My News Japan My News Japan ニュースの現場にいる誰もが発信者のメディアです

ニュースの現場にいる誰もが発信者のメディアです

徳洲会・徳田親子、TPP反対集会に参加しない幹部を即時解雇で“粛清” 一審で徳田側が全面敗訴

情報提供
ReportsIMG_J20130615121112.jpg
左は医療法人徳洲会の徳田虎雄理事長(徳洲会グループHPより)。右は息子の徳田毅(自民党HPより)
 病院や介護施設など全国300超の医療施設を運営する徳洲会グループの1つ「徳之島病院」事務局長だった井ノ川誠氏(仮名、60代後半)は、かつては徳洲会と対立する陣営に所属する町会議員だったが、93年に徳田虎雄理事長に徳洲会に入るよう誘われ、約18年間にわたり勤務。ところが、その理事長の命で介護施設オープンに奔走していた11年11月、突然解雇に。納得いかない井ノ川氏は12年6月に損害賠償(925万円)を求め東京地裁に提訴、13年3月の一審判決で全面勝訴した。解雇の真の動機について判決文は「理事長の息子の徳田毅衆院議員の意向に従わず、TPP反対集会に参加しなかったことと推認される」と判断。今年2月に女性への暴行発覚で政務官を辞任した際も、被害者への和解金のうち800万円を徳洲会に用立てさせた“ドラ息子”虎田毅議員らによる無法な独裁人事の全容をお伝えする。
Digest
  • 「保徳戦争」という地獄
  • TPP反対集会に欠席で即時解雇宣告
  • 独裁者として君臨する徳田虎雄理事長
  • 労働審判が決裂し東京地裁に提訴
  • 「TPP反対集会に参加しなかったことが本件解雇の真の動機」判決文

「保徳戦争」という地獄

訴状や準備書面によると、原告の井ノ川誠氏(仮名、60代後半)は、「保徳(やすとく)戦争」のときに、徳洲会とは敵対関係だった経歴を持つ。保徳戦争とは、以下の“戦争”である。

保徳(やすとく)戦争とは、かつての鹿児島県奄美群島区で繰り広げられた島を二分する選挙戦。もともと奄美群島区は、1953年の奄美の本土復帰により生まれた選挙区。当時は「中選挙区」(1つの選挙区に3~5人程度当選する選挙制度)の時代だが、奄美群島区は日本で唯一の「小選挙区」(1つの選挙区に1人を選出)だった。

奄美群島区は当初、内閣官房副長官、郵政政務次官などを歴任した保岡武久氏の地盤だった。その後、武久氏は政界引退。息子の保岡興治氏に地盤を引き継ぎ、島の政治力学は比較的安定していた。がしかし、83年の衆院選に、奄美群島の徳之島出身の、医療法人徳洲会理事長・徳田虎雄氏が名乗りを上げ、島が真っ二つになった。保岡、徳田の両陣営は、選挙のたびに億単位の“実弾”を島民にばら撒き、相手陣営の買収を見張る小屋まで設置した。無線機をつかった尾行、盗聴、替え玉投票も横行した。町長、町議選も代理戦争の場と化し、夫婦、兄弟姉妹、親子の間柄を切り裂くほど抗争は激化した。

保岡、徳田両氏の衆院選直接対決の戦績は次の通り。

・1回戦(83年12月)

  保岡 49,643票 

  徳田 48,538票

・2回戦(86年7月)

  保岡 50,965票

  徳田 47,424票

・3回戦(90年2月)

  徳田 49,591票

  保岡 47,446票

その後、92年12月に衆院定数是正が国会で決まり、奄美群島区は鹿児島一区に合区され、保岡、徳田はともに当選。94年の小選挙区比例代表並立制の導入後は、両者は別の選挙区となり、保徳の直接対決はなくなった。

ちなみに保岡興治氏は、93年10月13日の衆院本会議で、保徳戦争について、こう発言をしている。

「奄美の選挙、保徳戦争と聞けば知らない人はいない、それくらい金権選挙や腐敗選挙の代名詞として報道されてきました。(略)こんな異常な選挙をやるくらいならいっそ政治家をやめてしまいたい、正直そのような思いに駆られるほどの“地獄を見た”こともまた事実であります」(議事録より)

なお、保岡氏は2013年現在も現職の衆院議員(鹿児島1区)。徳田虎雄氏は、05年に政界引退。息子の徳田毅氏(鹿児島2区、現職)に地盤を譲っている。

TPP反対集会に欠席で即時解雇宣告

この保徳戦争のさ中、井ノ川氏は、徳之島で保岡陣営の町会議員などをつとめ、辣腕を振るっていた。だが、上記の奄美群島区の消滅直後の、93年12月25日、井ノ川氏は徳田虎雄氏に誘われる形で、徳洲会と労働契約を締結。徳之島徳洲会病院の事務局長に就任した。

井ノ川氏の賃金(11年時点)は次の通り。

基本給 月額32万2300円

役職手当10万6000円

住宅手当1万4500円

通勤手当1万1300円

特別調整手当3万4000円

賃金小計48万8100円

夏賞与68万3000円

冬賞与71万300円

 年収7,250,500円

月日は流れ、井ノ川氏は、18年間にもわたって、徳洲会で働いていた。ところが2011年11月30日、事態が急変。徳田虎雄理事長の側近で、徳洲会の事務総長の肩書を持つ能宗克行氏が、徳之島にやってきたのだ。

この日、井ノ川氏は、島内にある有料老人ホーム「さみどり苑」にいた。同苑は、徳洲会副理事長で虎雄氏の夫人である徳田秀子氏が代表をつとめる、有限会社ソフィア・インターナショナルが運営。同苑の施設長は、井ノ川氏の夫人、聖子氏(仮名)である。

能宗氏は、まず、同苑の健康管理室に入り、徳田虎雄理事長に電話をかけ、理事長の意見を確認。その後、健康管理室に、井ノ川氏、徳之島病院事務部長のM氏、大久保伊仙クリニック事務長のF氏、聖子氏を入室させ、「理事長からの言葉ですので、皆の前で伝えたい」と言って厳粛な雰囲気を醸し出し、こう宣告したという。

「徳田理事長は『井ノ川を即時解雇にしろ、そして、聖子も解雇だ』と伝えなさい、とのことだ」

井ノ川氏が、解雇の理由を聞くと、能宗氏は、理事長の息子である徳田毅衆院議員が中心となって開催したTPP反対集会に、井ノ川氏が参加していなかったことから、井ノ川氏は、義理と人情がわからず、徳田家に対する忠誠心がないので、もはや徳洲会にいる資格はない、という趣旨のことを言い、井ノ川氏の夫人の解雇についても同じ理由、と述べた。

それを聞いた井ノ川氏は、あまりにも理不尽だと思った。

ReportsIMG_I20130618001952.gif
解雇通知書の概要(※筆者が裁判資料をメモして作成したもの=コピーや撮影はできないため)

TPP反対集会に参加することは、徳洲会職員の本来業務ではない上、反対集会への参加を命じられたこともなかったためだ。井ノ川氏は、能宗氏に対し、解雇理由の文書での通知を要求した。

独裁者として君臨する徳田虎雄理事長

翌11年12月1日付、徳洲会は解雇通知書を出した。

そこには、左記画像のように、井ノ川氏が、11年1月~10月までの間、出張に明け暮れており、その出張の理由に合理的な説明がつかない、といい、「貴殿の職務の懈怠の度合いは群を抜いており、その非違行為は論外」と指摘し、解雇処分はやむを得ない、と書かれていた。

これに対し、同月4日付で、井ノ川氏は、徳洲会に反論の書面(下記画像参照)を出している。そこには、「徳田理事長から22年度、23年度も、1年間で50か所以上介護施設を開所しなさい、との厳命があり、駆けずり回っておりました

この先は会員限定です。

会員の方は下記よりログインいただくとお読みいただけます。
ログインすると画像が拡大可能です。

  • ・本文文字数:残り4,356字/全文6,713字

解雇通知書に対する原告の反論

原告は、入札や契約締結などの都度、事細かに理事長に報告し、指示を仰いでいた

TPP集会欠席と解雇の関連性についての徳洲会側の主張の推移

徳洲会東京本部。地下1階は徳田毅氏の後援会が入っている(〒102-0083東京都千代田区麹町4-6-8ダイニチ麹町ビル2階)

公式SNSはこちら

はてなブックマークコメント

プロフィール画像
maturi2013/06/23 09:06

解雇規制

もっと見る
閉じる

facebookコメント

読者コメント

2013/09/22 23:19
※. コメントは会員ユーザのみ受け付けております。
もっと見る
閉じる
※注意事項

記者からの追加情報

本文:全約7000字のうち約4600字が
会員登録をご希望の方はここでご登録下さい

新着のお知らせをメールで受けたい方はここでご登録下さい(無料)

企画「CMリテラシー」トップページへ
企画「その税金、無駄遣い、するな。」トップページへ
本企画趣旨に賛同いただき、取材協力いただけるかたは、info@mynewsjapan.comまでご連絡下さい。会員ID(1年分)進呈します。