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受動喫煙で咽頭がん・狭心症に 「禁煙タクシー第1号」の運転手、東京タクシーセンター提訴
禁煙タクシー車両を前にした安井幸一さん(タクシー全面禁煙をめざす会)(写真撮影:伊勢一郎)。

 


 今年に入って全面禁煙化が広がるタクシー業界だが、日本における「禁煙タクシー第1号」は安井幸一さん(73歳)だ。孤軍奮闘の末に認可を勝ち取り、禁煙化の先頭に立ってきた安井さんは、タクシー乗務員に長年受動喫煙を強いてきた財団法人東京タクシーセンターに対し2006年5月、1,000万円の賠償金などを要求する訴訟を起こし、闘っている。だが既に、受動喫煙で狭心症と喉頭がんに侵されていた。体調不良をおして乗務と裁判を続ける安井さんに、タクシー禁煙化に取り組む動機を聞いた。

【Digest】
◇禁煙化に取り組む原体験
◇タクシー近代化センター設立後の屈辱の数々
◇近センによる不当な処分で禁煙化を決意
◇受動喫煙による健康被害が発生
◇病をかかえながらの深夜勤務
◇「裁判が終わるまでは生かしてほしい」

(代筆:伊勢一郎
◇タクシー禁煙化に取り組む原体験
 タクシー運転手になったのは1953年、19歳の時です。伯父が  大和  ダイワ 自動車の労働組合の委員長でした。当時は就職難の時代だったので、伯父のコネで16歳の時に大和自動車に入れてもらい、以来ずっとタクシー運転手一筋です。

 当時の運転手はカミカゼタクシーとか言われて社会的地位は低かったけれども、給料は重役クラスでした。最初に給料をもらったのは20歳前ですが、3万円近くあって、所長から、「お前、大卒の5倍の給料だよ」と言われました。

 その頃は24時間働けたし、何キロ走ってもよかったんです。若かったし、金も欲しいから、休みも休憩も取らずに、ルノーという小型の外車で1日500キロ前後は走って、稼ぎまくりました。現在は、法人タクシーで隔日1日365キロ、個人タクシーは1日180キロまでで、それ以上走ると翌日は休まなければならないので、考えられませんが。

 運転手を始めた時には会社からマッチ棒を渡されました。当時は火を持っていない客が多かったので、それを配れと。だから、毅然として喫煙を断れないという感覚でしたが、当時のお客さんは、「窓を開けてください」と頼めば開けてくれるし、雨が降って風が強い時には、「吸うのを我慢してください」とお願いすれば、みなさんそうしてくれていました。

 窓を閉め切って吸われると、雨の日は煙で視界が遮られるし、私は当時から喉が弱かったのか、よく咳き込んでいたので、窓を開けることは絶対条件でした。

 そもそも、私はタバコを全く吸わないんです。

 14歳から2年間、結核の治療のために愛媛県の療養所にいたんですが、その時の隣の人が30歳くらいでしたが、ヘビースモーカーで、吸うのは禁止されているのに、私を連れ出して、外で隠れて吸うんです。

 ある日、その人はタバコを吸っているうちに喀血して、もだえ苦しんで死んじゃったんです。僕も医者に呼ばれて、「あの人はタバコさえ吸わなかったらもっと長生きしていたんだ。おまえも死にたくなければタバコを吸っちゃいかんよ」と言われました。

 その時以来、僕はタバコというものに嫌悪感を持つようになったんです。その時に医者に、「人間はきれいな空気が大切なんだよ」とも言われました。当時は冷暖房がないので、真冬でもちょこっと窓を開けて換気をしていた。その時に換気の大切さを身に沁みて感じました。

 だからタクシー運転手になっても、常にちょこっちょこっと窓を開けて。当時の窓の開閉は電動ではないので、運転席と助手席を開けていました。

 当時のお客は7、8割が吸うわけで窓を開けて吸ってもらったとしても相当な受動喫煙は受けていたと思うけど、頼めばだいたい言うことを聞いてくれたので、精神的なストレスはそれほどありませんでした。財団法人東京タクシー近代化センター(現・財団法人東京タクシーセンター)ができるまでは。

◇タクシー近代化センター設立後の屈辱の数々
 1969年に近セン(財団法人東京タクシー近代化センターの略称)ができてから1年か2年目の冬だったと思いますが、高田馬場から近距離の客を乗せたらタバコを吸いだしたので、「吸うのなら窓を開けてください。でも、すぐ着くので、なるだけ我慢してくれませんか、次のお客さんも乗るので」とお願いしたら、いきなり怒り出すんです。

 「お前の会社に行け!」と言われて。私の会社はそこから2、3キロのところにあって、その客はそれを知っているわけです。

 それで私の会社の幹部に、「こいつは喫煙を断った。窓を開けろとか吸わないでほしいとか言っている」と苦情を言われました。後で聞くと、その客はタクシー運転手で、近センで教育を受けたらしい。「近センでは、タバコは断れないという方針だから」と言われた。

 その前から、噂では、タバコを断ってトラブルになったらやられるぞ、と聞いていたが、そこで初めて、タクシー近代化センターが、タバコは断れない、という教育をしていると初めて知った。「近センの方針はこうで、会社だからいいけど、近センに行かれたらたいへんだよ」と会社の幹部に言われました。

 そこで僕は憤慨したんです。

 タバコを締め切ったところで吸うのは体に悪いという信念がありましたし、自分が客になった場合にタバコの煙で不快な経験もしているので、近いところなら、次の客のためにも我慢してほしい、という思いがありましたから。その後も、私の姿勢は変わりませんでした。

 そして、1974年の夏に忘れられない体験をしました。

 その頃、個人タクシーの申請をしていて、個人タクシーの組合から、客とのトラブルとか違反があると認可がおりないよ、と言われていたので、神経を使っていました。

上から
■調査票
前日夜に乗せた客から苦情を受けた東京タクシー近代化センターに呼び出されて採られた調書。安井さんの話とは大幅に食い違う客の言い分を真に受けた内容となっている。

■意見書
調書をとられた際に安井さんが東京タクシー近代化センター宛てにその場で書いた意見書。安井さんの憤りが伝わってくる。

■弁明書
東京タクシー近代化センターに脅かされ、1昼夜思い悩んだ末に書いた文書。安井さんは「始末書」とよんでいる。

 

 その夜は銀座から六本木方面に向かう際に客が5人乗ってきて、助手席に2名、後部に3名座りました。助手席の客がタバコに火を点けると、その隣の客も吸い出しました。もう煙がすごくて目が痛いし、視界も遮られるので、「冷房しているので、六本木まではそんなに時間がかからないから、我慢してもらえませんか?」と言ったら、彼らは怒り出したんです。後ろの客もわざと吸い出して、運転席の背中を蹴飛ばし出しました。

 これは暴力行為だと思ったけど、個人タクシーの申請中なので(編集部注:個人タクシーの免許をとるには職業運転手の経歴10年以上、うちタクシー・ハイヤー運転経歴5年以上が必要となる)、我慢して六本木まで行きました。ところが客の方は、「謝らなければ近センに通報するぞ!」と言い出しました。

 近センは当時、「運転手の態度が悪かったら通報してください」と宣伝していたので、この客も知っていたのでしょうね。私は、今までの苦労が水の泡になってはいけないと思い、後ろを向いて頭を下げました。でも、「そんな謝り方じゃだめだ、土下座して謝れ」と言われて。

 六本木をちょっと入った広場で、クラブの玄関の前でしたが、人通りは少ないところだったので、土下座をしました。この時の悔しさは、今でも忘れられないです。

◇近センによる
不当な処分で禁煙化を決意

 1975年には無事に認可がおり、個人タクシーの営業を始めましたが、1986年の2月26日の夜に乗せた客への接客態度について、ついに近センから処分を受けることになりました。

 60歳前後のその客は、乗車すると直ぐに喫煙を始めました。10分足らずの短距離だったので、「喫煙されるならば窓を開けていただけますか。次のお客様がご利用になりますのでお願いします。」と二度お願いしても無視されたので、私は運転席の窓を5センチほど開けました。

 するとその客は「寒いから窓を閉めろ」と怒鳴りだして、「俺は客だぞ! 客の喫煙を断ることが出来ないことは知っているぞ。近センに通報してやる!」と言いながら、運転席後部を足で蹴ったり、私の肩を叩いたり帽子を剥ぎ取ったりしてきました。

 近センに通報されたら、組合にも迷惑がかかるので、我慢して1時間以上も謝り続けましたが、結局その客から近センに通報され、翌日に近センから呼び出しを受けました。客からの訴えの内容は、「タバコを吸ったら、運転手に窓を全開にされて嫌がらせを受けた。タバコを吸うようなのは客じゃない、降りろと言われた」という、全く事実と異なるものでした。

 でも、近センの宇都宮という指導係は、「いかなる場合であっても喫煙する乗客に対し禁煙を願い出ることはできない。喫煙乗客の気分を害したら、それだけで『接客態度違反』として指導・処分の対象になる。暴行を受けたのも,あなたの態度が悪いからである。」と私を非難したのです。

 私がたばこの害について書かれた資料を示して健康への影響を訴えても、「我々は運転手の健康がどうだこうだなどと聞きたくない。お客さんはタバコの好きな運転手に乗れば気分を害さなかった。タバコ嫌いな運転手は迷惑だ。タバコを嫌う客に配慮したいなら、臭いが消えるまで営業しなければよい」などと怒鳴られました。

 それでも納得がいかなかったので、その場でタバコの害を訴えた意見書を提出しました。しかし、その客からの苦情に対する反省を書いた弁明書を出すことを求められました。1日迷いましたが、仕方なく、書いて出しました。弁明書といっていますが、始末書を無理やり書かされたんです。

 また、「通報者を暴行罪で訴えるから、その氏名と住所を教えて欲しい」と当時の安藤太郎会長宛に文書で要請しましたが、何の応答もありませんでした。

記事(上から)
■サンケイ
安井さんの体験を詳報した産経新聞の記事。禁煙タクシーの存在意義を問うている。

■86年11月号「特選街」の投稿欄。
ムサシ交通からの回答を読んだ安井さんは「苦しんでいるタクシー運転手は俺だけではないんだ」と勇気づけられ、一方では東京タクシー近代化センターの回答を読んで、禁煙タクシーの認可を決意した。

■毎日新聞
1987年、車内の喫煙を法的に拒めるように運輸省に申請。

■朝日新聞
「禁煙タクシー第1号」なり、記者会見に臨んだ安井さん。

 

 その年の特選街という雑誌の11月号の投書欄に、タバコを吸い出したら、運転手がぶすっとして嫌な感じだった、という乗客からの投書への回答として、近センが、「タクシーでは喫煙はお客様の自由です、断ることはできません」という回答を載せていました。

 また、会社がその運転手に対して、退職勧告をして、今後こういうことがあったら、退職してもらう、という勧告をしているのを読んで、「苦しんでるのは俺だけじゃねえんだ」という気持ちが湧いてきました。

 それからはいろいろな会合に出るようになり、ある弁護士から電話がかかってきて、「運送約款を変更することができる。タバコを吸う人は乗せない、という変更届を出さないか」と言われました。「それではぜひ」ということで禁煙タクシーの申請の取り組みを始めたわけなんです。

 実際に申請をしたのは1987年11月2日ですが、その12月に車庫を壊されました。私のアパートの前に車庫があって、道路に面して窓ガラスが入っていた。その窓ガラスや窓枠を全部割られて、「個人 安井タクシー 車庫」と書いた看板も割られました。警察に届けたけど、犯人は見つかりませんでした。

 認可されたのは1988年2月26日で、近センに通報された事件の2年後。奇遇だなあと思いました。その間には仕事を控えめにしていろんな団体の会議に出ましたが、ほとんど金曜日の夜なんです。金曜日は稼ぎ時で当時1日5万は稼いだので、月に2回休んだとしても、たいへんな損失ですよ。

 でも、そこまでしても禁煙タクシーを実現したかったのです。法人タクシーでも、運転手が禁煙者ならば禁煙車にできる、そこまで持っていこうと考えていたので。法人でもその中で苦しんでいる運転手がいるわけですから。経営者に対して、国がそういうふうに義務付けるべきだと考えていました。

 1988年4月から禁煙タクシーの営業を始めましたが、認可の前に運輸省に呼ばれました。

 私は、禁煙車とするからには完全禁煙で、それが義務付けられるものと思っていたのに、認可された後の条件をよく見ると、タバコを吸った客を降ろす場合は交通の便のあるところまで行ってから降ろせ、と。

 その間にタバコを吸われてますよ。トラブルになった場合は、報告義務がある、ということは、吸いたい客には吸わせないといけなくなる。

 実際に、私とともに「禁煙タクシー第1号」になった方は、毅然として喫煙客を断ったためにトラブルになって、運輸局に通報されて1ヵ月の営業停止になった。これが報道されたので、企業としてはトラブルになったら困るから、禁煙タクシーは一切だめだと。個人タクシーも申請がストップして、あとに続く者がなかなかいなかったんです。

 そこで私は、行政に対して、「なんで禁煙タクシーをするのに申請が必要なんだ。最初の俺だけでいいじゃないか。先鞭はついたんだから後は自由にすればいいじゃないか」と読売新聞に投書したら、取材に来てくれて大きく記事になり、その1ヵ月後には、認可なしでも禁煙車の表示を出せばよくなった。

 それが2000年の8月1日からです。それからはお客も禁煙マークを見たら吸わないということになりました。

◇受動喫煙による健康被害が発生
 でも、禁煙タクシーを自由化する前の1994年に狭心症になってしまいました。

 その10年前くらいから予兆はありましたが、狭心症とわかったときは奈落の底に落とされた気持ちでした。医者には「こういう症状はタクシーの運転手に実に多い。これから研究課題にしたい」と言われました。

 何回か診断を受けた時に、受動喫煙もひどいので、その影響じゃないか、と尋ねましたが、全然反応がなかった。タクシー運転手は人間の生活リズムを崩しているのでそうなるんじゃないか、というだけで。狭心症と診断した医者が受動喫煙を認めてくれたら大きかったんだけど。今も治療を続けています。

 東京タクシー近代化センター相手に、受動喫煙を強要されたために受けた健康被害についての賠償を求める裁判をすること決めたのは2005年になってからです。2003年に健康増進法が成立した時に、厚労省の下請け機関の講習を受講したときに取り寄せた資料の中に、日本でも心臓病と受動喫煙が関係ある、と載っていました。

 その健康被害の原因を知ってから3年で時効になるので、時効にかかる前の2006年5月に裁判を起こしました。
 
■訴状(上)
安井さんが狭心症を患った(1994年)真の加害者である東京タクシー近代化センター(現在は財団法人東京タクシーセンター)を相手に起こした裁判の訴状。東京タクシー近代化センターが1969年に設立されて以降、喫煙を客へのサービスと強要する姿勢により、安井さんは長年受動喫煙の被害を受け続けた。

■診断書(下)
喉頭がんの診断書及び手術証明書。安井さんのような非喫煙者の喉頭がんは、ほぼ100%受動喫煙が原因だという。

 

 

 裁判を起こす前、2年前ですが、声が出なくなって、手術をしたところ、良性の腫瘍でした。ところが今年になって、別の病院で診察を受けたら、ガンの宣告を受けました。1月29日に手術を受けて、2月26日に「ガンと断定します」と言われた。

 すごいショックですよ。そらもうはんぱじゃないですよ、正直言って。.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。



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タクシー全面禁煙をめざす会会費
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団体会員 1口 5,000円(複数口可)

郵便為替口座番号 00270-4-131175
口座名義 タクシー全面禁煙をめざす会

■安井さんの最終の本人陳述は、7月11日(水)10:30より東京地裁626号法廷で行われる予定。

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