編集長ブログ一覧
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『88万ウォン世代』(兎晰熏・朴権一)2007年8月の出版2011/04/25
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『苦役列車』(西村賢太)僕は芥川賞と直木賞の違いも理解していない小説オンチなのだが、薦められて芥川賞作品だという『苦役列車』を読んだら、久しぶりに最後まで読めた。だいたい小説モノの8割は最初の100頁までに挫折するので、極めて珍しい。そもそも「事実は小説より奇なり」で、ノンフィクションのほうが面白いから、小説はダメだと思っていて、普段からほぼ読まない。夏目漱石や芥川龍之介の作品も未だに面白いとか価値があると思ったためしがない。一言でいうと退屈。なのに、なぜ最後まで読めたのか。インタビュー記事を見て、なるほど、と思った。『苦役列車』は9割以上が本当の話です。ただ、実際はちょっと違いますが、この状況だったらこうするだろうなというところだけはフィクションとして入れています。貫多と一緒に日雇いのアルバイトをしている日下部は、実際にはあのままの姿かたちでは存在していません。何人かのキャラクターを寄せ集めてできたほぼ架空の人物です。著者は中卒で、父親が性犯罪逮捕歴があり、著者自身も暴行傷害事件で二度逮捕歴があるという、幻冬舎・見城氏がいかにも好きそうなタイプ。それでも自身の「世間的に負」なプロフィールを作品中でも、まったく隠さない。メモ入れは9箇所こういう、ウソをつかない正直なキャラは好感を持てる。本作品は、荒唐無稽な話では全くなく、事実の寄せ集めなのだった。世の小説のほとんどは、「それはない、起こりえないな」「ロジックが通ってない」→「実世界では何の足しにもならない、つまらない」で終了なのだが、本作品は9割以上事実の「私小説」ということで、圧倒的なリアリティーがあった。主人公・貫多と、対照的な立場の「日下部」がメインキャストなのだが、登場人物が4人も5人も出てくるとうざいから1人にまとめて日下部という人物にしているわけで、これは小説ならではの利点だと思う。ノンフィクションは一切の創作を許されない世界だが、小説では、著者が伝えたいメッセージを表現するための最短距離で、物語を作れるのだ。この本では、「それはねーだろ」と突っ込むところが、1つもない。ああ、そうなんだろうな、と納得させられることしきりだった。ノンフィクションが好きな人にお勧め。特徴をまとめると、以下。①タイトルが抜群。『深夜特急』もそうだが、いい作品はタイトルもシンプルでいい。苦役列車ね、確かに、なるほど、って感じ。②港湾労働者の実態を描いたジャーナリズム的な価値。『自動車絶望工場』のような潜入ルポ的な面白さがある。③小説ならではの深い心象表現。表現やたとえがうまくて、そういうところが印象に残る。主人公(著者)の偽らざる心の深いところが描かれてる。④登場人物が少なく、行動範囲が狭いのがいい。長編小説でありがちな「その人、どこの誰だっけ」問題が読んでいて発生しない。出てくる具体的な地名がみんなイメージできる都内なのもいい。⑤難点は、文体が明治時代なところ。昔の本読みすぎだろ、国語の時間かよ、オマエいつの時代の人間だよ、ってずっと思ってた。若干、文章が読みにくい。2011/04/15
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作文の「書き出し」と「終わり」人生ではじめて、小説を書いて『週刊東洋経済』で発表した。シミュレーションドキュメンタリー短編小説、全6ページ、約1万字である。作文というのは、一番重要なのが「書き出し」で、次に重要なのが「終わり」だと思っている。最初と最後がよくないと、中身など二の次で、そもそも読まれない。読まれないものは存在価値ゼロだ。書き出しは「先を読みたくなるかどうか」が重要である。センスのよさも問われる。今回は、1週間くらい考えたすえに、書き出しはこうした。その日が注目されるのも、無理からぬことだった。2013年10月×日、毎月1度の、10年物利付国債の入札日。そして、書き始めて、途中からは、どうやって終わりにしようか、ずっと考え続けていた。終わりは、「示唆するもの」が含まれていて、なるほど、読んでよかった、と読者に思わせないといけない。終わりの場面が見えて、思いついて、よし、これでいい、と思えると、あとは早かった。それが最後の1文である。兄弟が再開し、別れる場面で小説は終わる。丸の内の旧本社ビルには赤い国旗がはためき、銀行名からは「四菱」の文字が消えていた。日本経済は復活するが、光と影の「影」の部分を示唆している。影の部分は、格差の拡大についての記述がその前にあるのだが、それに加えて終わりで言いたいのは、もちろん、自力で復活できずに中国企業の力を借り、半ば侵略されてしまった悲しさである。伏線として、「外圧がないと変われない」日本について主人公に前半で語らせている。日本の歴史的背景や銀行の合併にともなう社名変更など、歴史や経営の基本を理解していないレベルの人には響かないが、分かる人には染み入る。そのくらいがちょうどいい。ちなみに、左記は、私が日経の入社試験で書いた作文を、家に帰って思い出しながら書いたものである。お題は「不安」で制限時間は1時間、字数は1千字。ちょうどオウム真理教のテロと阪神大震災の直後(95年)で、都知事選の年で、現在と似たご時世だった。これも、書き出しがいい。終わりも悪くない。その場でこれを書いたとき、僕は文才があるかもしれないな、と思ったものである。この試験に先立ち、今でも覚えているのは、ゼミの先輩(今は共同通信にいる吉浦さん)と就職活動のときに、よい作文とは何か、について話していたときのことだ。「たとえば『始まりは、ささいなことだった』なんて書き始めだったら、先を読みたくなるだろう?」そう言われて、確かにそうだと思い、書き始めに気を遣うようになった。僕はとても素直な人間なので、良いことはすぐに取り入れる。そして、就活の作文についていえば、会ってみたくなるかどうか、が重要で、そういう文の終わり方をしているか、がポイントとなる。僕が読む側だったら、とりあえずこいつは面接に呼ぶか、と今でも思うだろう。加害者にだけはなりたくないもとから僕は、大学教授や弁護士や官僚の文章を読むたびに、そのサービス精神のなさにアタマに来ることしきりであった。こんなクズ文ばかり書いて、よく仕事の対価を得ているものだ、と今でもビックリしている。学生時代に課題図書を読まされると、いつも文句タラタラ(興味をそそらねーんだよ、つまんねーんだよ、へたくそなんだよ、頭悪すぎだろ…)だったので、自然と「絶対に自分が加害者になってはいけない、加害者にだけはなりたくない」という意識から、まともな文章とは何か、を考えるようになっていた。だから、能力が高く、読解力に優れた人は、僕と違って、難解な文章もスラスラ理解できてしまうので、自分自身も難解な文章を書くようになり、「文才」も開発されないのだと思う。ある部分が欠落しているからこそ、他の部分が秀でていく。何かを失うからこそ、何かを得られる。これは、人生全般にいえることだろう。2011/04/01
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「ヘルメットOL」の違和感1ヶ月以上も続くわけないと思うので、「誤報」の予報しとく2011/03/11
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アゴラ就職セミナー3月「会社説明会では聞けない本当の就活情報」(3月2日)セミナーは事務局ワークが大変なのでなかなか自力ではやりきれないのだが、今回、アゴラという会社がやってくれることになり、引き受けた。3月2日18:10開場@渋谷。就職セミナーというと今シューカツ中の大学3年向けと思われがちだが、そんなことは全くなく、実際の対象は大学1年、2年、3年、4年、院1年、2年、留年生、第二新卒まで(27~28歳くらい)と、けっこう幅広い。これは、本(35歳までに読むキャリアの教科書)で書いたとおり、本質的には第二新卒時期までなら(職種も業界も変える)キャリアチェンジが可能だから、もちろん早いうちから考えているほうがよいのだが、手遅れでもなく、このセミナーを聞く意義はあるということです。定員53名は過去3年毎年やってる私のセミナー(毎回定員オーバー)としては最少人数。しかも学生3千円(※2月23日まで)は安い。かなり早いもの勝ちな感じです。アゴラ社は利益度外視なところがエラいなぁ。お申込みはこちらより。→「会社説明会では聞けない本当の就活情報」私は一番書いているほうですが、それでもやはりブログやツイッター、本では具体的に書きにくいオフレコな話というのが結構あって、やはりそういうところに物事の本質がある。セミナーは、そういうネタを話す場としてちょうどいいと思っています。それでは、会場にてお会いしましょう。(※2/25満席になりました。次回開催のお知らせはメルマガの『他のメディアへの配信/MyNewsJapanからのお知らせ』にご登録いただけるとメールが流れます。)2011/02/17
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「三方一両損」のリアル店舗渋谷のブックファースト2011/01/03
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『イシューからはじめよ』(英治出版)安宅和人経営企画とかコンサルとかマーケティングとか、「仕組みを作る側」の仕事をしてる人が読むといろいろインスピレーションが沸いてくる本である。同じ出版社の名著『ロジカル・プレゼンテーション』みたいに架空のストーリー仕立てを多用するか、実際の過去に手掛けた事例をベースに(多少デフォルメしてもいいから)説明したほうが、分かりやすいと思った。少し概念的な話が多すぎて、腑に落ちないことが多かったからだ。その理由は、著者自身がしっかり説明してくれている。脳神経系では、「2つ以上の意味が重なりつながったとき」と「理解したとき」は本質的に区別できないのだ。(中略)シナプスに由来する特性として「つなぎを何度も使うとつながりが強くなる」ことが知られている。(中略)何度も情報のつながりを想起せざるを得ない「なるほどー」という場面を繰り返し経験していると、その情報を忘れなくなる。これは、まさに記憶や理解の本質だと思う。情報をつなぎ続けることが記憶に変わる。著者がそういうとおり、本書はストーリーや具体的事例が不足しているために、言わんとしてることが、具体的な我々の日々の生活や企業の経営課題と、イマイチつながらない。ヤフー方式VSユニクロ方式実は、僕がなるほど、と一番思ったのは、著者がヤフーで働いていることについてだった。日本のヤフーという会社は、日本の検索&ポータル市場で独占的な地位にあるガリバー企業で、私が取材した限り、既存マスコミの裏部隊のような会社である。この図は分かりやすい。メモ入りは24枚。けっこう中身濃い本言ってみれば、ITの仮面を被った旧勢力。その競争力の源泉は、日本人の「習慣の奴隷」とでもいうべき性質にある。日本人は、一度慣れてしまったヤフーのトップページから離れられない。読売1千万部が米国と違ってなかなか崩れない理由と、実は同じだ。そんなヤフーなので、実は何もしないことが最大の戦略だ。ガリバーであるヤフーにとってのイシューは、現状から方向転換すべきなのかであり、その答えは「何もしないこと」なのである。だがそのためには、何もしない理由を考える人が必要で、そこで著者のような理論家が必要となる。僕は、これがジョークのようなホントの話だと思っている。ヤフーは、ネット企業なのに意思決定がとにかく遅いことで有名。社員は「1つのサービスをリリースするのに何でこんなに時間がかかるのだ」と異口同音に不満を漏らす。多くの社員は安い給料で、ワークライフバランスを保ちながら、だらだらとノンビリ働いている。このような独占ではない競争市場で成功している会社というのは、ユニクロのように、1勝9敗でいいから、動物的なカンで、すばやく行動し、すばやく失敗し、PDCAサイクルを高スピードで回していく。ユニクロとヤフーは同じミッドタウンにいるが、全く正反対の環境で、正反対の経営をやっている会社なのである。僕はいつも書き込みながら本を読んでるから、自由にデッサンできないといけない。よって電子書籍は、サブの保存用くらいにしかならない。ユニクロでは「明日、決めるから」と前の晩に柳井社長がテーマを現場に投げることもあるから、イシューとは…などと議論して書類を作ってる時間はない。イシューから考えたら、ユニクロの店舗で野菜を売ったりしないだろう。でも、それがユニクロが実証してきた強みなのだ。だから、安宅氏がユニクロで働くポジションはないし、競争市場においては、あまり使えない手法だと思う。それでも僕がこの本をいいと思ったのは、問題の本質に迫るための様々なヒントがちりばめられているからだ。■なんちゃってイシューに惑わされない。■全ての課題が解決した状態と現状とのギャップを整理する。■仮説が全て正しいとすればという前提でストーリーを作る。■一次情報に触れ、現場の人の経験から生まれた知恵を聞き出す。■自分の専門分野でよく出てくるような数値は、推定できるように。■天才とは、1つの方法に固執しないこと。■何に答えを出すのかという意識を発表(プレゼン、論文)の全面に満たす。■「なんとなく面白い」「たぶん」はダメ。複雑さは一切いらない。■エレベータテストに備える。そして決定的に心に響いたのが、これ。■誰もが「答えを出すべきだ」と感じていても「手がつけようがない」と思っている問題に対し、「自分の手法ならば答えを出せる」と感じる「死角的なイシュー」を発見することだ。世の中の人が何と言おうと、自分だけがもつ視点で答えを出せる可能性がないか、そういう気持ちを常にもっておくべきだ。そう、「死角的なイシュー」の発見。これって、売れる本の鉄則でもあるんじゃないか、と。問題解決において迷ったときに、重宝する本である。2010/12/14
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社会企業家の胡散臭さは「逃げ」にある自ら「自分は社会企業家だ」と名乗るような人は、ダメな奴である。経営者としてのスキルアップを怠り、自ら負けを認めているようなものだからだ。好きなことやってるんだから貧乏で当然だろ、みんなリスペクトしろよ、おれはあくせく稼がないよ、ラクだもんね、社会的意義があるんだからいいんだよ--どうしても、そういう胡散臭さが漂う。一言でいえば「逃げ」だ。以下、詳細に説明しよう。私は、いわゆる「社会企業家」や「社会貢献志向」について、『やりがいある仕事を市場原理のなかで実現する!』(光文社)という本のなかで、個人のキャリア形成の視点から、実現に向けた方法論を述べている(右記図参照)。どんなにやりたいことがあっても、経営という「修行」なくして、いきなり学生から突き進んだところで、労多くして実少なしだ、ということである。そこで、ビジネスモデル構築力と実現したい夢との、複線型キャリアパスを提示した。■自己満足の世界に逃げるなまず、若者の社会貢献志向については、右肩上がりの時代の終焉と経済の成熟で説明できる。現在20歳の人は、右肩上がりの時代をまったく知らず、モノやカネが満たされた成熟社会しか知らない。そのなかで次に人間が求めるのは、マズローの欲求段階説のとおり、「自己実現の欲求」であり、それが企業への所属や昇進といった外部から与えられるものではなく、個人の内発的な動機を満たす社会貢献志向へと向かっているわけである。このようにして若者の「社会貢献」志向が強まると、サラリーマンにならず、アントレプレナーにもならず、自己満足的な社会貢献の世界にいきなり入る人が増える。それが近年の現象である。仕事のやりがいと報酬のトレードオフ曲線■社会貢献とカネ儲けのトレードオフところが、社会貢献度が高い公共性の高い仕事は、そもそも軌道に乗せるのが難しい。本来なら政府や自治体が行うべき儲からない仕事を、ビジネスとしてやろうというのだから、儲かるわけがない。通常以上の経営力が必須となる。儲からなければ再投資できないから、事業は拡大しない。収入が低いから貧乏になる。「貧すれば鈍する」で負の連鎖にはまり、本来の目的も果たせなくなる。右図でいうと、右下である。逆に、公共性の低い仕事は儲かりやすい。最近のグリーやモバゲーを見ているとよくわかる。CMで「無料です」と言って貧乏人をケータイゲームに引き込み、ゲームに熱中させてアイテムを買わせ、ケータイ料金と一緒に請求して、カネを巻き上げる。どちらも、もともとゲーム会社ではなかったが、理念などそっちのけで儲ける方向にシフトした。右図でいうと、左上である。このように、社会貢献度の高さと報酬は反比例する。左上にいる人たちは、右下の人たちが「社会企業家」だと持ち上げられるのが面白くない。『週刊東洋経済』(2009年12月14日発売号)の特集「30才の逆襲」でも若者の社会企業家志向について議論され、サイバーエージェントの藤田晋社長がインタビューに答えて、「社会企業家は逃げてるように見える」と問題提起していた。堀江貴文氏もライブドア社長当時、「人をたくさん雇って納税しているだけで十分、社会に貢献している」と繰り返し述べていた。僕がよく着ている「GAP」のシャツはバングラデシュ製だし、ユニクロもグラミン銀行と合弁で、バングラデシュで現地向け低価格衣料の製造販売と雇用拡大を進めると発表した。やっていることはマザーハウスと変わりない。雇用拡大のインパクトはむしろ大資本のほうが大きいし、マザーハウスの商品は高すぎて現地の人は買えない。だから、マザーハウスの山口氏が「社会起業家」の『社会』という言葉に違和感を示すのは当然だ。何も特別なことはしていない、というわけである。この感覚は正しい。必要以上に持ち上げる側、そして図に乗って「自分は社会企業家だ」と名乗ってしまう側のほうが勘違いしており、問題である。右下の人たちと左上の人たちに大差はない。■社会企業家は「活動家」を名乗れ本当に社会に対して責任を果たそうとしたら、第一の道が、稼ぎながら社会的に意義のある仕事と両立する。これはグラミン銀行のユヌス氏。大学の経済学部で学部長まで勤め、その理論を実践した。ビジネスモデル構築力を磨いたうえで社会貢献ビジネスに入るケースである。第二の道が、藤田氏が実践すると宣言しているように、まず稼いで人生の後半で社会的に意義のある仕事に還元する。これはシュリーマン型キャリアモデル。シュリーマンは、トロイ遺跡発掘という「やりたいこと」の実現のため、48歳まで実業家としてカネを貯め、トロイの実在を発掘によって証明した。財産の大半を慈善事業にまわしたビル・ゲイツもそうだ。だが、前半で成功できなかったら空手形になる。そして、これら2つの道を最初から放棄してるのが、第三の「純粋まっすぐ君」型の社会企業家。この人たちは、純粋で悪気もないが、実は、その目的に反して、あまり社会を変えられない。経営スキルもないし、社会経験も資金もないのに、まっすぐに突き進もうとする。だから、第三のタイプは、むしろ湯浅誠氏のように、活動家と名乗ってしまったほうがすっきりしてよい。湯浅氏はその点、潔いと言える。社会企業家の胡散臭さは「逃げ」にある。本当に社会を変えたいと思ったら、まずはビジネスの世界に入って、少なくとも20代のうちは、経営を学ぶべき。大学のキャリア教育でも教えるべき、今日的なテーマである。(asahi.com『ウェブ論座』にも出した)2010/12/03
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「逆内定切り」を奨励せよ私は「若者はなぜ「会社選び」に失敗するのか」(東洋経済新報社)という本を出している関係で、就活生に話を聞くこともあり、昨今では、後輩から4月1日に「本日、内定を貰いました」というメールを貰う(これはテレビ局)。選考は1~3月に実施され、既に内々定が出ているわけである。外資はもっと早く、投資銀や戦略系コンサルでは、12月~1月に実施するウィンタージョブ(インターンシップ)が「天下分け目の関が原」になっており、最大数の内定が出る。そのインターンシップに参加するためのES(エントリーシート)が第一関門である。つい最近(11月上旬)もゼミのOB会で大学3年生に話を聞くと、「インターンシップに参加するためのESで落とされた」「会社説明会の予約が2分で埋まってとれない」などと焦っていた。大学4年生はというと、満足のゆく内定が貰えず、大半がまだ活動中だった。大手に決まったのは1人だけ(新日鉄)だという。慶大生でこれだから、いったいどのくらい今の就活は厳しいのか、と思ってしまう。■プレーヤーが入れ替わらないこの就活における問題の本質は、「新卒の時期にしか良い就職の機会がないこと」だ。だから学生が血眼になって2年生の頃から就活を始めるのである。中長期的な解決策は明確である。社会的規制を除いた規制を緩和し(経営側の経済的規制・労働側の解雇規制ともに)、同時に市場の失敗を監督する機能を強化し、フェアな競争を促進することによって、市場のプレイヤー(経営側・働く側とも)を流動化させ、就職機会の絶対数を増やすのである。競争市場において新参者が勢力を伸ばすには、他社から中途採用を活発に行う必要がある。引き抜かれた企業側は、人材不足から新卒者を活発に採用したり、既卒採用も、中途採用も、強化せざるをえない。競争が激しくなると、経済全体のパイも増える。解雇規制を緩和すれば、人材の流動性はさらに高まる。フェアな競争のためには、公正取引委員会や証券取引等監視委員会の機能強化が必要になるので、併せて行う。一例をあげれば、広告代理店業界は、独占禁止法違反と言われる電通が、コネ入社をはじめとする政治力を駆使して公取の動きをなきものとし、市場を支配することで、健全な競争を妨げてきた。その結果、市場シェアもプレイヤーも長らく固定化しており、入れ替わりが起きない。よって、新卒一括採用、年功序列、終身雇用の3点セットが変わらないから、就職するチャンスが新卒時期だけに集中する。新規参入の会社が勢力を伸ばせば、就職のチャンスは、新卒でも中途でも、絶対数が増えるわけである。2007年ごろのIT業界は、そんな感じだった。100人規模の会社が30人の新卒を採用するなど、普通にあった。人材の流動性が高く、すぐに引き抜かれていくから、新卒も中途も、どんどん採る。このような競争が激しい市場では、新卒時期に大手企業の内定をとれなくとも、それほど問題にならない。中小で実力をつけて、中途採用で好きな会社に転職すればよい。■短期的な解決策といっても、来年、再来年のことも考えなければいけないので、短期的な解決先を提示する。3年生から必死に就活するのでは学業に影響があって問題だというので、新卒採用の早期化を食い止めたいそうだ。そのため、大手商社等が8月以降に採用活動を後ろ倒しするという。これは何か意味があるのか。前述のとおり、学生が必死なのは、チャンスが人生で1回しかないのだから仕方がない。会社側にとってもそれは同じだから、必死に早期に優秀な人材を囲い込もうとする。まず、経団連なり日本商工会議所なりといった団体に加入していない企業(特に外資)が、優秀な人材を早期に囲い込むだろう。では、厳しい罰則を設けて「日本国では全社が、採用活動と内定は大学4年の8月以降とする」という法律を作ったらどうなるか。それは職業選択の自由を奪う重大な憲法違反になるから不可能だ。働きながら大学で学びたい人だっている。となると、結局、曖昧な自主規制では、正直に守った会社ほど損をするから、なし崩し的に、これまでの歴史が繰り返してきたとおり、インターンシップで「内々定」「内内々定」を出すようになって、何も変わらない。「35歳までに読むキャリアの教科書」(ちくま新書)でもかなり詳細に書いたが、企業が最も欲しいのは、タレント(才能、資質)である。知識や技術は、入社後に教育して身につければよいが、才能は生まれ持ってのものだから、変えようがない。企業にとっては、学生が大学で何を学んだかなど二の次で、むしろ色がついていないほうがいい、と考える企業のほうが多い。だから、才能(資質)さえ認定できるなら、大学2年から内定を出してもよいくらいなのだ。■早期囲い込みのリスクを高めよそれならば、企業が優秀な人材を、囲い込めないようにすればよい。早期に内定を出した会社が大きなリスクを負う仕組みにすればよい。そもそも、囲い込む法的根拠など、何もないのだ。暗黙のルール、暗黙の前提、空気によって、囲い込まれているだけだ。企業にとっては、入社の1年以上前に内定を出すのは、現状でも、リスクは高い。リーマンショックのような経済状況の変化で、内定切りせざるをえなくなるかもしれないし、大手ほど評判リスクを負うから、一度出した内定を取り消せない(マスコミに叩かれる)ため、コストを固定費として抱え込むリスクがある。これを明確にするため、第一に、「内定は書面で出す」ことを法制化する。第二に、学生に「逆内定切り」の合法性と意義を教える。1月に内定を貰ったら、それを武器にして、春場所、夏場所、秋場所と、いろんな会社を回って、さらに内定を重ね、冬に5社くらいのなかから、もっとも最適な1社を厳選するのが正しい就職活動なのだ、という常識を作るのだ。それが当り前になれば、先に内定を出す企業は踏み台にされるだけでメリットがなくなるから、むやみに早期に内定を出すインセンティブがなくなる。そうなれば、一部のトップタレントを必要とする企業(外資証券、戦略コンサル、アナウンサー)以外の内定時期は、4年の夏~秋あたりに均衡し、しかも3分の1ずつ春、夏、秋と様子を見ながら内定を出す動きが広まるだろう。現状では、学生が2月に内定すると、人事の人間に丸め込まれてしまい、活動を辞めてしまうのが通例である。実際、私も取材のなかで、「待たせるのも悪いと思って、2月に決めてしまった」などという言葉を聞いたが、これでは人事の思うツボであり、この行動パターンこそが、諸悪の根源なのだ。恐縮する必要などまったくない。堂々と1年かけて、さまざまな会社の話を聞き、インターンに参加し、社会勉強をすればよい。学業など、そもそも学部の段階ではお遊びみたいなものだから、むしろ1年かけて、社会との接点を持ち、学業と社会接点を半々くらいにするほうが、社会に出て行くプロセスとしては自然である。内定を出す条件として「今、ここで進行中の企業に断りの電話を入れろ」という人事の指示に、素直に従う必要も全くない。そういう場合は、友人にでもかけて対応してもらうといった技も教える。内定を貰うときに、企業には「入社します」と言っておき、あとで「予定が変わりました」と言えばよい。「内定=就活終了」は、企業中心主義の発想であり、経済成長至上主義でやってきた「戦後」の発想である。ポスト戦後の我々の世代は、求職者中心の発想に逆転させなければいけない。企業は嫌がるが、就活は人生がかかった戦闘なのだから臆してはいけない。そういった、したたかさが必要であることを、大学側が就活教育、キャリア教育の一環で教え、4年生の終わりまでをかけて、じっくり内定を集め、最後に「逆内定切り」(繰り返すが、何の違法性もない)をするようになれば、お互いにとって不幸な「早期の囲い込み現象」は止まるはずだ。(asahi.com『ウェブ論座』にも出した)2010/11/29
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『若年者就業の経済学』(太田聡一)民間で働いたビジネスマンの実感としては常識であるが、それを民間で働いた経験がない学者の研究によって実証している。こういった「権威」は、改革の実行を後押しするためにプラス要素なので、どんどんこうした本が出されて売れたほうがよい。・置き換え効果=中高年労働者の雇用維持のために新卒採用が抑制されること。分かりずらい言葉だが、「市場原理のもとでは本来、採用されるべき若年労働者」が、「解雇されるべき中高年労働者」と置き換えられる、という意味。企業別データを用いた研究として太田(2002)を挙げておきたい。この研究では、愛知県下の企業に対する若年雇用に関するアンケート調査結果を用いている。そこでは、「貴社の現状として、中高年の雇用を維持するために若年新規採用を抑えていますか」という項目がある。(中略)回答企業の3分の1以上で中高年の雇用維持が若年新規採用の減少に結びついているとの認識を持っていた。しかも興味深いことに、企業規模が大きいほど「当てはまる」とする比率は高くなった。(中略)太田(2002)によって指摘された、労働組合がある企業で「置き換え効果」が強くなるという点は、野田(2002)によって裏付けられている。(中略)1991年から96年にかけて、新卒採用の抑制を実施した企業の特徴を回帰分析で調べたところ、労働組合の「上部団体加盟ダミー」がいくつかのケースでプラスの効果を持つことが分かった。・世代効果=学生が社会に出た時点の労働市場環境によって、世代別に現れる差。氷河期世代が辛酸をなめ続ける構造。メモ入りは14枚業績悪化→整理解雇四要件によって、中高年を中心とする余剰労働者を整理できない→置き換え効果によって、若年労働者が正社員として雇用されない、雇用されても給料が上がらない→世代効果がどんどん拡大。大企業や、労組の力が大きい企業ほど、その傾向が顕著。このように、既に問題の所在や構造は分かっているので、あとは解決策のアイデアと実行する政治家のリーダーシップの段階ということ。本書では、解決策については、①人員削減をしやすくする(解雇要件の緩和)②雇用保障の程度を少し緩めた正社員職を数多く作り出す(正社員の多様化)を示している。ごく常識的であり、こうした方向性は普通の学者なら全員が合意するだろう。置き換えは健全でないし、世代間格差もよろしくないのは明白なのだから。以下は、私が「キャリアの教科書」で書いたものだが、「同一価値労働同一賃金」「均等待遇」へと、移行期間5年ほどを設けて、一気に移行すべき。去年の衆院選では民主党も一応、マニフェストに書いていたが、全くやるつもりはない。結局、最後は、政治のリーダーシップの問題だ。若者や日本の未来のために、連合利権を打ち破れるか、である。第三に、均等待遇の法制化。現状では、正社員と非正規社員の身分制度を、国が法律によって作り出している。正社員になれば無期限で、定年まで雇用が守られるのに対し、非正規社員は長くても数年の契約が終わると自由に切られてしまう。どちらも、雇用の安定性に対して同じ条件とすべきで、業績が悪化すれば、どちらも同じ条件で解雇されるし、同じ条件で失業給付や職業訓練を受けられるし、同じ年金制度に入れるようにすべきである。つまり、既存の正社員の解雇規制を緩和し、そのレベルに全労働者を一元化する。中小企業の社員は業績悪化で解雇されても割増し退職金などゼロが当たり前で、翌日からハローワーク通いとなる。いわゆる整理解雇の4要件を改め、中小企業の社員でも、大企業の社員でも、正規でも非正規でも、企業から等しく半年分程度の割増し退職金を貰えるよう権利として明記すべきだし、逆に企業側としても、人員過剰になったら半年分支払えば解雇できるよう、解雇の金銭的解決を法制化すべきである。国にそれを補助する財源はないから、企業自身が、払える体力があるうちに、自らの経営判断で、人員整理できるようにする。すると、従来型の正社員のイスが空くことで、あらゆる労働者が再チャレンジできるようになり、社会全体の人材の流動化が促進され、経済に活力が生まれる。正社員という概念をなくすことで、キャリア設計よりも正社員の椅子にしがみつくことを優先する人も、いなくなる。その前提として、国は同時に、失業時に再チャレンジしやすいような職業訓練+公的インターン支援、といったセーフティーネット整備も行わねばならない。35歳までに読むキャリア(しごとえらび)の教科書2010/11/28
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トップクライマー・小西浩文さんの講演会お知らせ取材協力して貰っている友人の浅野健太郎が主催する講演会があります。本を読んでみましたが、実績が圧倒的にすごいので、納得せざるをえない、という感じ。僕はボリビアの首都ラパスで高山病になりかけたことがある。その2倍の高さのところを、酸素ボンベなしで登るというのは超人的で、想像を絶する世界。限界を超えちゃった人と直接お話ができる機会は貴重かと思いますので、興味を持った人は是非。【トップクライマー・小西浩文さん講演会】開催のお知らせ~危機の時代に生き残る技術~世界に14座存在する8000メートル峰のうち、6座を無酸素で(酸素ボンベなしで)登頂し、今なお14座完全制覇を目指して活動中のトップクライマー・小西浩文さんの講演会を12月3日19時~文京シビックセンターにて開催いたします。小西さん著『勝ち残る!「腹力」トレーニング』入手できた資料でざっと計算したところ、20世紀半ば以降本格化した8000メートル峰への人類の挑戦者は延べ6,356人、そのうち死亡者は637人、なんと死亡率10.02%・・・。驚いてはいけません。この数字は酸素ボンベありでの登山です。酸素が平地の3分の1しかない7500メートル超の「デス・ゾーン」では9割以上の登山家が酸素ボンベを使用すると言われており、はっきりした数字はないのですが無酸素での死亡率は間違いなく跳ね上がるでしょう。そして小西さんの8000メートル峰への挑戦は既に18回・・・ということは死亡率が確実に200%を超えます。屈強な肉体を持つ選ばれし登山家でも確率的には2回死んでしまう、そんな神の領域と言われる場所に足を踏み入れ、奇跡の生還を続けてきたのが小西さんです。小西さんのホームページはこちら近著:生き残る技術(講談社+α新書)、勝ち残る「腹力」トレーニング(講談社+α新書)最近ではチリの落盤事故での全員の救出劇に対して、テレビ朝日「ワイド!スクランブル」に生出演した他、日経新聞をはじめ各媒体に対し、危機を乗り越えるためのリーダーのあり方についてコメントを出しています。今回の講演では、小西さんの挑戦の足跡を振り返りつつ、限界を超える技術、失敗を繰り返さない技術、限界を超えるチームとリーダー、自分が限界を超えなければ運も開けない、心に限界はない・・・などなど、熱く熱く語っていただきます。出口の見えない不況、相変わらず先進国でもトップクラスの自殺率の日本。そんな危機の時代を力強く生き抜くためのヒントを、多くのビジネスパーソン、経営者、そして一般の方々につかんでいただければと思います。奮ってご参加ください。【トップクライマー・小西浩文さん講演会】~危機の時代に生き残る技術~場所:文京シビックセンター日時:12月3日19時~21時(質疑応答含む。受付は18時半より。講演開始前と終了後短時間ではありますが参加者同士の名刺交換タイムも設ける予定です。)定員:90名事務局:株式会社ライフ・ストラテジー料金:5,000円(当日お支払いでご参加の方は6,000円)お申込み方法:asano@lifestratety.co.jp上記アドレスへ必要事項を記ご入の後、下記銀行口座へ11月26日までにお振り込みください。お振込みの際の手数料はお客様負担となります。その後事務局からご招待メール(文京シビックセンター内の会場施設名や当日の緊急連絡先など記載)をお送りし、お申込みが完了いたします。当日はそのご招待メールをプリントアウトしてご持参ください。なお、定員を超え次第お申し込み受け付け終了とさせていただきますので、お早目のお手続きをお願いいたします。※講演会終了後21時半頃より付近の居酒屋にて、小西さんを囲み懇親会を開催いたします。講演会お申し込みの際に参加か否かを申告ください。こちらは3,500円~4,000円程度の実費を当日払いとなります。お名前:フリガナ:メールアドレス:懇親会への出欠:(以上必須事項)年齢:ご職業:三菱東京UFJ銀行品川駅前支店普通口座0101008カブシキガイシヤライフストラテジー2010/11/20
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日本で暴動は起こるのかイギリスの学生が暴動やってる報道をテレビでみて、次の政権(3年後)の日本の姿なのかな、と思う一方、はたして日本で暴動は起こるのだろうか、と考えてしまった。イギリスのキャメロン政権は今、GDP比でいえば日本の3分の1くらいしか借金がないのに(2009年で英国70%に対し日本210%)、財政再建を頑張っている。年金支給は66歳からになるし、5年以内に公務員を49万人も減らす。大学の補助金も大幅に減らす。それで、授業料が3000ポンド(約40万円)から、9000ポンド(120万円)に引き上げられるというので、暴動が起きたそうだ。日本は国債を発行して未来の国民にツケを回す行為がそろそろ限界なので、次のみんなの党を中心とする政権がババを抜く形で、キャメロン並みのことをやらなきゃいけない。助成金の類は全てカットされるだろう。でも日本では学費を自分で払うケースは少数派で、ほぼ親が払うのが常識化している。だから、学生自身が値上げ分をダイレクトに稼がなければならないわけではない。そもそも日本の学生が暴動を起こしてガラスを割りまくるような姿を私は見たことがないし、それは全共闘の時代の歴史の世界でしかない。そのくらい今の若者は元気がない。僕は、20代が青臭い主張で理想を掲げて突進するのは若者の特権だと自覚していたから、会社とケンカしたし、裁判やったりもした。でも、今の若者にそういう気概や空気はまったく感じられない。いったいどこまで締め上げられたら暴動を起こすのだろうか。若者の失業率がスペインのように40%くらいになって、韓国のように職がある人も過半数が非正規になって、消費税が20%くらいに上がっても、まだ我慢している気がする。相談窓口の設置や検討部会の設置、企業への採用補助金がめくらましに過ぎないことに気づき、均等待遇や解雇規制をタブー視するマスコミ報道に気づいてもなお、座して死を待つような気がする。おそらく湯浅誠と雨宮カリンがなぜか最大の敵である「連合」と一緒になって平和的なデモ行進を続けるのだろうが、40代以上の中高年は、それを見て、逆に安心するだろう。「湯浅、雨宮、ガス抜きご苦労!ガンバレよ!」と。僕は、若年労働者の最大の敵が連合であることに気づき、湯浅雨宮系の職業アクティビストから離脱したうえで団結し、国会に乗り込んで機動隊に石を投げるくらいでないと、世代間格差問題は解決に向かわないと思う。出でよ、リーダー。varlinkwithin_site_id=346282;varlinkwithin_text='この記事を見た人はこちらの記事も読んでいます'2010/11/12
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Free化する読売、強制配布しても余命20年数年前から、出張先のホテルなどで読売新聞がドサっと入ったラックが目に付くようになった。無料で勝手に持っていってよい、というものだ。販売店がノルマを課されて読売新聞社から押し売りされ、処分に困った「押し紙」を無料サービスで提供していたのだ。しかし、それでも誰も持っていかずに、いつ見ても、どっさりと1メートルくらい積んだまま。ついに『東京ヘッドライン』の仲間入りかと思いきや、次の手段に出ていた。よほど人気がないのだろう、ついにファミレスで1部ずつ配り始めたのだ。『ジョナサン』で机に案内されると、既に1部がメニューの隣に置かれているのだった。全ての机に1部ずつ強制配布である。これならラックに入ったまま捨てられることはないが、それでもほとんどの人が手も触れずに無視だった。新聞には紙が貼ってあり、「これは試読紙である、持ち帰ってもよいです、さらに1週間無料で宅配もします、契約してください」といったコメントが書いてある。押し紙を再生紙工場への直行で捨てるよりも、キャンペーンの一環で無料配布しているという体裁をとっておけば、良心が痛まなくて済むのだろう。かつて、10年ほど前まで、『デニーズ』には新聞ラックがあり、130円を自分で入れて買ったものだった。いまや、誰も買わないものだから、強制配布を始めた。しかし、タダでも手にとられない代物になってしまった。間もなく、試読期間が1年になり、2年になり、事実上のフリーペーパーになっていくだろう。それでも、部数が出ていれば広告収入がいくらかは入ってくる。そのうえ、習慣の呪縛から逃れられない『団塊の世代』を中心とする年寄り連中は、しっかり月極の定価を払い続けてくれる。ぱっと見、文字が大きすぎて、まるで小学生の教科書だ。こんな子供騙しの印刷物、若い人は読まないよ。でも団塊の世代はあと20年くらい生きるから、読売も縮小均衡しながらリストラ、リストラ、で、余命20年は持つ、ということだ。30代以下の読売社員は残念ながら逃げきれないと思う。早く脱出を。→「まだ新聞読んでるの?」トップページへ2010/11/06
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解雇規制が象徴する「民主主義のパラドックス」『日経ビジネス』第1563号(2010.10.25)2010/11/03
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JAL化したイタ過ぎる毎日新聞の定型記事大前研一ライブ/2010年8月1日号より2010/10/25
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“ブラック企業”を支援する民主党政権に抗暴せよ先日、『POSSE』という学生NPOから「ブラック企業」について取材を受けた。若者の「働くこと」に関する様々な問題に取り組む団体で、若年労働者の労働相談と季刊誌発行がメインの活動だという。志は買いたい。僕は、問題の現状認識を述べたうえで、解決策を2点述べた。まず、本当に問題を解決したければ、相談業務をいくらしても無駄だ。むしろ問題の解決を先延ばしにする。モグラ叩きにしかならず、解決に向けて前進はしない。「いいことしてる感」に浸ることはできるが、それだけだ。厳しいことを言うようだが、問題の本筋から逃げている。中高年正社員の既得権を守りたいロビー団体「連合」が、非正規労働者相談窓口を作ってお茶を濁しているのは、ご存知だろう。連合を最大の支持母体とする民主党政権も最近、追加経済対策の一つとしてハローワークに新卒者専用の相談窓口を設置することを決めている。相談窓口の設置というのは、既得権者たちが問題の本筋から逃げる場合によく使う、弾除けの盾だ。本当の改革者は、マシンガンで盾を突き破り、病巣ごとふっ飛ばさないといけない。抗暴である。そして、それをできるのが若者の爆発力であり、特権だ。行政のまねごとをいくらやってみたところで、既得権者たちは裏で笑っているよ。論壇誌の真似事も同じ。問題を解決したいのなら、議論ではなく、特定の意志を持って実行に移さないとダメである。本当の改革には、常に既得権者の流血がともなう。論壇誌が100創刊されても、相談窓口が日本中にできても、ブラック企業経営者は困らないし、非正規労働者と正社員の格差にしても全く埋まらない。■ブラック企業への抗暴そこでコンサルタントとしての僕が解決策として提示したのは、第一に、ブラック企業の情報共有インフラ整備だ。現状、求職側と経営側で情報のギャップがあり、それを埋めるのは信憑性の低い『2ちゃんねる』くらいしかなく、機能していない。だから、ブラック企業の経営者は自社の評判を考えることなく、やりたい放題になる。サービス残業を強要して社員を過労死させたって、鬱で入院せざるをえなくなったって、外部に情報が漏れないことをいいことに、次々と新しい人材を採用できて「使い捨て」ができてしまう。そして、あろうことか、日本国政府はブラック企業の味方となり、情報公開請求に応じない。問題解決志向のMyNewsJapanは、もちろん情報公開法に則って開示請求を出しているが、拒否されている。たとえば残業代が不払いだったり、過労死を発生させたり、内定を取り消したりするブラック企業を、政府がかくまっているのが現状だ。→過労死発生の企業名を非開示厚労省「出すと会社の不利益になるから」→「きれいになったから」と残業代不払いの企業名を非開示厚労省→厚労省、内定取り消し企業名を全面不開示「法人の権利害する」これらは公開されれば間違いなく問題発生の歯止めになる。だから上場企業なら有価証券報告書への開示を義務付けるべき情報だ。ところが、情報公開の推進をかねてより訴えて政権をとった民主党政権になっても、非公開が続いている。長妻大臣など、口ほどにもなかった。つまり民主党政権は、官僚と一緒になって情報を囲い込むという不作為により、ブラック企業を事実上、支援しているわけだ。そこで、学生NPOの出番である。経団連や連合がバックにいるわけでもなく、何のしがらみもないはずだから、「ブラック企業データベース」をウェブ上に作って、社名50音順で調べられるようにして、企業別に情報を蓄積、更新していく。POSSEは50人ほどメンバーがいるそうだから、実際に寄せられた情報の確認作業も十分にできる。マスコミと違って「広告を止めるぞ」という企業からの圧力を気にする必要もない。第二の解決策として示したのは、自己防衛としてのキャリア構築である。つまり、勤め先がブラック企業だな、と思ったらすぐに逃げ出せればよい。転職できるだけの能力があればよい。簡単な話だ。そのための啓発サービスをNPOが提供するのなら、中長期的な問題解決に資する。日本は戦後、新卒一括採用と終身雇用が長らく続いてきたために、我々の親世代は、子供に対して、理不尽に耐えることを説いてしまう。学生時代より自立的なキャリア形成を意識しなければならない時代へと、パラダイムは変わったのだが、高校や大学で、そのような教育もなされない。20代で考えるべきは、「定年まで雇用してもらう」のではなく、「いつでも転職できるようなキャリアを身につける」である。私自身の活動としては、その解決策として、基本的なセオリーを『35歳までに読むキャリアの教科書』(ちくま新書)にまとめて出版したので、学生時代に一読をオススメする。(asahi.com『ウェブ論座』にも出した)2010/10/13
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検索できない電子書籍なんていらない『暴走する資本主義』(ロバート・ライシュ)は33枚(66ページ)も書き込んだ箇所があった示唆に富む異例な良書2010/10/10
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新書の冷酷な「減り方競争」『35歳までに読むキャリア(しごとえらび)の教科書』。タイトルも副題も帯文も帯の背景写真も、僕が考えた案を採用して貰った。ちくま新書を選んだのもデザインが圧倒的に洗練されているから。従って、僕の美意識のなかでは、この表紙は、まさに「完璧の出来栄え」と言える。なんと美しいパッケージであろうか。2010/10/09
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シンクロニシティ、再び 立花隆ネコビル編昨日、某ベンチャー企業社長と神保町でランチして、三省堂で1冊、『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』という本を買って喫茶店でだらだらと読みふけった。僕はあくせくスケジューリングしてせわしない毎日を送るのは嫌いで、予定は1つしか入れないことにしている。とりあえず散歩でもして帰るか、と後楽園方面に向かっていると、日が暮れてきた。「そういえば、この辺に立花隆の事務所(通称ネコビル)があったっけ」と思いつき、カンで探してみることに。どこに住み、どこにどういう事務所を構えるか、は僕の解決すべきテーマの1つとして、いつも頭の片隅に横たわっている。大前研一は麹町、猪瀬直樹は西麻布、田原総一朗は佃、佐野眞一は流山。みんなそれぞれ、なるほど、というところにいる。それぞれ、作品や活動内容、ワークスタイルとオフィススタイルは深く関係している。風水とか気とか、信じているわけでもないが、そのテの影響も間違いなくあると思う。で、立花隆は、東京ドームを北上し、文京区役所を過ぎた小石川界隈。「こんにゃくえんまの北側あたりだったな」。以前、グーグルマップで調べたときの記憶だけが頼りだった。近づくと、暗くなっていた。はじめて歩く土地だ。しかも、考えてみれば、ネコビルって、雑誌で見た限りでは真っ黒のはず。こりゃ、見つからないな・・と思って引き返そうとしたら、正面から小太りの年寄りが歩いてきた。一瞬、おばさんなのかおじさんなのか分からない。だが、茂木健一郎風な天才特有のボサボサな髪形で白髪、片手に手提げ袋。すぐに、立花隆さんだと分かった。僕は『知のソフトウェア』『アメリカジャーナリズム報告』『エコロジー的思考のすすめ』など、立花氏のかつての著作が好きで、影響も受けている。秘書が書いた『立花隆秘書日記』も面白かった。『ぼくはこんな本を読んできた』など90年代の絶好調なころも、リアルタイムに読んでいる。だが、さすがに癌を患って復帰した今は、田中角栄の金脈を調査報道した往時の覇気は感じられず、左右にえっちらおっちらと揺れながらのんびり歩く普通の70歳のおじいさんに見えた。やはり人間、第一線にいられるのは60代までだな、と強く思った。これは小沢一郎(68)や大前研一(67)、田原総一朗(76)などを見ていて、強く思う。逆に言えば60代までは十分やっていけるのだから、まだ先は長い。本人なら話は早い。すれ違って、きびすを返し、少し離れて後ろから現地まで案内してもらうか、と勝手に思ったところ、角を左に曲がったらすぐ、ネコビルが見えた。なんだ、こんな近かったのか。本人が中に消えたあと近くで見ると、地形は細長く、まさに猫の額ほどの面積で4階建て。なるほど、仕事場として「篭る」には十分かも。住むには明らかに狭いなぁ…。名前の由来は、立花さんが動物のなかでネコが一番好きだからだとどこかで読んだ。それにしても、これは偶然なのだろうか。僕は、別に待っていたわけでも、探し回っていたわけでもない。カンで大通りから曲がって、数十秒ほど、はじめての土地を歩いただけだ。立花さんが1日2回出入りするとしても、ばったり出会う確率は、0コンマ何パーセントという世界だろう。偶然じゃないな。共時性(シンクロニシティ)について、再び考えてしまった。読んだばかりの『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(橘玲)によると、世界的なベストセラー『ザ・シークレット』が、人生を変える偉大なる秘密として「引き寄せの法則」について書いているそうだ。引き寄せの法則の原理は、「ひとは自分に似たひとに引き寄せられる(自分に似たひとを引き寄せる)」というものだ。この原理は古くから「類は友を呼ぶ」として知られており、その正しさは子供を観察することで誰でも確認できる。僕は、立花さんに引き寄せられるようにして出会ったのかもしれない。しかも、これを書いていて気づいたのだが、この本の著者は橘さんで、しかも立花隆の本名は「橘隆志」と漢字まで同じ。数時間前に1冊だけ買った本なのに。これもシンクロしている。意識はしなかった。けっして橘という人の本を読んだから立花事務所へ、と考えたわけではなかった。だが、無意識下では、そういうことが起きたのかもしれない。実際、私はそのように歩いて向かったのだから。人間の意識って、いったい何なのか、と考えてしまう。映画を観る→無意識のうちに涙が出る→あ、自分は感動したんだな、と意識上で自分の感情に気づく。それと同じで、人間という生物個体の本質は無意識にあって、思考とか感情などという表層のものは後付けに過ぎないのだ、ということに改めて気付いてしまった。ある人の本質は、無意識にこそある。そして、無意識下と外部の世界はつながっていて、無意識のうちに引き寄せられるように立花さんに出会う。そうでなければ確率的には起こりえないことが発生している。おそらくこのようにして交通事故も起こるのだろうし、宝くじも当たる。スピリチュアルの世界でも「偶然」はなく、すべてが「必然」である。それがどのような意味やメッセージを持っているのかは、僕はユング心理学などを勉強不足で、まだよく分からない。だが、人間の意識よりも深いところで、何かしらの法則によって人間は動かされているのだ、ということを実感し、怖いものを感じるのだった。2010/10/05
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「第4の道=均等待遇」で雇用創出を第1の道=「ハコモノ」公共事業による雇用創出(歴代自民党政権)第2の道=経済的規制一部緩和&非正規労働市場拡大による雇用創出(小泉政権)第3の道=「ヒトモノ」公共事業による雇用創出(菅政権)第4の道=経済的規制の大幅緩和&均等待遇による雇用創出(次期政権)「雇用拡大→経済成長」ではなく「経済成長→雇用拡大」では?という批判が噴出した菅首相。ハコモノは非効率だから直接、介護労働者の給料などに税金を注入すればいい、と考えているようだ。だが、これまで土建屋経営者の懐に入っていたカネが若干、労働者(ヒトモノ)にシフトするだけで、アラブの国のように潤沢なオイルマネーでもない限り、財政が逼迫した日本では早晩、財源が尽きて成り立たなくなる。雇用調整助成金と同じで、痛み止めに過ぎず、継続性がない。菅氏は最近、正社員の採用を増やした企業に税制上の優遇を、とも言い出した。投資減税ならぬ雇用減税。小沢氏のほうも、正社員と非正規社員の比率を法律で規制することも考えるべき、と発言している。すべて本質的な問題解決から程遠く、逃げている。いずれも企業の経済活動に足かせをはめて、経済成長を妨げる要因にしかならない。経済成長を妨げれば雇用も生まれない。全員がアンハッピーである。「第3の道」は失敗確実なので、私は次の政権に、「第4の道」=経済的規制の大幅緩和&均等待遇による雇用創出、を期待したい。企業の経済活動から足かせをはずさない限り、経済成長はないし、その派生需要である雇用創出もありえないからだ。経済的規制の撤廃については行政刷新担当相の蓮舫氏が年内に公開の場で「規制仕分け」をやると明言している。誰が首相になろうとも、これは完遂していただくしかない。だが、規制緩和による成長だけでは、小泉時代と全く同じである。■体質改善なき経済成長を許すな問題は、議論の遡上にすら上がらない、正規・非正規の均等待遇だ。「プロフェッショナル・コントラクト」とはよく言ったものだが、ようは期間工である。期間工も契約社員も、みんなプロフェッショナルコントラクトとかコンサルタントとか呼べばいい。実は私は、サラリーマンをやっていた最後の1年、非正規社員に転換した。IBMは当時、コンサルタント職について、正社員→2~3年契約の契約社員(「プロフェッショナル・コントラクト」と呼ぶ)への移行を進めており、2003年度から社員が選択できる仕組みにしたのである。契約社員になると雇用は不安定になるが、給料は上がる。私はそれまで年収約900万円だったが、年収基準額981万円で契約した(翌年、独立するつもりだったから)。つまりIBMでは、「ハイリスク(雇用リスク)・ハイリターン(年収)」と従来型の「ローリスク・ローリターン」を選べるのだ。そうしないと、誰も非正規に移行するわけがない。そしてコンサルの新卒採用は、全て非正規の有期雇用とした。実際、今年になってIBMの社員に話を聞いたら、昨年は契約更新せずに切られた人が続出したという。リスクを負ったのだから、会社も社員も、両者納得だろう。この取り組みについて人事部門のマネージャーは「人件費を流動費化できた点で成功だった」と言っていた。何を言いたいのかというと、これがあるべき労働市場の姿なのだ、ということである。解雇されるリスクが高いならば、その分、収入はむしろ高くなければいけない。解雇されるリスクが低いならば、収入も低くてよい。■「第2の道」の失敗にもかかわらず、国の規制によって「ハイリスク・ローリターン」(ハケンやパート、期間工といった一連の非正規)という、市場原理ではありえない身分の人たちを増大させてしまったのが、小泉政権までの一連の流れだった。正社員を守るために非正規が犠牲になったのだ。3年前にキヤノンの正社員が言っていたが、キヤノンではボーナスを手渡しで貰う。派遣社員はもちろんボーナスはない。だから、派遣が全員帰った18時ごろを見計らって、こそこそとボーナス手渡し大会が始まるのだという。労働者を身分で分け、職場を分断する仕組みを作ってしまったのが、「第2の道」だった。だから、この悪い体質を改善せずに経済成長を目指すのは最悪だ。体質改善が先である。正規・非正規問題を現状のままにして経済成長しても、小泉時代に戻るだけで、歴史を繰り返す。いわゆるディーセントワーク(まともな賃金、まともな働き方)を確保しつつ、雇用率を上げたい(失業者を減らしたい)のならば、均等待遇しかない。つまり、正社員の待遇を下げて、非正規社員の待遇を上げる。同一価値労働同一賃金を徹底し、同じ難易度の仕事は同じ時給。労働時間の長短でしか差がつかなくする。連合や、共産党、社民党、活動家たち(湯浅誠、河添誠…)は、絶対に実現しない「全員を現状の正社員レベルに」という、戦後の高度成長期という異常な環境でしか成立しえない懐古主義にひたっている。実現性のないことを言うということは現状維持派ということだから、だまされてはいけない。企業の人件費は一定を前提に議論すべきであり、国際競争力を考えると、むやみに増やせない。一方で既存の正社員の人件費は固定費だ。その結果、賃金ゼロの新卒社会人(無業者)や、雇用が不安定で賃金も安い非正規社員を増加させてしまった。「第4の道」では、既存の正社員は降格も金銭的解雇もしやすくする。すると、企業から見て、雇うリスクが下がるから、企業は雇用を増やす。雇用が創出される。国がやるべきことは、①降格・解雇規制の緩和と、②均等待遇(同一価値労働同一賃金)の法制化、③解雇された人が次の仕事を見つけやすくするためのセーフティーネット整備である。民主党政権は、派遣規制強化法案ではなく、均等待遇法案を提出しなければいけない。だらだらと「体質改善なき経済成長」をして第2の道に逆戻りするくらいなら、いったん財政破綻(国債暴落→ハイパーインフレ)という“焼け野原”になってゼロリセットされたほうが、立ち直りは速いだろう。(asahi.com『ウェブ論座』にも出した)2010/09/13