読売新聞が3月31日から、実質的な値上げに踏み切った。「メガ文字」に拡大することによって、文字数、つまり情報量を約20%削減。要するに、これまで5つ入りだったお菓子を4つ入りにしたのに価格は据え置いた、ということになる。視力が衰えた中高年に迎合した形で、若者の新聞離れがますます加速しそうだ。
3月31日、出張先のホテルのフロントに、毎日新聞と読売新聞が、1メートル以上、山と積み上がっていた。無料配付キャンペーンだそうだ。チェックアウトを延長したので時刻は14時過ぎ。これらも「押し紙」と同様、誰に読まれることもなく、リサイクル場や中国に渡るのかと思うと、新聞の凋落がよくわかる。
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タダでも持っていく人が少なく、余りまくっている読売新聞 |
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そんな朝刊2紙を久しぶりに手に取ると、毎日新聞はページ数が少ないうえに読むところがなく、30秒で棄てるほかなかった。月曜日だからニュースが少ないのだろうが、惰性で出しているとしか思えない紙面作りだ。
一方、読売新聞は、「メガ文字」なるものの開始について、一面でお知らせしたうえで、まる2ページにおよぶ特集を組んでいた。お年寄りだけでなく小学生にも「文字が大きい方がいい」といった内容のことを言わせ、歓迎ムード一色。予想どおり、「やらせ」の内容だ。
ネット上でも、「大きな文字で脳活性化」などという、一方的に都合のよい学説を載せ、読者をミスリードしようと必死である。
それらのどこを読んでも、具体的に情報量がどの程度減るのか、という消費者の利益にかかわる肝心要の話については、一切ふれていない。読者センターに電話で聞いた。
--読者ですが、今日の朝刊に出てるメガ文字の件です。今日からどれくらい情報量が減るのでしょうか?全部読んでも、その数字が出ていなかったもので。
「えーっと、およそ23%文字が大きくなって、その分、やはり20%ほどは文字数が減ることになります」
--私のような30代だと、文字が大きいより情報量が多いほうが嬉しいのですが。
「どうしても新聞を熱心に読んで意見を言ってくるのはお年寄りが多いんです。文字が小さいと目が悪くなってよくない、とか。中高年のかたの声が大きく反映されているのは確かだと思います」
--情報量を減らした、ということは、要するに値上げした、ということですよね。そういう意見はそちらにはきていないですか?
「あっというまに読み終わってしまう、とか、情報量が少ない、とかいう意見はきています。私どもとしては、重複の表現をなくしたり、見出しのスペースを減らしたりして、なるべく情報量が減らないように努めてまいります」
--ページ数が増えてたり、広告スペースを減らして記事スペースを増やしてるなら分かりますが、そうでもないですよね。
「バブルの頃が最後でして、ここ10年ほどはページ数も増えていないです。広告スペースは変わりません」
--情報量を2割減らしたら、価格も2割下げるのなら分かるのですが。
「かつてのように部数が拡大する見通しもないですし、広告収入も伸びるような経済情勢ではないですから、とても難しいです。文字数を減らしても、記事本数は減らさない方針ですから・・・」
--若い世代はネットでまず第一報を読み、新聞は、さらに詳しい内容を知りたいときに読みます。だから、詳しい情報がたくさん載っていないと意味がないのに、どうして情報量減らしてしまうんでしょうか。若者は眼中にないということだと、「団塊の世代」とともに新聞も消えていくのでは・・・。
「詳細な情報を得たい人向けに小さい文字のページを作る、ということも検討していきたいとは思っております」
--若者の新聞離れが進むだけだと思いますけど。
「そういったご意見があることは伝えておきます」
私はふだん、新聞なんか読まないが、1消費者として聞いてみた。ネット新聞を経営していていつも感じることだが、紙は眼に優しいので、長文を読むのに適している。ネットはどうしてもその点で劣る。にもかかわらず、新聞は、目先の顧客を確保するために、紙の長所を殺す選択をした。
新聞は、再販の特殊指定という規制に守られ、価格競争がない。だからといって情報量ばかり一方的に減らされたら、「チラシではなく記事を求めて新聞を買っている人」は、さすがにバカにされていることに気づくだろう。読売は「どうせテレビ欄とスポーツ欄とチラシしか見ないから大丈夫」くらいに思っているのだろうか。
新聞は「10年後の若者よりも目先の老人」を選択したのだ。もはや老人とともに他界していく、ということである。
