山崎パン 1人部署の「名ばかり管理職」に朝までサビ残強制→うつで労災認定→裁判→8百万円で和解
山崎製パン社長の飯島延浩氏(同社サイトより)。1979年に現職就任。父親は創業者の飯島藤十郎氏 |
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1人部署に配属されて残業地獄
製パン業界トップの山崎製パン(以下、「山崎パン」)。裁判資料によると、Y氏(現在60代前半)は1972年に、山崎パンに入社し、主にセールス課など営業畑を歩んだ。1999年以降は、京都工場・久御山事業所の営業課クールデリカ部門に配属された。
クールデリカ部門は、山崎パンの主力である食パンではなく、ひと手間加えて調理した、パンに具が挟まったサンドイッチなどを中心に扱う。その業務内容は、調理パン・弁当・惣菜の、販路拡大・売上管理・クレーム対応など。人員は、課長1人、係長1人、そして担当課員が、Y氏含め2人の、計4人体制であった。
Y氏の運命が一変したのは、03年7月からだった。同月、山崎パンのクールデリカ事業部が、子会社サンデリカに事業統合されることに伴い、久御山事業所など8事業所が、サンデリカによる運営になったのである。
サンデリカとは、山崎パン100%子会社で、1980年に設立されていた。事業内容は、調理パン・弁当・惣菜など、いわゆる「中食」の製造販売である。
この統合を機にY氏は、山崎パンに籍を置いたまま、サンデリカへの出向社員として、久御山事業所で勤務することになった。
肩書きは、「営業課営業担当係長」だが、係長といっても部下はいなかった。課員はY氏のみの1人部署だ。
しかも、事業統合に伴い、サンデリカで生産した商品は、山崎パンに卸し、山崎パンが各小売店に販売することになった。しかし小売店への販路拡大の営業は、サンデリカが引き続き行うこととされた。
要するに、Y氏のいる営業課の業務量は変わらず、これまで4人で行っていた仕事をY氏1人でやることになった。
当初、事業所長は、将来の増員を約束していた。だが、一向に増えない中、Y氏は何とかこなしていた。
ところが、さらに業務量は増えて行った
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デイリーヤマザキ(京都市内で撮影)
山崎製パン本社。子会社サンデリカ本社は同ビル6階。(東京都千代田区岩本町3-10-1ヤマザキ岩本町ビル)
京都南労働基準監督署(京都市伏見区奉行前町6)
上は「Y氏の時間外労働の実態表(ごく一部抜粋)」。下は「月別の時間外労働(08年6月~10年2月)」
上は答弁書抜粋、下は和解条項
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読者コメント
山崎製パン 準社員で勤務してましたが、60歳で、定年しましたが 65歳までの再雇用はされましたが 仕事の内容は同じで アルバイト雇用で 収入は 3割減です。ブラックな労働実態ですね!雇用者は使い捨てですね。
強制労働の禁止(労働基準法第5条)
使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって労働者の意志に反して労働を強制してはなりません。
強制労働の禁止に違反した場合の罰則は、労働基準法中で最も重い1年以上10年以下の懲役又は20万円以上300万円以下の罰金が課せられます。
大東建託とランキング競っているようなのも因果かね。
上司の黒を黒と言い切って顧客の為清貧に甘んじて落とされた者の末路哀れか いたたまれないね。
自社ブランドのパンを食べないという噂は本当なんでしょうか?あの「食べてはいけない○○」シリーズの本に、やたらと登場しているからですか?
で、その後えらいさん達のコンプライアンスや社員のワークライフバランスはどうなったの?
昔もひどかったけれど、このところ耳に入ってくるのはこんなのばかりだ。
辞めるに辞められないし、訴えるに訴えられないし、持たない、つらい、どうかなりかかって引きこもった挙げ句の自殺もある。身近に。
記者からの追加情報
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