N氏の自殺にかかわる歴代社長。上左から中村雅哉(創業~02年3月)、高木九四郎(02年4月~05年3月)。下左から石村繁一(05年4月~06年3月)、鵜之沢伸(09年4月~10年3月)、石川祝男(06年4月~09年3月、10年4月~12年1月現在)
|
バンダイナムコゲームス(旧ナムコ)の社員N氏は、「ゲームを通して人々に喜ばれる仕事をしたい」との思いから入社したが、意に反してパチンコ・パチスロの開発部署に異動となってから、うつ病を発症。N氏は何度も異動願いを出し、医師も再三、「部署の配属転換が望ましい」と警告していたが、会社側が対処しなかった結果、異動から約9ヵ月後、N氏は自殺した。会社側は「安全配慮義務を果たした」の一点張りで説明を尽くさなかったため、遺族が裁判を起こし、2011年6月、一審で会社側が全面敗訴。先月、示談が成立した。一見、楽しそうなイメージもあるゲーム会社の社内で起きた「闇の事件」、マスコミでは報じられない真相を詳報する。
【Digest】
◇願掛けて髪を伸ばし情熱を注いだ研究開発
◇パチンコ、パチスロ部署に配転直後にうつ
◇医師の診断書「配置転換が望ましい」を2度無視
◇「部署を何で変えてくれなかったんですか!」通夜で遺族
◇「お悔やみ申し上げます。ただ…」バンダイナムコゲームス
◇願掛けて髪を伸ばし情熱を注いだ研究開発
筆者がこの事件を知ったとき、すでに裁判は一審判決で原告が全面勝訴した上で、二審の途中から和解交渉に入っていた。しかも、それからしばらくすると、示談が成立した。示談をすると守秘義務を理由に当事者が取材に応じないケースが多い。念のため、原告の代理人松岡立行氏に取材を申し込んでみると、「和解の最中なので非公開で取材に応じることはできません」という。
そうした事情から、事件の実態を、裁判記録に基づき、調べることにした。事件は次のようなものだった。
自殺した社員は、N氏(仮名。自殺当時30代前半)。N氏は中部地方の国立大の理系学部を卒業後、1990年代前半に、総合職としてナムコに入社した。
ナムコへの応募動機を、N氏はこう記している。
「中学生のときにおけるゼビウスとの出会いで、自分もゲーム開発を行いたいと思い、独立系で経営が安定している貴社が一番良いとかんがえたため」。
|
画像2:N氏は中学時代のゲーム「ゼビウス」がきっかけでナムコ(現バンダイナムコゲームス)に入社した |
|
ゼビウスとは、ナムコが1983年に発売したシューティングゲームで、傑作との呼び声が高い。
入社当初、N氏は、希望通りの職種であるプログラマーとして研究部に配属された。そこで約7年間、「システム33」の開発に携わった。システム33とは、ナムコが研究開発に力を入れていたゲームの汎用機盤を指す。N氏にとって、その頃が最も仕事に情熱を注いでいた時期だった。当時について、こんなエピソードがある。
入社から7年目、N氏は中部地方の実家に帰省時、今までとは別人と思うほどに髪を伸ばしていた。その長さは40~50センチもあり、両親に対し、「願をかけている。成果が出て日の目を見るまで切らない」と語っていたという。
N氏の両親は、何に賭けているのかわからなかったが、N氏の死後、同期社員がこう打ち明けたそうだ。
「N君は研究部配属となり、業務ゲーム機の研究開発を担当していました。わが社では社運を賭けた一大事業として、ゲーム機のシステムの研究開発のプロジェクトチームを結成し、彼はその一員として精力的に取り組んでいました。チームの体制は数十人で、彼はそのスタッフとして研究の成果に希望を燃やしていました。
開発には数百億円を投じましたが、参入していたライバルのソニーは数百人体制で、東芝と共同開発し、投資額は数千億円と比較にならないものでした。技術的には当社が拮抗していたものの、製造コスト面でソニーに太刀打ちできず、ついには開発を断念するにいたったのです」
◇パチンコ、パチスロ部署に配転直後にうつ
こうして情熱を燃やしたゲーム機の開発はあえなく中止となってしまった。そこから事態は暗転していく。まず、N氏は2000年代前半に技術本部に転属。そこでソフト開発を担当することになった。ところが、それから1年後、今度はその技術本部も廃止され、新たに発足した研究本部という部署に所属となった。さらにその1年後、今度は「P7開発グループ」という部署の技術チームに転属した。これが決定的な転機となった。
同チームは約15人。業務内容は「パチンコ、パチスロ」の液晶表示、ソフトのプログラム製作。具体的には、ナムコが開発販売して大ヒットしたゲームソフト鉄拳をパチスロに導入する仕事だった。
この仕事にN氏は苦しんだ。遺族によると、N氏は生前、「人々に喜ばれる仕事をして、その笑顔を見るのが生きがい」と語っていたという。
|
画像3:ナムコのゲーム鉄拳のパチスロ |
|
いうまでもなくパチンコ、パチスロは、勝って喜ぶ人もなかにはいるだろうが、負ける人が多い。ギャンブル依存症、借金漬け、自己破産と、人生を狂わせることもある
.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
|
画像4:N氏が勤務していたナムコ横浜未来研究所は、横浜市営地下鉄ブルーライン(3号線)仲町台駅から徒歩約15分の場所にあった。現在は売却してマンションが建っている |
|
|
画像5:タカハシクリニック(東京都大田区蒲田4-29-11高橋ビル)。N氏を診察した高橋龍太郎院長は、再三にわたり、部署の配置転換の必要性を診断書に記載していた |
|
|
画像6:バンダイナムコ未来研究所(東京都品川区東品川4-5-15) |
|
