日産デザイナー切り訴訟 デザインを売りにする日産自動車の裏側
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原告の土谷理美氏 |
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「ご面談」で日産に転職
土谷氏は都内の渋谷にあるデザイン専門学校「桑沢デザイン研究所」を卒業後、一貫してデザイナーの道を歩んできた。そのキャリアをみていくと、非正規を酷使する日本の大手メーカーの裏面史もみえてくる。土谷氏が卒業した時期は、ちょうど1990年代後半の就職氷河期だった。そのなかで就職したのが、横浜にあるデジタルコンテンツを作成するデザイン会社だった。土谷氏は語る。
「その会社は、月200時間以上も残業がありましたが、残業代はなし。給与は月16万円。無保険、無年金。ボーナスも退職金もなし。交通費だけはかろうじて出る会社でした」
その会社はほどなくして潰れた。土谷氏は新しい就職先を探したが、なかなかみつからず、派遣会社テンプスタッフに登録した。そして1999年から2002年暮れまで、パナソニックで携帯電話のGUIをつくる仕事に従事することになったという。職場は最初の1年半が神奈川県の綱島、後半が同県の鴨居の事業所だった。「GUI」とは、グラフィカル・ユーザー・インターフェースの略で、携帯の画面などで、グラフィックを多用して操作する技術を指す。
「ちょうど白黒の携帯画面からカラーが出始めた時期で、携帯電話が急速に普及した時期でした。そうしたときにパナソニック内で、ドコモの携帯をつくるチームに入り、正社員と2人1組でチームを組んで、正社員が仕様を決めて、派遣のデザイナーがデザインを提案をし、携帯電話のGUIを作成しました。ドコモの「mova(ムーバ)」のP502からP506までの機種や、フォーマの初号機をやりました。とにかく、モデルの入れ替えが激しい時期で、最初は260色だったのが、1000色、3000色、5000色と、どんどん増えて、新しい機種が開発されるタームもすごく早かった」と言う。
時給は1,700円でスタートして、毎年、30~40円アップし、最後は1,800円だった。土谷氏は「やりがいはものすごくありました」と当時を振り返る。しかし、激務で体を壊してしまった。
「毎日、朝の9時から夜の9時までパソコン画面をみているので、目と肩が疲れる仕事でした。それで『頸肩腕症候群』(けいけんわんしょうこうぐん)になって、目が見えなくなってしまい、モニターの文字がボヤーとにじむようになりました。それに不眠症で夜も頭がカンカンで、眠れなくなってしまったんです。それで上司に『すみません、目が見えなくなってしまいました』というと『とりあえず休んで』といわれて、3か月休業しました」
その後、職場に戻ったが、「このまま働き続けるのは無理かもしれない。もう少しゆったりした仕事の方がよい」と判断し、テンプスタッフに聞くと「日産のテクニカルセンターでデザインのオペレーターを募集してますよ。どうしますか?」と言われて面談することに決まった。
面接ではなく、「面談」である。
「面接と面談の違い、わかります?」といい、土谷氏はこう語る
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神奈川県厚木市内にある日産テクニカルセンター
原告がプレゼン用に作成したグラフィック
ゴーン氏以下の重役はテクニカルセンター内にある映画館のようなホールでプレゼン資料を見ながらデザインを決定した。写真はテクニカルセンターに隣接する先進技術開発センター内のホール
原告の雇い止めの文書
訴状。全文は記事末尾からダウンロード可
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