グーグル型の360度人事評価は、価値観の変容なのか?
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- 「デキると思われている人」が下す評価は納得性が高い?
- 「納得性」の変容
- 結論は出せないが
株式会社はてなは、社員の評価に変則的な360度評価を活用している。360度評価というのは、通常の上司から部下への人事評価ではなく、上司に加え同僚や部下、あるいは顧客・取引先からの評価を行なうというものだ。
「デキると思われている人」が下す評価は納得性が高い?
ここまでであればそれほど珍しくないが、この会社の特徴的なところは、集まってきた多面評価結果に対し、「周囲から高い評価を受けている人=デキる人」とみなし、そのデキる人が下した評価を重視している、ということである。
これは、圧倒的に珍しい。というか聞いたことがない。
本来、評価というものは、納得できてなんぼである。納得性とは、誰が評価したかで決まるものでなく、なぜこの評価になったかできまる。文字に落とすと当たり前だが「評価者」ではなく「評価内容」で決まるはずだ。
そう考えると、「デキる(と周りから思われている)人」が評価したからといって、評価内容と根拠が(本人から見て)正しいものでないならば、決して納得性など得られない。極端な話、誰が評価しようが、その内容が妥当で、そこに根拠がきっちりあれば納得できるはずなのだ。
しかし、一部報道によれば、「はてな」の場合、この手法による多面評価自体に、なぜか納得性がある、というのだ(2006年2月7日『日経産業新聞』)。
「納得性」の変容
これが事実であるとすれば、なぜだろうか。私はここに、労働者にとっての「納得性」という価値観の根源的な変容の可能性を見る。
一旦、評価から離れて考えると、この「デキる人」の形成メカニズムはGoogleのようなタイプの検索エンジンの発想と類似している。すなわち「高評価のサイトから高評価を受けているサイトが高評価である」という考え方。これ自体、まさに「はてな」の多面評価を支配する考え方そのものだ。
この考え方を極めて自然に受け入れられる人にとっては、おそらくこの(はてなが採用している意味での)「デキる人重視型多面評価」も、納得性が高いものとなるのだろう。これは納得性の考え方、価値観が変容しているとはいえないだろうか。
こういったコンセプト自体を、ウェットな評価の世界に持ち込むこと自体が、大いなる錯覚といってしまえばそれまでだが、錯覚でも気づいていなければそれは納得につながる。気づいた上で受け入れていれば、これはまたすごいことで、やはり価値観の変容を思わずにはいられない。
結論は出せないが
その一方で、実は価値観など何も変わっておらず、錯覚していたのは私自身、という可能性も否定できない。
「はてな」では、例えば、そもそもデキる人の評価能力が高く、したがって評価内容や根拠自体が結果的に納得性が高いのかもしれない。
あるいは、デキる人の評価能力が低くても、評価内容や根拠自体が透明でわかりやすく、すなわちプロセス自体が優れているのかもしれない。
もしくは、評価が社長のトップダウンで決まるより、少なくとも他者の意見が聞き入れられる分、納得感があるという相対感の話なのかもしれない。
その価値観の変容が、真実なのか錯覚なのか、この段階では結論は出せないが、人と組織の観点から、非常に興味深い事例であることは相違ない。
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読者コメント
「ランク」1つに依存するのは一見わかりやすく、納得性が高いようですが、一義的な側面が強く影響してしまうので疑問です。評価結果をそのまま評価として使うのではなく、コメントを加えた評価結果を本人が自己分析し、翌年の改善目標とするとよいのでは。そのプロセスや改善された結果を評価していく必要があると思います。
できる人の価値観に沿った人が評価されていくわけですね。。 できないマネージャの下で悶々とするより、はるかに健全ですね
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