デパ地下で痴漢にされ失職した元高校教諭「それでも僕はやってない」横浜地裁が免職取消請求も棄却
高島屋横浜店の地下食料品売り場。店員が試食をよびかけているあたりで河野氏はA子さんとすれ違いざまにぶつかった。被害を主張するA子さんもB子さんも、まわりに人がおらず、河野氏しかいなかったと供述している。 |
- Digest
-
- 「このまま突き進んだときの結果を考えると恐ろしい」
- デパ地下ぶつかっただけで痴漢犯に
- 取り調べ2時間のみ、微物鑑定未実施、調書隠蔽
- 高裁判決後に発覚した新事実と「現場感覚」
- 議事録も残さず判決文等の資料も提出せずに懲戒免職を決定
- 東京高裁判決は「職を失うのはいささか酷に過ぎると思われる」
※記事末尾に刑事裁判の上告趣意書PDFダウンロード可
(7~8、11~12頁に重大な新事実の記載あり)
「このまま突き進んだときの結果を考えると恐ろしい」
8月30日午後1時10分、横浜地裁502号法廷。満席になった傍聴席、法廷外では入りきれない傍聴希望者が待機する中、阿部正幸裁判長は「訴えを棄却する」と小さな声を発し、判決要旨も読まず退廷した。
傍聴席の後ろから「要旨を読め」とぼそっという声が聞こえ、ほとんどの人は、すぐには席を立つことができず、数十秒間、その場に座ったままだった。
弁護団と支援者らは裁判所となりの横浜弁護士会館に移動し、報告集会が行われた。
判決を受けた河野優司氏は、表面的には、すっきりと穏やかな表情に見える。彼は、集まった支援者らにまず謝辞を述べ、次のように語った。
「私は控訴しません」
この一言を聞いた人々のなかから、ため息のようなものが漏れた。もちろん本人の意向が最優先されるが、弁護団や関係者と話し合った後、控訴するか否か決定される。9月13日が控訴の期限だ。集まった人々を前に現在の心境を彼はつぎのように話した。
「日本は法治国家だと私は思っています。判決を受け入れざるをえないと考えています。仮に私が死刑判決を受けても同じです。
しかし、私だけが法治主義を唱えても他の人がそうでなかったらどうなるのでしょうか。たとえば、教育委員会に対して、あなたたちは本当に法治国家の一員なのでしょうかと問いたいです。
処分決定の会議の議事録さえ残さない。処分を決定した教育委員の会議で(東京高裁の)判決理由すら読んでいない。せめてこういう重要な証拠を読んでから決定を下すべきではないでしょうか。
おそらく皆さんは、なぜ控訴しないのかと言うでしょう。でも、今の裁判は裁判官次第で決まってしまうのです。『裁判官Who's Whow』(現代人文社)の編著者の池添徳明(フリージャーナリスト)さんのツイッターでも、ろくでもない裁判官が99%、それが言い過ぎなら90%と書かれています。いい裁判官に当たらなければ、きちんとした判決が得られないです。
東電OL殺人事件の冤罪者ゴビンダさんも『いい裁判官、わかってくれる裁判官に出会った』と言っています。ということは、出会わなければ今ごろまだ獄中にいたということなんです。
私が控訴してまた負けたとすると、最高裁に上告、それで棄却されたら今度は再審となるんですか? いったい何年かかるのか? そして最後の最後で蹴られたらどうなるのか?
おそらく、自分なりにけじめをつけることになる。そうなるのが恐ろしいから私は控訴しないのです」
冷静に、穏やかに、かつ明確に河野氏が率直な心情を述べたのだが、廊下まであふれた集会参加者たちは、沈黙するのみで言葉を返せなかった。
実は弁護団は、かなりの確率で勝訴すると読んでおり、この裁判で勝てないなら、いったい誰がどのように勝訴できるのかというくらいだったのである。日本の犯罪捜査や裁判の信頼性が揺らいでいる危機的状況を少しでも知ってもらうためには、いまここで二つの点を明らかにしなければならない。
ひとつは、河野氏が巻き込まれた痴漢事件の捜査と裁判の顛末。もうひとつは、確定有罪判決を理由に懲戒免職処分を決めた横浜市教育委員会の問題点である。まずは、痴漢事件そのものを振り返ってみる。
デパ地下ぶつかっただけで痴漢犯に
判決の2週間ほど前の8月中旬、河野優司氏と待ち合わせ、事件現場とされる横浜高島屋の地下食糧品売り場へ向かった。正面入り口から入り、エスカレーターを降り、あの日とまったく同じコースである。事件現場見取り図。①がA子さんとぶつかった場所、②がB子さんと接触したとされる場所、③はB子さんが河野氏の腕をつかんだ場所。左は河野氏の手書きによる説明図 |
「ここで、女性とぶつかりました。ショルダーバッグにはカードなど貴重品があり、人込みなので一応バッグを守るような形で歩いていると、女性と肩が少し強くぶつかったのですが、普通なら『すみません』の言葉が出たかもしれません。しかしその日は、そのまま通り過ぎてしまったのを覚えています」
2006年1月15日午前10時40分ごろ、河野氏は右肩が女性とぶつかり、そのままおよそ10メートルも離れないところで、突然「あんたでしょ、触ったでしょ」とものすごい怒声をあびせられて、ぶつかったのとは別の女性に腕を掴まれた。
これがすべての始まりだった。検察が書いたストーリーは、
この先は会員限定です。
会員の方は下記よりログインいただくとお読みいただけます。
ログインすると画像が拡大可能です。
- ・本文文字数:残り5,491字/全文7,470字
2012年8月30日、行政訴訟の判決文。一刀両断で、原告側の主張をまったく受け入れなかった。
河野氏が提出した陳述書。問題点も整理されており、心情もわかる。
「河野さんの冤罪を晴らし職場復帰を実現させる会」の飯田洋代表が書いた幻の勝利声明文。弁護団は充分にありと見込んでいた。これで勝てなければどの裁判も勝てないという意気込みであった。
(上)東京高裁の判決文の一部。職を失わせるのは酷とまで記述している(2007年4月23日)。(下)高裁判決直後に、新たな重大事実がわかって上告趣意書を提出したが、最高裁は上告を棄却した(2007年11月6日)。
Twitterコメント
はてなブックマークコメント
facebookコメント
読者コメント
東京高裁が免職取り消しの請求をを認める判決を下した。横浜市教育委員会(横浜市)が敗北・ところが先ほど、市が最高裁へ上告し教育委員には事後承諾をとる、との情報が寄せられた。
日本の裁判の絶望的状況から、いったんは「控訴しません」と述べた河野優司さんだが、紆余曲折を経て控訴しました。きちんと証拠を調べ、証人も呼ぶ裁判にしてもらいたいです。
この国では何も信じられない。ため息ばかりです。
そもそも「物証ゼロ・目撃ゼロでは有罪にしてはいけない」と云う条項を作るべきだ。
裁判所も検察も警察もそうだが、
国民はちゃんとした裁判や捜査をして欲しいのであって、
有罪を勝ち取る事に固執しないで欲しい。
裁判で負けても、検察が負けた事にはならないのだが・・・。
裁判所も検察の思惑ばかり汲み取るなよ。
警察官の強制わいせつはうやむや・・米兵の強盗。強姦もあまあま。民の信を失った為政者が長続きしたためしはない。
また鈴木健太同様の判事ばかりか
弁護士の要請にこたえた横浜高島屋(事件現場)の回答書も、裁判所は採用しなかった。いくつもの証拠採用を拒否。その一方、被害者の一人の検事調書が起訴前にできていなかったことも判明している。
”被害女性”は、周りにはこの人(河野氏)しかいなかったと証言。河野氏らは、事件と同じ曜日同じ時間帯に現場を撮影して混雑ぶりを示そうとしたが、裁判所は証拠採用を拒否。
記者からの追加情報
『推定有罪~ある痴漢えん罪の記録と記憶Ⅰ』
『続推定有罪~ある痴漢冤罪の記録と記憶Ⅱ』
問い合わせ先:河野さんのえん罪を晴らし職場復帰を実現する会(横浜市立高等学校教職員組合内)
TEL045-241-2744
FAX045-241-2733
本文:全約7500字のうち約5600字が
会員登録をご希望の方はここでご登録下さい
新着のお知らせをメールで受けたい方はここでご登録下さい(無料)
企画「その税金、無駄遣い、するな。」トップページへ
本企画趣旨に賛同いただき、取材協力いただけるかたは、info@mynewsjapan.comまでご連絡下さい。会員ID(1年分)進呈します。