編集長ブログ一覧
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藤原和博氏の描く未来仕事図「プロと考える仕事の未来」という対談の連載が始まった。これは『10年後に食える仕事とは何か』をさらに徹底的に突き詰めて考えていくという目的があり、ミッションは明確。また、私がやるということは、すなわち「ぶっちゃけ本音対談シリーズ」にしかならないわけで、編集長インタビューにありがちな、うだうだしゃべくったものを文字にしてみました、というなぁなぁの対談モノとは全く違ったものにするので、ご期待いただきたい。1回目は、藤原和博さん。65冊も本を書いているので全てではないが、主要な本の大半を読んだうえで臨んだ。それでも、今回出てきた話は本に書いていないことばかりで、情報編集アップデート力の高さを実感した。藤原和博(ふじはら・かずひろ)杉並区立和田中学校・前校長東京学芸大学客員教授1955年東京生まれ。78年東京大学経済学部卒業後、リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、93年よりヨーロッパ駐在、96年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。08~11年、橋下大阪府知事ならびに府教委の教育政策特別顧問。今後、グローバル化が進んでいくと、グローバルエリート:コミュニティ貢献者が1:99になる――という藤原さんの見通しは、方向として、その通りだと思う。去年、「Weare99%」デモが日本以外の先進各国では盛んだったが、日本にも当然、やってくる。藤原さんの言うグローバルエリートとは、すなわち無国籍ジャングルで戦う人たちだ。僕は『35歳までに読むキャリアの教科書』では、それでも親世代の生活水準を維持するために個人としてどうすべきか、という往生際の悪い話を展開したのだが、国民の大半にとって重要なのは、むしろどうやって普通の99%の人たちが仕事を得て食べていくのか、という話であろう。いま、急速にグローバル化を進めるユニクロは、「1:99の世界」の象徴といえる。トップの柳井社長はもちろんグローバルエリートであるが、106億ドル(8400億円)の資産家で、被災地にポンと10億円寄付できる余裕がある。その一方、ナンバー2以下の雇われ役員たちはその1千分の1の資産もなく、明日クビにされるかもわからない。末端の店長や社員たちは年収400~500万円で入社2年後には半分が激務から辞めざるをえないほど働きづくめ。その下の年収200~300万円のパート社員も含め、人間の使い捨て状態にある。そしてトップだけがますます潤っていく。1:99どころか、1:9999の世界が、ユニクロの現実である。似たようなことが楽天でもグリーでも進んでいる。10年後は、そういう労働社会が加速する。問題は、「死ぬほど働かされて500万円」くらいの人たちが精神を病んでドロップアウトしても、日本国内には「次の仕事」がなくなっていくことだ。現在7割を占める左下の「重力の世界」の仕事群は、中国・インド・ミャンマーといった国外に出て行かざるを得ないからだ。今後、失業率は徐々に上がっていく。ではどうするか、ということだが、藤原さんはコミュニティー(地域社会)で吸収する仕組みを作るしかない、という。それは何かというと、たとえば藤原さんが実践してきた学校を中心とする地域本部(学校支援本部)での仕事。ドテラ(土曜寺子屋)は、地域の大学生や社会人がナナメの関係で中学生を教えるかわりに、1回数千円のフィーを得る。また、その事務局業務を行う。年収300万円くらいの準教員、準公務員を増やしていくのだ。民間でも、ネットインフラを活用して、ある専門領域(たとえばネット上の花屋)で200万くらい稼ぎつつ、あとは有償ボランティアで被災地コミュニティーに貢献する、といったコントリビューターを増やす。そのために、有償ボランティアを根付かせる。これら地域貢献に寄する仕事は年収200万円くらいで、ワークシェアのようなものだ。今後、住居費が、ある段階でガクっと下がり、200万×夫婦でも生活が成り立つ社会の前提条件が揃ってくる。あとは、それでも必要となるであろう、国が出す原資だ。僕は柳井社長などの資産家に資産課税をかけるべきだと考えているが、藤原さんも、1500兆円の個人金融資産の1%でもとること、さらに宗教法人の活動と課税を変えること、など様々なアイデアを持っている。それらは、連載の次回以降で、議論される。これから顕在化してくる現象は、1:99の社会になっていくスピードに比して、既存の制度の変革が追い付かないことから来る社会の様々な軋みであろう。既得権者(既存の公務員など)の抵抗は計り知れず、変革は進まない。競争と分配のポジショニングマップ(これは古いバージョンなのでマップの軸だけみてほしい)。残念なことに、右上を志向する政治団体が存在していない(現在では維新の会が近いと思われる)政治に必要なのは、懐古趣味で「3丁目の夕日よ、もう一度」と、東京スカイツリーを作るのではなく、ファンタジーから抜け出し、まずは現状を認識し、確度の高い未来予想図に合ったヴィジョンと制度を提供することだ。野田首相が「分厚い中間層の復活」を掲げてきたのは、無知な国民を相手にする選挙戦術としてはわかるのだが、実際にはそんなものは既になく、一部の勝ち組を除いて、全体が下がりつつある。そういう身も蓋もない現実を認識し、我々はどこを目指すのかを明確に国民に提示する時期にきている。藤原さんは、私と同様、左記図の右上を目指すべきだ、という考え(競争はさせる、資産家からはとる)である。2012/11/13
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最近読んだおススメの11冊忘備録代わりに最近読んで良かったと思う本を紹介しておこう。僕は、異常に忙しいなかでも食事中はだいたい本を読んでいるので、自動消化されていく。特に、自分と経歴や年代が近い人や、目標とすべき人が書いてる本は、だいたい買って読んでいる。■『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(東野圭吾)「黙祷はビートルズで」の章では、ビートルズの曲(今回はLetitbe)をモチーフにして、手紙のやりとりを通して、「同じ光景でも、人の心の状態如何で違って感じられる」といった答えのない問題(カ・ド・コンシャス=あれも正しい、こちらも正しい…)を描き、考えさせる。東野作品のなかの超名作『手紙(文春文庫)』と、ウリ2つの手法だ。この“三題話”(①モチーフとなる何か、②訴えたいテーマ、③手紙を通した心情表現)は、空手の「型」みたいなもので、僕が理想とする小説の教科書として認定させて貰った。こういう得意な型をいくつ持っているか、が小説家の実力なんだと思う。ほかの作品も、きっとパターン化された型が頭の中に無数にあって、そのワザの組合せなんだと思うが、素人の僕には気づけない。型を知れば、複数のワザを組合せ、仕事をショートカットできる。東野氏が作品を量産できる秘訣はそこにあるに違いない。■『「一生食べていける力」がつく大前家の子育て』(大前研一)これは編集者の企画力の勝利。読みどころは、大前研一氏が書いた前半の「きれいごと」ではなく、後ろのほうの、長男・次男へのインタビューだ。寝ている長男を夜遅く帰ってきて叩き起こし殴り倒すというDV親父ぶりや、休日なのに家族旅行にも猛烈に細かいスケジュールをこなすことに巻き込むため疲れてしまい、「(大前研一抜きで)家族だけでもう一度旅行しようか」と言わしめる異常なエネルギー親父ぶり。ミスをするレストランのスタッフやCAを所かまわず大声で叱りだしたりするロジカルなカイゼン親父ぶり。友人に海外旅行に行くなどと言えばイジメられるから本音はあまり行きたくないし、子供にも用事があるのに、「俺は世界で一番忙しいんだから俺に合わせろ」と無理やり夏休みの家族全員の予定を決めてしまうリーダーシップ親父ぶり。そして、長男も次男も学校をドロップアウトして紆余曲折のキャリアへ…。当然、親父の本なので子供らも編集者もすごく気を使ってセーブしてるはずなのに、それでもこれだから、実際はスゴかったんだろうな、と。この兄弟と同世代の私としては、かなり楽しめた。「子供たちのことを本気で考えてくれていたのは確かだと思う」という最後のほうのコメントは本音だろうし、ホントだと思う。まあ羨ましいものである。■一連の『武器』本×3冊(瀧本哲史)僕は君たちに武器を配りたい武器としての決断思考武器としての交渉思考いずれも主張に一貫性、論理性があって、典型的なコンサル系著者の本だな、と思った。「武器」というインパクトのあるブランディングとマーケティング力も含め、読後に、なるほど感が異様に強く残る。外資系コンサルの上位層はこういうタイプであるべきだし、また、そうでないとやっていけない世界だと思う。『僕は君たちに武器を配りたい』では、投資家的な考え方と、そのために必要となる一般教養(リベラル・アーツ)の重要性を説いている。リベラル・アーツが人間を自由にするための学問であるならば、その逆に、本書で述べた「英語・IT・会計知識」の勉強というのは、あくまで「人に使われるための知識」であり、きつい言葉でいえば、「奴隷の学問」なのである。これは全くその通りだ。英語という手段を使って何を成し遂げたいのか(目的)、その目的は、投資家的にみて、リターンを見込める正しいリスクといえるのか。安定などありえない時代になったからこそ、本書の主張はますます正しいと思うのである。■『なぜマッキンゼーの人は年俸1億円でも辞めるのか?』(田中裕輔)ベールに包まれていたプロジェクトの内容や、入社試験からの一連の流れがリアルに分かる。これはマッキンゼー的にはまずい。「見えないもの」をいかにも高いかのように装って売っている会社だけに、隠しておくことによって、ミステリアスな幻想によって付加価値(すごい訓練を受けた天才ぞろいに違いない、みたいな)をつけて、高いフィーを吹っかけているところが多分にあるからだ。BCGでは快く協力してくれる人もいるのに、マッキンゼーの人たちには、もう4~5人取材を断られていて、その理由として「社外に給料の話をするとマズい、(仕事内容に比して?)高すぎることがクライアントにバレてしまう」という輩もいて、その後ろめたい気持ちはよくわかるとはいえ、もっと正々堂々と開示したらどうか、人に言えない汚いカネなのか?と思うわけである。実際、本書を読むと、業界内では噂でよく聞くとおりだった。コンサル業界では、同じクライアントから過去のMckの成果物を見せて貰うことがよくあるが、フィーがバカ高い割に全然たいしたことないよね、というのが定説で、さすがだ、バリュー出てる、とても真似できない、などという話は一度たりとも聞いたことがない。それだけに、その点において、著者の意図とは異なるであろうが、期せずして、この本はなかなかのバリューが出ている。クライアント企業担当者というより、コンサル志望者の若者は、特に読んだほうがいい。■『ライフ・イズ・ベジタブル―オイシックス創業で学んだ仕事に夢中になる8つのヒント』(高島宏平)モノ売りの商売って資金繰りが大変なんだな、と改めて思った。それでもやり遂げようとする動機は、いったいどこから湧いてくるのか?この種のタイプの起業家は、僕にとっては非常に不思議な存在である。特段、野菜をやらなければならない経歴はなく(たとえば僕は既存の新聞社を批判して辞めて自分が考えるジャーナリズムを貫いている)、とにかく独立したい、何かを成し遂げたい、という達成動機のようなものを持つタイプ。実際、そういう人が成功を収めるパターンが多い。楽天の三木谷氏も、サイバーの藤田晋氏、ライフネット岩瀬大輔氏も、事業を始める5年前から沸々とした芽があったわけではさらさらなく、「さて、事業内容は何でもいいが、何をやってやろうか、なんでもいいから自分のリーダーシップで何かを成し遂げて成功してやる、ビックになるのだ」という、“ビック動機”からスタートしている。この場合、「こだわり」がない分、柔軟に事業運営できるため成功しやすい。だから、やりたいことがない人は、こういう人を参考にすればよい。高島氏のオイシックスは、そこそこ成功を収めた今でも、五反田駅前の築40年のオンボロビルでやってるあたりが、好感を持てる。また、競合他社の社名を一文字として出さず、批判も賛意も示さないあたり、狭い業界内で気を遣って大変そうだな、と思った。■『社長のテスト』(山崎将志)残念な人シリーズで大ヒットを飛ばした山崎氏の企業小説。内容はかなり面白くて読ませる。それぞれの立場で章立てし主語も変わる構成は、物語を重層的に見せる手法として、参考になる。だが、版元(日経)が新聞社の盲腸的存在である出版部門が独立した組織なので、プロの編集ではまったくないのが致命的だ。この内容で380ページは無駄に長い。3~4割カットできる。おそらく新聞記者出身で「一丁あがり」の編集者が担当しているのだと思う。本来、本の編集者と新聞記者は全く異なるスキルセットが必要なのであって、雇用対策で編集局に飛ばされたような元記者集団に良い本が作れるはずがない、と言っておこう。中身が十分イケてるし、もっと読まれるはずだっただけに、もったいない。他社から出す次回作に大いに期待したい。■『坂の上の坂』(藤原和博)これまでは坂を上れば、50代以降、下るしかなかった。だが、「坂の上の雲」の時代に比べ、日本人の寿命は劇的に伸びた。だから、30代には3つ、40代には4つ、50代には5つの、プチ専門領域を持ち、次の坂を登ることで人生を充実させよ、ということ。このコンセプトは、成熟社会&人生80年時代に、重要度がどんどん増していくと思う。著者は、元橋下氏の顧問だが、5年後には民間から文部科学大臣として入閣し、辣腕を振るってほしい。■『さびない生き方』(藤原和博)藤原さんと『10年後に食える仕事、食えない仕事』をテーマに対談することになったので、これまで読んでなかった本を片端から読んだのであるが、これは一番、藤原流のキャリア論が凝縮されていておススメである。ようは、20代のうちに5年間は腰を落ち着け、1万時間を費やし、勝負スキルを身につけよ。それは競争が激しくない特定のニッチ分野が望ましく、そのなかで一番といえるレベルにまで磨き、マーケットバリューを上げよ、ということ。20代、30代では、どんな練習を1万時間積むのか、これをはっきりさせたほうがいいでしょう。…わたしの場合で言えば、それは「営業」と「プレゼン」でした。…一流の人々の中ではもちろんですが、二流の一番を目指す場合でも、現在そうしたポジションでユニークな仕事をしているビジネスパーソンに、20代、30代でポンポン転職を繰り返した人は見当たりません。…20代の後半までに、「ここで勝負!」と見切りをつけて、5年間やってみること。■『私、社長ではなくなりました。―ワイキューブとの7435日』(安田佳生)一時はメディアでもてはやされた、ワイキューブの創業社長にして自己破産した安田氏。この人の魅力は、すがすがしいまでの正直さだろう。リスクをとって、自分の人生を生きるとは、こういうことなのではないか。創業の動機のくだりが面白い。「これこそが『できるビジネスマン』の象徴だと思った。シャンパンを飲むときにはイチゴをかじる。私もよく真似したものだ。…とにかく私はリチャード・ギアのようになりたくて、将来は社長になると決めたのだ。…のちに東京・市谷のワイキューブ本社の5階に、福利厚生のためにバーをつくったときには、そのバーで『プリティーウーマン』をみんなで観る会というのもした。私と小川さんにとっては起業の原点でもあり、思い入れのある映画だ。」仕事をする、会社を作る、その動機なんて、このくらい単純でいいんだと思う。若い人には、もっと気楽に「サラリーマン道」からそれてほしい。2012/10/11
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TACセミナー 「薄型テレビみたいな人材」にならないために来週(6/16土)、資格の学校「TAC」で講演をすることになった。対象は大学1,2年生と、その保護者(親)である。日本では子が職に就かないからといって家から放り出すことが社会的に容認されていないため、子がニート化すると、親のスネをかじられ続け、破産しかねない。つまり、子の就職は親自身の問題でもある。→実社会で通用する「強み」の見つけ方育て方世界の中で考える日本の若者のキャリアキャリア(仕事人生)の成功ルールが変わる!右肩上がりの経済成長が止まった日本。企業には『成果主義』が導入され、昇格・昇給が絞られる。さらにグローバル化・IT化の波は、雇用の場を襲う。今、親御さんの時代の就活とは、事情が全く違っています。お子さんを『就活』難民にしないために必要な事、それは親子で『キャリア』を考えることから始まります。ジャーナリストであり、キャリア・雇用・労働問題をテーマに執筆を行っている渡邉正裕氏が、日本の若者のこれからのキャリア形成について講演を行います。資格だけでは食えない時代となり、その結果として、その支援を生業とするTAC自身も生き残りをかけて構造改革(リストラ)に着手している。すべての資格がコモディティー化するなか、資格取得のための勉強は相対的に効率の悪い投資先になった。これは国の政策としては正しいが、個人にとってはしんどい時代になった。コモディティー化とは、近年の薄型テレビや半導体を思い浮かべていただければわかりやすい。ソニーもシャープも、みんな現場は懸命に努力はしているわけだが、韓国勢に圧倒的に負けて赤字続き、リストラを余儀なくされている。デジタル製品は差別化が難しく価格の叩き合いになる運命にある。資格の取得も同様で、すべての資格には色がついておらず、同じ資格を持つ者同士での叩き合いになる。みんな懸命に努力をして資格を目指してきたわけだが、報われない。ロースクールに通って弁護士になってもスクール代すら回収できない。借金だけ抱えたワーキングプア歯科医も多い。■確かに、「学歴」と同様、シグナリングの機能は残る。採用活動において、山ほどいる候補者のなかから、限られた時間のなかで選別しなければならない際に、「わかりやすさ」は重要だ。「コミュニケーション能力がある」ことを伝えるのは難しいが、「英語を聞く能力がある」ことはTOEICの点数でそれなりに伝えることができる。また、「ある基準に向かって努力し、習得し、ラインをクリアする」という目標達成能力の証明にはなる。ただ、それ以上のものにはならない。自分は何をしたいのか、という「コア動機」という根幹がまずあって、その動機を満たす仕事を見つけて、その仕事に就くために必要な能力がたとえば3つあって、そのうちの1つが資格の取得であったりする。しかもその仕事は、コモディティー(たとえばコンビニのレジ打ち)であってはならず、他者ができる仕事とは差別化されていなければならない。そのためには、「コア能力」、すなわち才能にひもづいていない限り勝ち目はない。「薄型テレビ」みたいな<努力しても報われない>人材にならないために、学生時代から何をしなければならないのか?親には何ができるのか?申し込みはこちらから。2012/06/09
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「ぜんぶ社会が悪い」思考のススメ『週刊朝日』1997年5月2日号より2012/05/11
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「中国インド⇔日=欧米」の仕事観示す『21世紀のキャリア論』『21世紀のキャリア論』(高橋俊介著)2012/05/09
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外資で働くということSFCの「Ω」教室にて2012/05/07
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『官報複合体』破壊には、実践あるのみ『官報複合体』(牧野洋)。少々ぶ厚いが熟読した。2012/04/12
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逝く前のジョブズのごとく…佐野眞一『あんぽん』『あんぽん孫正義伝』2012/02/26
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品川がいろんな意味で「残念なニッポン」な件パチンコ店「スーパーハリウッド品川」2012/02/22
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ソーシャル時代の書籍販売今回発売となった新刊は、前回までの反省(ターゲット読者がエリート層に限定されて市場が小さすぎ)のもと、対象マーケットを日本語が読める労働者全員と就職を意識した学生、つまり約7千万人くらいに定め、総務省統計局の職業分類をもとに主だった職業をすべて図のなかにプロットし、かつ判定チャート図まで入れて、あらゆる職業の人に役立つものとする、という超親切な設計とした。対象マーケットの広さに加え、切り口の新規性(類書なし&新たなコンセプトの提示)、カラ―図版によるわかりやすさ、それらを凝縮したタイトル&装丁…と、著者の知名度以外は、売れる要素をすべて満たしている。10年後に食える仕事、食えない仕事昨日からアマゾンは「一時的に在庫切れ入荷時期は未定です」になってしまった。楽天も「入荷予約」。セブンネットも売り切れ。アマゾンには800冊くらいは卸したようだが、1日平均100冊以上売れて、発売1週間ではけてしまった。初版1万部に加え7千部増刷中で、増刷には2週間はかかる(イマドキ、技術革新で5日くらいに短縮できないのか?)。売れずに在庫が積み上がっているよりは好ましいが、買おうと思った人の手に届かない、という申し訳ない状況である。地方で小さな書店しかない地域など、ネットに頼っている人も多いだろう。僕は、必要としている人にだけ届けばいい、必要以上に売れる必要はないと思っているが、必要と感じた人でも「入荷未定」では注文できない。一方で、リアル書店はというと、紀伊国屋はさすがに新刊コーナーに積まれているが、昨日、大手のジュンク堂を2店舗(西日本地区)まわって見たところ、どちらも転職コーナーの棚にひっそりと飾られ、そのエンドにもなく、全体の新刊コーナーにもなかった。店内の検索機で調べたら、その店には在庫が31冊もあった。ネットで買いたいと思った人には在庫切れで届かず、リアル店舗には在庫が有り余っていて新刊コーナーにも並ばず、回収するわけにもいかない。このギャップは許容すべき範囲なのか?元コンサルの私には、このチグハグで不合理な現状が放置されているのが不思議でならない。■2つの「はやさ」問題は、ここ数年のソーシャルメディアの浸透を含むネット販売に対応できる体制になっていないことだ。ネット上(ツイッターやフェイスブック)の、いわゆるソーシャルフィルタリング(あの人がこう薦めたものは間違いない…)を参考に読む本や観る映画を選択する人は、確実に増えている。その、リアルと比べたネットの特性は、取り上げるのが早く(時間)、伝播も速い(速度)、という、2つの「はやさ」にある。たとえば今回でいえば、ビジネス書系の著名な書評ブロガー(僕は面識もなければメルアドも知らない)が、まだリアル書店に並ぶ前におそらくネット経由で購入して書評を載せ、すぐにはてブに800超のユーザーがブックマークし、勝間氏の言う「はてブトルネード」現象として伝播し、アマゾン配送センター在庫は2日で切れ、出版社在庫も1週間と持たず消えた(書店には大量の在庫がある)。こうなると、楽天&アマゾンのアフィリエイタ―の動きにブレーキがかかる。紹介しても数字がカウントされないからだ。書評ブロガーは、主に自分の「目利き力」(文章表現力や分析力、伝える切り口)による社会への影響力をカウントしたい動機で動いている。必ずしもカネ儲けのためにやっているわけではない。そもそも、書評アフィリエイト収入で生計を立てている人はおらず、主な収入になるほど儲かる仕組みになっていない。せいぜい、こづかい程度である。どれだけ自分のブログ経由で売れたかを見るのが楽しみでやっているのだ。だから、今回もそうだったように、誰よりも早く、いち早く発売と同時に入手し、書評を書く。スピードは優れたアンテナの張り方を示す「目利き」の重要な要素である。そして、数字で返ってくる反応に喜びを感じる。だから、注文が減って数字にカウントされなくなる「品切れ」は最悪なのだ。そこからの波及も減る。紹介をやめる人も増える。自発的に仮想営業マンとして動いてくれるアフィリエイタ―は、極めて健全だし(読者にとって役立たずの書評家は売れないから淘汰される)、著者・出版社・読者の誰しもにとって、ありがたい存在といえる。また、ネットの世界は圧倒的にレバレッジが利くので、人によっては、営業マン数十人分の仕事と同じくらいのバリューを発揮する。その邪魔をしないことが、どれほど重要か。もちろん、販売の予測は難しいので、今回のアフィリエイト対応書店(アマゾン・楽天)の在庫切れは、そんなものだと思う。むしろ初期としては十分だったくらいだ。それ自体は、特に問題ではない。問題は、在庫切れの際の、出版社からの補充体制のほうである。■正しい販売戦略答えを言うと、初版1万部を刷る場合には、4千部くらいはネット向け在庫として、当初2週間だけ、いつでもアマゾン市川などの配送センターに数日で補充できるよう、出版社在庫を確保しておくことだ。はてブトルネードは、起きるかもしれないし、起きないかもしれない。それでも、起きることを想定しておき、起きなかったことを確認してからリアル店に在庫を流すほうが、戦略としては正しい。なぜなら、リアル店舗は2週間遅らせてもダメージは少ないが、ソーシャルメディア上では致命的となるからだ。リアル向けには、当初6千部あれば、主要書店で平積みにはなる。リアル書店については、ネットの様子を見てから、実質的に2~3週間、発売を遅らせることになっても、何ら問題はない。リアル書店に足を運ぶ習慣がある人は定期的に店頭に行くので、それが今だろうが、3週間後スタートであろうが、買うものは買うからだ。リアルはいい意味でのろい。ところが、ネットは全く違う。瞬発力勝負だ。前述のように、2つの「はやさ」がキーワードなので、発売直後にしかチャンスはない。書評ブロガーは3週間も遅れて書評を書くなどプライドが許さないし(紙の書評やリアル書店の店頭PRでは3週間後でも普通だ)、最初の1週間でブログやツイッターなどで瞬間的に伝播して興味喚起した際にクリック1つで注文できないと、2度とそのツイートやフェイスブックフィードは読まれない。流れていってしまうからだ。だから、初期のアフィリエイト対応在庫は、決定的に重要なのである。「品揃えが取り柄です」(=コンシェルジュ的センスではなく)をうたい文句にするジュンク堂のような図書館系書店に、発売当初から各店30冊以上も入れる意味があるのかというと、答えは明らかにノーだ。三省堂などのように、事前の目利き店員との交渉で興味を示し、新刊コーナーに置いてくれる商談がまとまった店には、もちろん入れる。だが、もはや出版点数の増加から倉庫業者のように品さばきに忙しくて目利きにまで手が回らない大多数の書店には、2冊ずつでも、2週間後の納入でもよい。誰も困らない。機械的に発売日に30冊入れても、1週間後になっても新刊コーナーに並ばず大半は書店裏の倉庫に眠っているのだから、急ぐ必要は全くない。もちろんこれは、すべての書籍にあてはまるものではない。誰も注目していない御用ライターや、ネットと隔離されて生きている学者などが著者の場合は別だ。はてブトルネード発生の可能性が低いからだ。それなりにSNSを日常的に利用している私のような著者の場合の話である(僕はネット新聞のオーナーだから、ニュースサイト上で告知でき、ツイッターでも告知できるから、ネットから注文が入るのは当然だ)。書籍販売における発売直後(数週間)のKSF(KeySuccessFactors)は、「アマゾン楽天の在庫をなるべく切らさないこと、その補充体制を万全にすること」である。ソーシャルメディア時代に入ったのはここ数年のことなので、出版社もなかなか追いつけないだろう。ゼロベースで販売・マーケ戦略を再構築すべき時期だと思う。というわけで、本書に興味を持たれたかたは、ウェブ上の書評(はてブ、アマゾン…)などソーシャルフィルタリングを活用のうえ内容を吟味し、リアル書店に足を運んでいただくか、アフィリエイトはないがリアル系通販をご利用いただきたい。■紀伊国屋ウェブ■丸善ジュンク堂ウェブ2012/02/12
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カミマネーがなくなる日3件アポがとれたのでロンドンにやって来た。総合的にみて、ロンドンの交通網は世界一発達しているのではないかと思ったが、10日ほど、いろいろ歩きまわって思ったことを東京との比較で書いてみよう。■明らかににロンドンのほうが優れている点1.クレジット文化ロンドンはクレジットカード文化が超発達している。「自分で差して、ピピピッと暗証番号を押すだけで決済終了」という効率的な支払ができる。サインしている人は見ない。釣りの受け渡しどころか、カードの受け渡しがないままにさっさと買い物ができて気持ちがいい。店員にカードを渡さなくてよいから、番号や有効期限がスキミングされることはない。あのカード決済端末は、日本にも導入すべきだ。日本ではわざわざ店員がカードを客から受け取って、端末にセットして、こちらに端末を置いて暗証番号を押させて、また戻して、カードを返して、という5つもの無駄なアクティビティが発生し、時間をロスし続けている。これは日々、全国で行われているので、莫大な経済活動のロスだ。日本は現金がまだ主流とされ、カイゼンが進んでいない。ロンドン人が東京に来たら「ダサッ」「まだサインなんかしてんの?」「現金なんて不便なもの持ち歩くなよ」って思うだろう。あの便利な端末が普及すれば使いたくなるからカードもより普及するわけだが、やはり日本のカード会社は「銀行の下部組織」に過ぎないのだな、と実感する。利便性や安全性に関する消費者の論理よりも、企業間の力関係の論理が勝って、普及を阻害しているのだと思う。ロンドンは、地下鉄の非接触カードも、中心部間だとオイスターカード(東京のスイカ・パスモ)£1.9、紙だと£4.0と2倍以上になるので、ほとんどの人がオイスターを使う。そして、チャージもクレジットカードで各駅にて簡単にできる。これは旅行者にとっても超便利だ。FREE。日本も見習えと言いたいところだが、メガバンクの税金無駄遣いな反社会的体質を見るにつけ絶望感は深まるばかり。2.キャッシュの引き出し上記に関連して、キャッシュの引き出しが無料で、端末が地下鉄の駅内を含む街中にある。だから、多額の現金を持ち歩く必要がなく、スリを仕事にしている人も「スリがい」がない。極めて安全な社会を実現している。僕はシティバンクの銀行カードとVISAカードの計2枚だけを国内外で持ち歩きメガバンクのカードは使っていないが、1000円引き出すのに210円とられる日本とは大違いだ(それでも「世界中1枚でOK」の便利さが優越するから、やはりシティバンクは優れている)。都内の駅では新生銀行の端末が増えたが、限られた公共の場所に特定の銀行の専用端末を置くのは間違っている。ロンドンのように、全銀行対応のセブン銀行のような端末だけを設置すべきだろう。3.二階建てバスロンドン名物のノッポな赤い二階建てバスは、予想以上にたくさん走っていて市内のどの風景にも出てくる。観光的な意味合いで残しているのかと思いきや、ぜんぜんそんなことはなく、超機能的だ。僕が乗ったバスはかなり混んでいた。二階の一番前の席は眺めもよく、かなりの特等席。終点近くまで乗るつもりの人は、さっさと二階に昇って、奥のほうに座ってくつろげる。二階は人の出入りもなくドアも開かないから暖かいし、広い。短距離ですぐ降りる人や足腰の弱い人は1階にいればいいので、これはきわめて合理的なシステムである。人口の多い都市を走る世界中のすべての公共路線バスは二階建てにすべきではないか、と思った。支払いもオイスターカードで入口でピッとかざすだけ(1回1ポンド)。路線図もわかりやすい。■明らかに東京のほうが優れている点1.ケータイ電子マネーの交通機関以外への普及これは世界でも日本のドコモの独壇場で、これから確実に普及していく技術だろうが、ロンドンではクレジットが普及していることもあり、普及ゼロだ。少額でもクレジットは使えるが、100円の買い物でクレジットの暗証番号を押すのは極めて効率が悪い。それがロンドンだ。これは、日本のコンビニが超異常な発達を見せている(ヨーロッパには24時間営業のコンビニやファミレスはほぼない)ことと関係があると思う。コンビニは多頻度少額決済ニーズが高い。ロンドンは、コストコで週末まとめ買い、みたいな感じだから、クレジットでいいのだ。ところが、やはりキオスクのような少額決済のニーズは必ずあるわけで、金融大国のイギリスを凌駕する日本はさすがテクノロジー経済大国である。タクシーでもコンビニでもスーパーでも電子マネー決済ができてしまう日本は、世界最先端を走っている。これをビジネスとして世界展開できないところが、ガラパゴス国家・日本の弱さだろう。2.公共トイレが整備されまくり「使いたいなら0.3ポンド払え」で改札式になってる大型駅のトイレ驚くべきことに、ロンドンでは標準的な駅に利用者用のトイレが存在しない。この寒いなかを半日以上も駅を出たり入ったりしていれば当然、トイレが近くなる。その都度、スタバやマックに駆け込まなければいけないのだ。いったいどういう発想からこのような顧客軽視のシステムが普及しているのか不明だが、これはショップでも同じで、たとえばストリート沿いの店にはトイレがない。ユニクロの大型店にすらない(銀座店だとあるくせに)。これでは安心して買い物すらできない。大型の駅だと0.2ポンドとかで有料のトイレがあるが、これは現金制なので不便だ。トイレを利用したいと思っている客には、コインを探している暇はない。僕は現金なんて不便なものはこの世からなくなればいいと思っているので、トイレもカネをとりたいなら、オイスターカードで「ピッ」と決済して入れるようにすればいい。■引き分けタクシー南に1時間ほどのブライトンから戻ってロンドンブリッジ駅(日本でいうと品川くらいのデカい駅)に着いたら終電がなく、ホテルがあるカナリーワーフまでタクシーで行くしかなくなった。20人以上が列を作って待っている。前の人はケータイでハイヤーを呼んでいたが、20分くらいしてやっと来て、プライベートハイヤーに乗っていった。結局、極寒のなか、30分近く待った。ロンドンの冬は寒い。ユニクロの長袖ヒートテックを現地調達して着ていたが、それでも芯まで冷えた。バブル期の銀座はこのように夜、タクシーが捕まらなかったそうだが、今の日本ではタクシーが溢れていて、30分待ちはありえない。ロンドンタクシーを引きあいに出して「タクシーは情報産業だ」と野口悠紀雄氏がよく書いていて、日本のタクシーに改善を望んでいたが、確かに彼らは、道を知っている。免許をとる際の試験が厳しいらしい。ホテルもだいたい知っていた。接客態度も日本よりいい。日本は50代60代ばかりの覇気もやる気もないドライバーが多く、冬でも着いたら支払いの前にドアを勝手に開けるバカばかり。ロンドンタクシーは車内も広く、ドライバーの平均年齢も若くキビキビしている。10.4ポンドのとき「端数はないならいいよ」と言われ驚いた。日本で50円引きはまずない。ところが、客のニーズはそういったソフト面だけではない。すぐに必要なときに利用できて、支払いが迅速にできることのほうが、実は重要だという客も多い。現実的には、むしろそういった物理的な利便性が重要だろう。ロンドンタクシーはピーク時台数の柔軟性(捕まえやすさ)に加え、決済についても遅れており、オイスターカードが使えない。この2点において東京のほうが上だ。オイスターが使えるようだと、「ロンドンの交通網は電車・バス・タクシーの組み合わせで交通&決済の人類最終形」と言ってよいほどだったので、たいへん残念である。クレジットもほとんど使えない。料金は初乗り2.6ポンドながら従量制でどんどん上がっていくので、東京と同じくらいの感覚である。東京の710円は世界一で、これは異常料金といえる。以上で改めて思ったのは、世界共通の少額決済カード(プリペイドでもIDのようなアフターペイでも)が誕生したらいいのに、ということだ。既にクレジットカードは世界共通で使えるのだから、技術的には可能なはず。スイカやパスモやエディがロンドンのオイスターと互換性を持てばよい。今回、オイスターに10ポンド残してしまったが、これは捨てるしかない。このままスイカとして使えて、裏で勝手に為替計算して残高から引いてほしい。手数料を上乗せしてくれても、使えるほうが便利である。少なくとも先進各国で「多額はクレジット、少額はプリペイド、プラスαで電子マネーもOK」みたいなインフラが世界共通で普及したら、現金を持ち歩かなくてよい社会になる。これは税務署にとっても最高の仕組みだが、消費者にとって特に利便性が高く、カミマネーの受け渡しがないことで生産性は上がり、安全で効率的な世界にすることができる。20年後にはそうなっているのではないかと思う。2011/12/19
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守屋部長へのお手紙「10年後に、また会おう」最後に、福岡でそう言いましたね。芝居じみたセリフだな、と思ったので、よく覚えています。そう言うのだと決めていたんだろう、と。そして、こんなことも言いました。「そのときに、おまえが一人前の記者になっているか、だよな…」そんなことを思い出したのは、ほかでもない、あなたの記事を見つけたからです。8月11日、香港→上海に飛ぶ香港ドラゴン航空の機内で、キャビンアテンダントが1部だけ朝日新聞を持ってきて、どうぞ、と手渡されました。新聞など読むつもりもなく、頼んだわけでもないのですが、日本人だからと気を利かせて、日本語の新聞を持ってきてくれた。せっかくなので受け取って、偶然見つけたのがこの記事でした。守屋林司さん(もりや・りんじ=日本経済新聞社常務執行役員)9日、膵臓がんで死去、61歳。僕は退職後、新聞の購読契約を一度もしたことがなく、年に何回か暇つぶしに飛ばし読みするくらいです。それが、海外にいるというのに、わざわざ手渡された1部のなかのベタ記事が飛び込んできた。昔を思い出して、涙が出てしまいましたよ。人生に偶然などないと言いますが、これは必然でしょう。宿命づけられた因縁なんです。守屋部長が僕に知らせたかったのだろう、あのCAはその使徒なのだと感じ、こうして返事を書いている次第です。あなたは、僕が入社1年目の終りに西部支社編集部の部長として赴任してきて、それから2年ほど、僕の人事権を握る直属の上司でした。西部の部長は、同期のなかで一番出世で部長になった人が最初に就くポストだと聞いていましたから、社内的な評価は高いのでしょう。その後も、局次長、日経産業新聞編集長、そして常務執行役員まで出世していたんですね。でも僕の中では、永遠に守屋部長なんです。新米部長なので、部下の管理が分からなかったのでしょう。おそらくは同期でもっとも扱いずらい僕のような新米記者にあたってしまって、今考えると、お互い、不運でしたね。訳も分からず、大濠の自宅に呼んで説教をくらったこともありました。2人のお子さんは守屋部長そっくりでしたね。でも、僕は反発しただけでした。ただでさえほとんどゼロの休日なのに、ちょっと待てよ、と。自分の価値観を頭ごなしに押しつけ、「黙って従ってればいいんだ」というあなたのマネジメント手法は、明らかに管理職として能力不足だと今でも思います。僕が自分で契約している個人サイトに全面閉鎖命令を出したときも、「いいから俺の言う通りにしておけ」という高圧的な姿勢でした。それで万事丸く収めるのが部長の仕事だと思っていたようですが、こちらは信念に基づいてやっているのだから、はいそうですかという訳にはいきません。言論の自由を主張する僕の話なんて、聞く姿勢もない。コミュニケーション能力がなさすぎです。軍隊的なカルチャーでは命令が全てだからそうなるのかもしれませんが、それは管理職としての業務放棄でしょう。結局、「社内でルールを作る」という約束を反故にされた僕はサイトを再開し懲戒処分になり、管理責任を問われた守屋部長も軽いけん責処分を受けてましたね。僕は、残っていても飼い殺しにされるだけなので、予定より少し早めに会社を辞めました。結果、給料は下がるし、引っ越しもしなきゃいけないし、畑違いのコンサルで1からやり直しだし、様々な苦労もしました。次に会ったのは、2001年12月18日の東京地裁法廷でしたね。僕はけじめをつけるため、処分取り消しを求める裁判をやらざるを得ませんでしたから。3時間超に及ぶ集中証人尋問で、証言台で一緒に横に並び、「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。」と宣誓を読み上げました。あなたはジトーっとした目で睨んでいるようでした。会社としても、現職の人事部長と守屋部長を法廷に出さないと勝てない、というところまで追い込まれたんです。「君の勝ちです」というメールを同期から貰って、僕は満足でした。裁判には結局、勝てませんでしたが。僕は、部長がほかの人だったら、こういう結果にならなかっただろう、と今でも思っているんです。あなたは、たかだか10人程度しかいない部下をマネジメントできなかった。部下と話し合う姿勢が少しあるだけで、ぜんぜん違ったでしょう。3か月に1度くらい話す機会を作ればいいだけなのに、それもせず、本社のほうばかりを向いていましたね。本社からエラい人が来るとなれば、それはもう、出迎えから見送りまで、すごい気の遣いようでした。ああいうのが、僕には、ものすごい違和感があるんです。これはもう、価値観の違いです。あなたは会社組織に対して信仰を持っていた。会社が全て、組織内で出世することがすなわち幸せなのだ、という宗教心にも似たものを持っていた。一方、僕は最初から社内での出世は目指していない。むしろ社内の出世競争を滑稽だとさえ思っていました。10年後、一人前の記者になっているか--あなたはそう言いました。一人前とは何か。僕は、組織から離れても、いつでもどこでも、個人名でいい仕事、職業倫理に忠実なプロフェッショナル(顧客志向)としての仕事ができることだと思っています。その基本的な考え方は、新人時代からずっと変わっていません。でも、明らかにあなたがいう「一人前」とは、会社組織内の記者としての役割を果たすことを意図していたと思います。価値観の違い、世代の違いもあるでしょう。だからこそ、上司が率先してコミュニケーションをとるべきでした。僕は一人前になりましたよ。なりたかった。見返したかった。だから今でも、あなたの下で仕事をしていた時代の写真を、ずっとブログの右上に載せているじゃないですか。あの頃の思いを忘れないためですよ。あれは三池炭鉱閉山で大牟田市に取材に行ったときに写真部員が写してくれたものです。日経新聞では海外出張といえば、ご褒美でしたよね。だから不況になると突然、予算が減ったりしていた。海外赴任でさえそうです。社内で頑張った人の骨休め。社内の人は、みんな知っていることです。今日は中国・上海でこの手紙を書いています。僕は自分で会社を作り、自分のネットワークで世界中で取材して、自由に記事を書いて発表し、十分な対価を得ることができるようになりました。書く場さえも自分で作ったんです。取材費だって、大企業の経費ではなくて、自分で余裕を持ってファイナンスできています。数日後には週刊誌の巻頭特集の締切があるし、秋には単行本の締切もある。来週は月刊誌の連載の締切があります。月末には講演会もやる。これが一人前の記者であり、ジャーナリストの仕事だと、僕は思っているんです。会社の常務執行役員といったって、1サラリーマンではないですか。自分で自由に取材できるわけでもないし、たいした権限もない。会社の名刺なしには、何もできないのではないでしょうか。そのような立場は、一人前とは言えない、そう思います。「社蓄」のピラミッドでは一番上にいるかもしれないけれど、やっぱり社蓄なんですよ。僕の名刺の表には社名も肩書もなく、名前だけが書いてあります。個人名で勝負しているからです。「10年後」には会いませんでしたが、どこかで会って話してもいいかな、とは心のどこかで思ってはいたんです。少なくとも、あなたから連絡が来れば会うつもりだった。僕は、紙は衰退すると思っていたし、ネットには無限の可能性を感じていましたから、自分のサイトを閉鎖して未来を閉じる訳にはいかなかった。実際、そのまま突き進んで、今では立派にニュースサイトとして、こうして事業化しているんです。単なる趣味や悪ふざけでは決してなかった。一貫した信念を持ってやっているんです。お互いキャリアを積んだ今なら、そして僕が今やっている事業を見てもらえたら、もっと分かり合うことができたことでしょう。その点では残念です。僕の単行本が発売されたときは日経の総合面にもデカデカと幻冬舎の独占広告が載りましたから、きっと僕のことをウォッチはしていたでしょうね。果たして、どう思っていたのでしょうか。61歳は、まだ若いです。新聞記者は若い頃の無茶苦茶な働き方が祟って、早死にします。これは社内では周知の事実です。社内報『太陽樹』に出ますからね。若いころに肉体的に疲弊し、中年以降は社内政治で精神的に蝕まれていく。会社のために遮二無二働き、出世できても、早くに亡くなって、社葬してもらう。会社のための戦死。僕はそういうリスクと不可分なキャリアには、全く魅力を感じません。そのような「会社人間」をよしとする空気は、世界中で日本にしか流れていない。インドや中国を取材して、世界の中の日本の特殊性を改めて強く感じています。どちらが100%正しいとは言えないでしょう。僕は個人中心のキャリアが正義だと思っているし、守屋部長にとっては、会社こそ正義、終身雇用こそ正義だ。時代も世代も違う。僕は、信念を持って生きていて、これを曲げることはないから、単に従うわけにはいかなかった。どこかに妥協点や解決法はあったと思います。懲戒だの裁判だのは、よくなかった。僕は、あなたのおかげで転職後にずいぶん苦労したし、あなたも、僕のおかげで心労が祟って、少しは寿命を縮めたのかもしれませんね。人生とは、そういう価値観が異なる人間同士の絡み合いが織り成す複雑系の物語なのでしょう。価値観が180度違う者同士が共存するためには、徹底的にコミュニケーションをとるべきだ――これが、この2人の物語の示唆するメッセージであり、神が学ばせたかったことなのかもしれません。大切なことを学びました。グローバル化した世界において、ますます重要度が増していることの1つだと思います。2011/08/14
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露骨な欧米崇拝、近づくジャスミン革命ランドマーク的存在の「グランド・リスボア」2011/08/10
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「半分サラリーマン型」が普及するとき『米国製エリートは本当にすごいのか?』2011/07/14
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「ネット=鉛筆」論を克服するために「ペンは剣よりも強し」は、実際の由来はともかく、開成や慶応が紋章に使っているほど有名な言葉であるが、ロシア語通訳者の米原万里氏が書いた『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』によると、ロシア人が口にするのを聞いたことはないそうだ。代わりに似たような意味の「ペンで書かれたものは、斧では切り取れないよ」というロシア古来のことわざがあるからではないか、としている。それは、「武力に対する言論の優位」という意味もさることながら、もう1つ、「筆禍は取り返しがつかない」という意味に使うことが多いという。プラハのソビエト学校に通い始めた最初の日から、私は、『ペンで書かれたもの』に対するロシア人の特別な思い入れにたじろいだ。(中略)「どの学科も、生徒は正式なノート2冊と下書き用のノートを一冊ずつ持つことになっているらしいよ」(中略)つい正式ノートに鉛筆で書き込んでしまう私に向って、数学の先生も、ロシアの先生も諭した。「マリ、一度ペンで書かれたものは、斧でも切り取れないのよ。だからこそ、価値があるの。すぐに消しゴムで消せる鉛筆書きのものを他人の目に晒すなんて、無礼千万この上ないことなんですよ」これは1960年の話だが、最近、似たようなことをニコ動の番組でしゃべっていたのが、東浩紀である。「完全に印象論だけど」と断ったうえで、紙とネット(メルマガ)の違いについて、「日本のメルマガは、実際に社会を動かせるかどうかが試されるフェーズに入った」として、以下のようなことを言っていた。たとえば、大川隆法メールマガジンは成立しない。ネットだけで宗教は広まらない。紙とネットでは、コミットメント感や熱量が違う。ネット上の情報で、ホントに社会は動くのか、ということ。だから、若い人は出版をやったほうがいいのではないか、本の5万とウェブの5万は、ぜんぜん違うから。僕は、ネット新聞を成功させるために、ネット上の記事と紙の記事の違いについて、ずっと考えてきた。全く同じ情報が載っていても、紙とネットでは、ネットのほうが安っぽく信憑性が低いために、ビジネス化する際の商品として不利だ。そこをどう克服するかが、成功のためのキーファクターであることは明らかだった。asahi.comでさえ、一度掲載した記事を何らかの圧力がかかると数日で消してしまう(→これが有名)ことからも分かるように、ネットというのは、まさに鉛筆で書かれたものが簡単に消しゴムで消されるがごとし。「取り返し」がついてしまうメディアなのである。ネット=鉛筆なのだ。ネットの記事は、ロシアの先生の言葉で言えば「すぐに消しゴムで消せる鉛筆書きのものを他人の目に晒すなんて、無礼千万この上ないこと」で、斧でも切り取れないペン書きの記事との差は歴然としているし、東氏の表現でいえば「コミットメント感や熱量」においてネットは劣るわけである。紙に印刷されたものは改ざんできないが、ネットは一瞬で修正でき、丸ごと消し去ることもできるから、情報のチェックも甘いに違いない、という避けがたい人間の発想。これは歴史や教育の問題ではなく、単なる物理的なメディア特性の話なのであり、ネットの弱点である。だから、逆に、ネットの強みを徹底的に生かさない限り、勝ち目はない。その一環として、MyNewsJapanでは画像やPDFダウンロードを多用したり、検索でデータベース的な使い方ができたり、という設計にしているわけだが、このたび、読者による評価システムとして「続報望む」を新たに導入した。記事の下で、会員が続報を望む場合に、無料で3point投票できるほか、追加で取材費などを無制限に提供できる。東氏の言うとおり、ネットはコミットメント感が薄いメディアだ。冷やかしで見に来る客は多いが、行動にはつながらない。それでは、単なる悲しいガス抜きメディアでしかなく、情報の流れを変え、世の中を良い方向に変えることを目指した創設理念に反する。現状、読者ができる行動として、情報提供や記事を書くことのほかに、「自分の代わりにこの問題を追及してくれ、続報を報じてくれ、自分にはスキルも時間もないが、取材費の提供はできる」というものがある。今回、そのインフラを整えることにした。同じ思いを持つなら、熱量が高いなら、行動してくれ、「同情するならカネをくれ」ということだ。全く新しい試みではあるが、ネットを鉛筆メディアで終わらせないためには変革あるのみ。ネットメディアに新境地を切り開き、コミットメント感溢れる高い熱量を持ったニュースメディアを作っていきたいと思っている。2011/07/13
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顧客は何に紐づいているのか?横軸:顧客が紐づいているものが個人か組織か縦軸:報酬水準≒スキル難易度の高低2011/06/25
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「暴露本」という冒涜ときどき、正当な報道やジャーナリズム活動を、まじめな顔で「暴露本」と表現する輩がいて困る。BBTが、本サイトで連載し日韓で出版もされた『トヨタの闇』(筑摩書房より文庫化)を“暴露本”リストに挙げていたので、一応、指摘しておこう。外国人には分からないと思うが、暴露という言葉や語感は、明らかによい意味、ポジティブな意味の日本語ではない。大辞林によると「暴露」とは、[1]他人の秘密・悪事などをあばいて明るみに出すこと。[2]直接風雨にさらされること。また、有害物質や病原菌などにさらされること。だそうで、主に「他人」=人間に対して使う。大前研一ライブ/2011年6月19日号より引用。『内側から見た富士通』(城繁幸著)から始まって、最近の『ユニクロ帝国の光と影』(横田増生著)まで網羅。単なる有名人や芸能人の低俗な芸能スキャンダル、たとえば酒井法子や石原真理子の本は「暴露本」でいいと思うが、巨大企業の内幕を描いた、左記に列挙されたような本は、権力を監視するという目的に立った、ど真ん中のジャーナリズム活動なのであって、暴露などという低俗な表現を使うのは間違っている。ジャーナリズム=言論表現の自由は、民主国家にとって必要不可欠なものであるから、神聖なプレーンバニラのジャーナリズム活動を暴露本と卑下し、見下すのは極めて失礼なことであって、民主主義に対する冒涜(※冒涜=崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める行為)とも言えるのである。図にあるように、アパレル会社は途上国の児童労働が外部のメディアやNGOによって告発され、問題は改善され、世の中は前進した。これら最高レベルのジャーナリズム本が高く評価されないならば、民主国家としての日本社会の、成熟も発展もないだろう。2011/06/23
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東洋経済キャリアセミナー「35歳までのキャリア戦略」警備が厳重すぎな天安門広場。全体がガードで囲われ、単なる広場なのに、入るのに荷物のX線検査やセキュリティーチェックが必要。体制の危うさを物語る。2011/05/23
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『手紙』(東野圭吾)朝9時の開店と同時に喫茶店で本を読み始め、読みふけっていたら、夜20時半の閉店まで居座ってしまった。本屋に併設されてる店とはいえ、パチンコ店じゃあるまいし、連続11時間超の滞在はかつて例がない。モーニングセットにランチにケーキに、とオーダーしていると腹も減らないし、店も満席にならないので居心地がいい。もちろん出て行かない最大の理由は、数冊の本にはまってしまったからである。まず、「G2」に載っていた佐野眞一(1947年生れ)の被災地ルポが秀逸で面白い。ジャーナリストって60過ぎてもいい仕事できるんだな、それもかつての新宿ゴールデン街での知己を訪ねていくという、年を重ねた60代ならではの仕事があるのだ、といい勉強になった。この仕事は死ぬまでできるのがよい。目指せ佐野眞一、目指せ田原総一朗である。この日、もっとも面白かったのが、「兄弟もの」という私のリクエストに対してIBM時代の同僚から薦められ買った『手紙』(東野圭吾)だった。不自然な死の解明みたいな非日常すぎるミステリーものには興味がなく、本屋に行って東野コーナーを見るにつけ、場所とりすぎだろ、くらいに思って一作も読んだことはなかったが、意外にも大当たりで最後まで読みふけってしまった。この作者の他作品もチェックしたが、どうもこの作品だけ毛色が違って、社会派色が強い。「世間との闘い」がテーマ。殺人犯の兄を持つ弟が主人公で、世間のレッテル貼りをこれでもか、と思い知り、兄弟の縁を切るに至る。店頭から倉庫への人事異動に対し、主人公はこう言われる。「会社にとって重要なのは、その人物の人間性ではなく社会性なんだ。今の君は大きなものを失った状態だ」弟には何の罪もないが、社会は「殺人犯の弟」として扱う。どちらにも言い分があり正義は1つではない。立花隆が『ブラックジャックによろしく』について評した、カ・ド・コンシアンス(フランス語でいう「あの意見も正しい、だけど反対のこの意見も正しい、という答えのない問題」)であり、良質なジャーナリズム作品といえる。ジョンレノンの『イマジン』(差別や偏見のない世界)との絡みや、ちゃんとオチがあるストーリー展開など、さすがミステリー作家だと思った。こういうのを天才と言うんだろう。だからコーナーがあるほど売れてるのか、東野さんは…。家に帰ってWikiを見たら「映画化に合わせて2006年には文春文庫より文庫版が刊行された。この文庫本は1ヶ月で100万部以上を売り上げ、同社最速のミリオンセラーとなった。2007年1月現在、140万部を超えている」とあった。こういう社会派の作品が、映画化もされて、ちゃんと100万部以上売れて、直木賞候補になっていて、日本人も捨てたもんじゃないな、と思った次第である。2011/05/05
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「国語」の胡散臭さ『日本語能力試験N1総合問題集』(高橋書店)より。『若者はなぜ「会社選び」に失敗するのか』を転載。2011/05/02