PWC→マーサー→CDIの中里基に聞く、幸せな「ポストコンサルキャリア」の描き方――“業界内グルグル転職問題”からどう抜け出すか
コンサル歴9年、企業再生支援機構を経て、現在はリブセンスで経営企画部長を務める中里基氏。「コンサルは長くやればやるほど、潰しが利かなくなります」 |
- Digest
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- 日経を最終で落とされPWCに滑り込む
- IBMに買収され、現実逃避的に転職活動
- どうしてマーサーに移れたのか
- 数十人を3人に絞るところはエイヤでやる
- トランプの札みたいに交換してキャリアを進める
- CDIでは人事を売りに「1つ遅れて強みにしていった」
- 圧倒的に多忙でハードだったCDI時代
- 戦略系のマネージャーでステージが変わる
- 機構では、ビジネスデューデリでコンサルを雇う側に
- 「縁」の積み重ねで、給料を下げてリブセンスへ
- コンサル会社は長く居るほど潰しが利かなくなる
- 事業会社へ移るタイミング
- 事業会社に向いているタイプとは
- キャリアに成功も失敗もない
- 渡邉解説:動機と能力について
26歳 2001年3月、慶大院理工学研究科修了
同年4月、新卒でPWCコンサルティング(現日本IBM)入社。
28歳 2003年9月、マーサーHRコンサルティングに転職。
2005年、アソシエイトコンサルタントに昇格。
31歳 2006年5月、CDIに転職。
2008年、マネージャーに昇格。グロービス講師就任(現任)。
35歳 2010年4月、企業再生支援機構に転職。
2012年 ディレクターに昇格。
39歳 2014年8月、リブセンスに転職。
41歳 2016年8月現在、同社経営企画部長。
中里氏は、PWCコンサル内定時(院2年)の2000年当時、新しいメディアを作る学生団体(新聞記者志望の学生が中心)に参加しており、そこに同じ志を持つ渡邉(当時、PWCに在籍しつつ、記者とコンサルのキャリアを活かして新メディア設立を模索中だった)が呼ばれて出会い、4年後のMyNewsJapan設立にも準備段階から深く関与、創業メンバーとなった。
2004年の創業以来、商法上の正式な監査役である。当時は会社を作るために役員4人が必要だったため、マーサーのオフィスがある東京オペラシティに昼休みに訪れ、判子を押して貰った。「お金は出す余裕がないが、それ以外の協力はします」と言われ、ありがたかった。あれから12年が経った。
ここ数年、コンサル会社の30歳前後の若手・中堅を取材すると、30代後半から40代にかけてのキャリア設計に悩みを抱えているケースが多い。そこで、身近なところで、最も役に立つアドバイスができそうな人物として、中里氏に私がインタビューする形で登場してもらった。
私自身もコンサル出身でマネージャーまでやっているわけだが、かなり特異なケース(ニュースサイト&物書きで起業)であるため、ご興味あるかたはこちらの単行本、またはサイト連載(やりがいある仕事を市場原理のなかで実現する)を参照いただきたい。
日経を最終で落とされPWCに滑り込む
――新卒の就活は、どういう動機でPWCに決めたんでしたっけ。
慶応の院で機械工学科だと、僕がいた当時7~8割は研究室からの推薦で就職先が決まって、研究者・技術者として大手に就職していました。
僕は当時、産総研(産業技術総合研究所つくばセンター)に3年間派遣されて、産学官の共同研究をやっていたので、研究者になった場合の将来の姿を間近で見ることができました。ボスは役所の技官で、高重力場で人工ダイヤモンドを作って材料作製時の重力の影響を解明する研究でしたが、実験のペースはノンビリしたもので、海外からの留学生とかポスドクの人たちと16時半からバーベキュー、とか。
実際は学生には見えない世界もたくさんあって、メリハリを効かせていただけなのでしょうが、当時の自分にはそんなこと気づけなかった。無邪気に「単純にこれじゃ、学生時代と何も変わらないな」と。研究の専門性もやたら細分化されていて、もっと世の中と共通言語をもって、生きるか死ぬかの世界でキャリアを築いていきたいと漠然と感じていました。
反動で、ビジネスのど真ん中を志向するようになり、技術者ではなく、コンサル職を中心に就活しました。ビジネスのど真ん中=コンサルという未熟で短絡的な発想でしたね。7-8割が推薦で決めるなかで、つくばと横浜(大学の研究室)の合間にこそこそ就職活動やっていました。在学中に結婚して嫁に扶養される生活だったので、就職活動を通した稼ぐ力の自己確認、みたいな思いもあったのかもしれません。
――狭い世界でノンビリ働くことに魅力を感じなかった、と。確かに基礎研究のほうは、大手ほど、未だにそういうイメージですね。製品化に近い部署の開発者は発売日に追われてタイヘンそうですが。
確か、新聞記者を目指すシューカツ団体にも、所属していましたよね。朝日や読売の内定者がいて。そこに僕が、新聞記者出身ということで呼ばれて。
新卒の就活では、まず戦略系は完膚なきままに落ちました。準備不足とか自己分析不足とかでは全くなく、単純に力不足であり実力不足です。また活字が好きで、本の虫だったので(これまた短絡的に)新聞社も受けていて、日経新聞がよくわからないまま最終面接まで行って、最後の最後で落とされました。これも実力ないのにたまたま進んでしまっただけなので、まあそんなものだろうなと。
それで、ゴールデンウィークごろ(2000年5月)にPWCの内定が出たので、もうここでいいや、という感じで。ITバブルの拡大期だったので、同期は150人くらいいて、早慶くらいの学歴なら誰でもOK、みたいな時代に滑り込んだ感じ。配属先部署も分からない一括採用ですし、先のことは深く考えていません。こんな無能な自分を拾ってもらってラッキーくらいな感じでした。
インタビュアーは編集長の渡邉正裕。コンサル歴5年後、(株)MyNewsJapan設立。現在13年目。 |
IBMに買収され、現実逃避的に転職活動
――僕がPWCに転職したのがその前年の1999年10月だったので、当時の誰でもOKだった雰囲気はよくわかります。
採用人数の目標が各部署に課されていて、とにかく採らないといけなかった。
僕が入った部署(ABM推進事業部=BPRなど組織・業務改革系)は1年で3倍に増えて100人を超えました。
→IBMビジネスコンサルティングサービス(清水照雄社長時代)
中里さんは結局、IT系の部署に配属されたんですよね。希望どおりだったのでしょうか?
「ABAP」というコンピュータ言語で、人事の「SAP R/3」(ERPの一つ)を導入する部署でした。後で聞いたら、名簿のあいうえお順とかで、かなり適当に配属を決めていたそうで、大量採用の新卒配属なんてそんなもんでしょう。だから、ポテンシャル採用の新卒のときに、あまり配属先に意味など求めても意味がない。適性なんて勝手に自分が妄想しているだけで、全員ポテンシャルなので、何やらされるかなんて運と縁でしかないですから。
新卒が派遣されるタンパ(フロリダ州)の研修に行って、ちょうど「9.11」テロが起きて日本に戻って、プロジェクトに配属になっても、やる仕事は、雨の日に先輩方が外出るの面倒だからメンバー全員分の弁当買い出しとか、エアコンが切れた深夜のプロジェクトルームに量販店で扇風機買ってくるとか。まずはせめてエクセルで分析っぽい事とかパワポでプレゼンっぽいこととかやりたいなあと、雑用の日々の中でぼんやり思っていました。
まあ終わってみればJAVAとかSQLとか当時ホットなITスキルは身に付きましたが、正直、ITの型にはまる感じが、すぐ飽きてしまって。。。当時は根性なしでしたね。1年くらいたって、そつなくこなせるようにはなってきましたが、でもこらえ性のないダメな新人だったと思います。
入社2年目には、PWCがIBMに買収されました。PWCを成長させた倉重英樹さんが社長の頃はまだ社員を守るというか、攻めてる空気がありましたが、次に日本IBMから送り込まれた清水照雄社長に代わったあたりで、なんかそんな空気もなくなった気がして、現実逃避的に転職活動を始めたんです。
人材紹介会社に登録して、最初の昇格(昇格といっても大したものでもなく3年目に同期の何割かがほぼ一律で上がる)が決まった後くらいに、入社2年4か月でマーサーに移籍しました。
マーサーでの部署は、M&Aにともなう人事コンサルでした。PWCがIBMにM&Aされた影響を肌で感じて、人生を変えるM&Aへの興味と、型にはまるITのソリューションからの反動として、最も型にはまらなそうな人と組織に興味を持った、という単純な理由でした。
どうしてマーサーに移れたのか
――ふつう、IT系のコンサルが、人事やM&A関連の部署にいきなり中途で転職するのって、すごく難しいと思うんですが、先輩がいたとか、何かコネがあったんですか?
「CDIが圧倒的なハードさだったので、今の会社で『キツい』と言ってる若手を見ると、全員『ヌルい』と感じます」 |
マーサーへの転職は、コネは何もなくて、ふつうに人材紹介会社の「ムービン」を使いました。どうして転職できたのかというと、
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CDIのキャリアパスと報酬水準
PWC時代の同僚は12年後の現在、何をしているのか(任意の20人=当時、ほぼ全員が渡邉と同じ部署に所属していた)
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読者コメント
リブセンスは2017年2月13日の取締役会において、3月29日開催予定の第11回定時株主総会に議案として上程する役員候補者を決定した。新役員体制は、取締役(新任)中里 基=子会社および管理部門を所管、
http://www.mynewsjapan.com/static/extrapictures/livesensenakazato.pdf
となり、取締役は、創業者の村上太一社長と2名体制となる。
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