子を示された。そこには、とりあえず健康保険で受診せよ、という旨が示されていた。
この小冊子、すなわち、トヨタ自働車の「労災手続きマニュアル」が明らかになったのは、実に10年後となる、今年7月のこと。染谷氏がトヨタから受けた懲戒処分の無効確認を求める訴訟の最中だった。
謎の小冊子が発覚する経緯を説明する前に、そもそも労災保険と健康保険の違いを確認しておく必要があるだろう。
●労災保険は「労働者災害補償保険法」に基づき、労働者の業務災害や会社施設内や通勤時の傷病・後遺障害・死亡に対して給付されるもの。
●健康保険は「健康保険法」に基づき、業務外で生じた傷病・休業・死亡時の補償をするための保険である。
つまり労災と健保では、適用される範囲が異なり根拠法も違う。
また、労災保険は健康保険に比べて補償内容がかなり手厚い。たとえば職場でケガや病気などをした場合に休業しなければならなくなったとき、休業補償給付では給付基礎日額の約80%が支給される。給付基礎日額とは、ボーナスなど臨時の賃金を除いた賃金の総額だ。
後遺症が起きてしまったときの補償も、障害の等級に応じて給付される。さらに死亡したときには、遺族への補償や葬儀費用も補償される。
しかし、健康保険が使われてしまった場合はこれらの補償を受けられなくなるため、長期にわたって労働者が大きな負担を強いられる。
10年前、自身に起きた労災事件をきっかけに、染谷氏は会社の様々な問題点を指摘するようになった。
一方、会社側は染谷氏に対し、複数回の懲戒処分を行った。これに対して2023年5月、染谷氏は懲戒処分無効確認訴訟を提起。翌2024年2月には、会社によるパワハラで適応障害をわずらったとし、その精神的苦痛に対する慰謝料300万円を求める裁判を追加していた。
この二つが併合され、今年10月25日、名古屋地裁岡崎支部は、原告の請求を棄却。だが、この裁判でもっとも重要なのは、トヨタ側から提出された「労災マニュアル」が、初めて裁判で明らかになったことだろう。
なぜなら、これまで筆者がトヨタの正社員や期間従業員を取材したときに何度も繰り返し聞いたキーフレーズを、明文規定した文書が明らかにされたからだ。
そのキーフレーズとは、「トヨタにはルールがあるんです」。それに引き続き「仕事中のケガであっても、とりあえず健康保険で受診するように」との文言がつづく場合が多い。
裁判を起こした染谷氏をはじめ他の社員も、勤務時間中の作業でケガをしたので労災保険を使おうとした場合に、このフレーズを上司から聞かされるのだ。
もちろん、仕事中の怪我でも「とりあえず健康保険での受診し労災が認められたら後で負担分を受け取る」方法を求める従業員もいる。しかし、問題は労働者本人が最初から労災申請をもとめる場合である。
仕事中のケガだから「とりあえず労災」と、被災従業員が言っても社内では認められず、仕事中のケガでも「とりあえず健康保険で」という指示が、正式なマニュアルに従って徹底されてきたことが、明らかになった。
被災社員(労災社員)は、その「トヨタのルール」の根拠を知ることができない。なぜなら、ルールを定めた労災手続きマニュアルは非公開とされ、被災当事者にすら知らされていないからだ。
仕事中に負傷した裁判の原告・染谷大介氏が、2014年にトヨタのルールを守れと何度も何度きびしく言われたとき、労災マニュアルをチラリと見せられたことはあっても、手元にはなく、確認のしようもなかった。
そのことについては『上司5人が取り囲み「これを見ろ!」と示した“謎の小冊子”』 としてMynewsJapanで記事を掲載したが、その“謎の小冊子”の存在が、実に10年の歳月を経て明らかになったわけである。
さっそく、中身を見てみよう。
「労災手続きマニュアル」は平成17(2005)年初版。工場内で作業中のケガ等が発生した場合でも、「とりあえず健康保険で」と医療機関に伝えるよう手続きが定められている。社員に訴えられた裁判でトヨタは、労基署が労災と認定したら労災保険に切り替えるので暫定的な措置であり問題はない、と主張している。 |
医療機関に対し仕事中のケガでも「とりあえず健保で」と治療依頼書
今回、明らかになった「労災手続きマニュアル」は、全部で91ページ。
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労災マニュアルのP90「疾病調査報告書」P91「疾病発生時の経緯」。社内でも、傷病報告や発生状況の経緯をもとに調査結果をまとめることになっている。
通常、裁判所の記録閲覧室にいけば訴訟記録を誰でも閲覧できる。しかしトヨタは、自社の「労災マニュアル」の閲覧等を訴訟当事者にかぎり、一般の人々には非開示にさせるため「訴訟記録閲覧等制限申立書」を名古屋地裁岡崎支部に提出した。
トヨタを訴えた社員の染谷大介氏は、「まずは健康保険で」というトヨタのルールを定めた文書の提出を裁判の中で求めた。その結果出されたのが「労災手続きマニュアル」である。
トヨタが申し立てた「訴訟記録閲覧等制限」は、裁判所から却下された。裁判に提出された労災マニュアルは一部にすぎず、トヨタ内部の手続きの流れやその際に用いる書式等が掲載されているにすぎず、営業秘密には当たらないという判断だ。
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