渡邉正裕記者のプロフィール
最終更新日 : 2023/11/01

渡邉 正裕(わたなべ まさひろ)
- 性別男性
- メールアドレスmasa@mynewsjapan.com
- 生年月1972/05
- その他連絡先messenger FB(実名)
- 住所東京都
- SNS@masa_mynews
- 職業ジャーナリスト/編集長
経歴/コメントなど
ニュースサイト『MyNewsJapan』のオーナー、編集長、ジャーナリスト。『企業ミシュラン』を主宰。1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒後、日本経済新聞の記者、PwCコンサルティング(現・日本IBM)のコンサルタントを経て、インターネット新聞社を創業。2年で単年度黒字化。
一貫して「働く日本の生活者」の立場から、雇用労働問題の取材執筆情報発信を行う。主な著書に『いい会社はどこにある?』(ダイヤモンド社)『10年後に食える仕事 食えない仕事』(東洋経済新報社)『35歳までに読むキャリアの教科書』(ちくま新書)など。講演&セミナーは、労組・私大・都立高・資格学校・キャリア学会・出版社・証券会社など多数。
【時系列】渡邉正裕(わたなべ・まさひろ)
(株)MyNewsJapan社長/編集長/ジャーナリスト。専門は働き手の立場から考える雇用・労働問題。
1992年慶應義塾大学総合政策学部入学。政治学、政策過程論を専攻。ゼミは米国の政治。
1996年同大学卒業後、日本経済新聞記者。1,000本超の記事を日経各媒体に執筆。
1999年10月~2004年10月、IBMビジネスコンサルティングサービス(現・日本IBM)。コンサルタント及びマネージャーとして大企業ホワイトカラーの生産性向上、間接部門の効率化、人件費最適化等を目的とした15のプロジェクトに参画。
2001年3月、日本経済新聞社とその代表者・鶴田卓彦社長(当時)を被告として懲戒処分無効を求め東京地裁に提訴。人事部長と日経産業新聞編集長(いずれも当時)を法廷に引っ張り出し尋問。
2004年2月、起業。現会社の代表取締役に就任。ジャーナリズムを「権力と反対側にいる人たちをクライアントとするコンサルティングビジネス」と考え、コンサルティングのノウハウをジャーナリズムに適用した独立系インターネットメディアMyNewsJapanを創業。将来の日本を担う団塊ジュニア以降の若者世代をターゲット顧客として、ジャーナリズムとコマーシャリズムの両立を目指す。
2004年11月、『これが働きたい会社だ』(幻冬舎)発売。
2005年2月、『これが本当のマスコミだ』(東邦出版)発売。
2005年12月、『企業ミシュラン』(幻冬舎)発売。
2006年12月、有料会員1,000人突破。採算ベースに乗せる。
2007年2月、『若者はなぜ「会社選び」に失敗するのか』(東洋経済新報社)発売。8刷3万部。
2007年11月、『トヨタの闇』(ビジネス社、共著)発売。6刷4万1千部。
2007年12月、『週刊東洋経済』巻頭特集「ニュースじゃわからない!政治のホント超図解」を執筆。
2008年4月、『朝まで生テレビ』出演。テーマは 「激論!“新しい貧困”とニッポン」
2008年10月、『やりがいある仕事を市場原理のなかで実現する!
』(光文社)発売。
2008年12月、 『第2の江原を探せ!』(扶桑社、共著) 発売。
2010年2月、 韓国語版『トヨタの闇』(창해 チャンヘ)発売。
2010年5月、文庫版『トヨタの闇
』(増補版、ちくま文庫)発売。シリーズ6万部発行。
2010年10月、『35歳までに読むキャリア(しごとえらび)の教科書
』(ちくま新書)発売。
2011年3月、『週刊東洋経済』誌上にて『近未来シミュレーション小説「国債バブル崩壊後の社会」 』発表。
2012年2月、『10年後に食える仕事、食えない仕事』(東洋経済新報社)発売。10万部ベストセラーに。
2013年12月、会員2,000人を突破。有料課金モデルの独立系ニュースサイトとして国内初の安定黒字経営に。
2014年12月、患者の立場による医者の口コミサイト『イシャログ』歯医者編をリリース。
2020年2月、『10年後に食える仕事、食えない仕事 AI、ロボット化で変わる職のカタチ』(東洋経済新報社)発売。
2022年11月、『いい会社はどこにある?』(ダイヤモンド社)発売。
雇用労働分野にて政策決定に関与するのが中長期的なキャリアビジョン。
■紙媒体での紹介、及び配信履歴は、ここ に掲載。
→田原総一朗『逆風を追い風に変えた19人の底力』
→佐々木俊尚「企業タブーに挑戦する徹底現場主義のニュースサイト」
→サイゾー「タブーなきニュースサイトから、社会改革に挑む男」
■旅日記は こちら
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【時系列】渡邉正裕(わたなべ・まさひろ)
(株)MyNewsJapan社長/編集長/ジャーナリスト。専門は働き手の立場から考える雇用・労働問題。
1992年慶應義塾大学総合政策学部入学。政治学、政策過程論を専攻。ゼミは米国の政治。
1996年同大学卒業後、日本経済新聞記者。1,000本超の記事を日経各媒体に執筆。
1999年10月~2004年10月、IBMビジネスコンサルティングサービス(現・日本IBM)。コンサルタント及びマネージャーとして大企業ホワイトカラーの生産性向上、間接部門の効率化、人件費最適化等を目的とした15のプロジェクトに参画。
2001年3月、日本経済新聞社とその代表者・鶴田卓彦社長(当時)を被告として懲戒処分無効を求め東京地裁に提訴。人事部長と日経産業新聞編集長(いずれも当時)を法廷に引っ張り出し尋問。
2004年2月、起業。現会社の代表取締役に就任。ジャーナリズムを「権力と反対側にいる人たちをクライアントとするコンサルティングビジネス」と考え、コンサルティングのノウハウをジャーナリズムに適用した独立系インターネットメディアMyNewsJapanを創業。将来の日本を担う団塊ジュニア以降の若者世代をターゲット顧客として、ジャーナリズムとコマーシャリズムの両立を目指す。
2004年11月、『これが働きたい会社だ』(幻冬舎)発売。
2005年2月、『これが本当のマスコミだ』(東邦出版)発売。
2005年12月、『企業ミシュラン』(幻冬舎)発売。
2006年12月、有料会員1,000人突破。採算ベースに乗せる。
2007年2月、『若者はなぜ「会社選び」に失敗するのか』(東洋経済新報社)発売。8刷3万部。
2007年11月、『トヨタの闇』(ビジネス社、共著)発売。6刷4万1千部。
2007年12月、『週刊東洋経済』巻頭特集「ニュースじゃわからない!政治のホント超図解」を執筆。
2008年4月、『朝まで生テレビ』出演。テーマは 「激論!“新しい貧困”とニッポン」
2008年10月、『やりがいある仕事を市場原理のなかで実現する!
2008年12月、 『第2の江原を探せ!』(扶桑社、共著) 発売。
2010年2月、 韓国語版『トヨタの闇』(창해 チャンヘ)発売。
2010年5月、文庫版『トヨタの闇
2010年10月、『35歳までに読むキャリア(しごとえらび)の教科書
2011年3月、『週刊東洋経済』誌上にて『近未来シミュレーション小説「国債バブル崩壊後の社会」 』発表。
2012年2月、『10年後に食える仕事、食えない仕事』(東洋経済新報社)発売。10万部ベストセラーに。
2013年12月、会員2,000人を突破。有料課金モデルの独立系ニュースサイトとして国内初の安定黒字経営に。
2014年12月、患者の立場による医者の口コミサイト『イシャログ』歯医者編をリリース。
2020年2月、『10年後に食える仕事、食えない仕事 AI、ロボット化で変わる職のカタチ』(東洋経済新報社)発売。
2022年11月、『いい会社はどこにある?』(ダイヤモンド社)発売。
雇用労働分野にて政策決定に関与するのが中長期的なキャリアビジョン。
■紙媒体での紹介、及び配信履歴は、ここ に掲載。
→田原総一朗『逆風を追い風に変えた19人の底力』
→佐々木俊尚「企業タブーに挑戦する徹底現場主義のニュースサイト」
→サイゾー「タブーなきニュースサイトから、社会改革に挑む男」
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■企業ミシュランでは常時、取材協力者(インタビュイー)を募集しています!(→連絡フォーム)
渡邉正裕の記事一覧
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セミナーで「答える」力2009/12/07
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キャリアセミナー2009「第2氷河期を生き抜く20代の会社選び&キャリアプラン」本年も『企業ミシュラン』読者などを主な対象として、キャリアセミナーを企画いたしました。昨年は52名のご応募をいただき、参加できないかたも出てすみませんでした。2009/11/24
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ホリエモンだったら逮捕だな2009/11/12
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真に不健康なものを扱う仕事2009/11/02
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長妻さんにやってもらいたいこと2009/10/28
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「くれくれ保護しろ」な人たちの末路が見えてきた2009/10/02
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イスタンブル旅文アップ2009/10/02
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先人の著作を読み、「旅は人生に似ている」と思うトルコは、多くのもの書きが旅しており、その著作が簡単に入手できる。先人の跡を辿るのは、旅の楽しみ方の1つだろう。今回、かつてトルコを旅した沢木耕太郎(当時27歳)、村上春樹(当時39歳)、立花隆(当時42歳)が、何を見て、どう感じ、どう表現したのか、その内容と文体を学び、自分とどう違うのかを考え、よい点を吸収したいと思っていた。2009/10/02
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メデューサの首&オープンカフェ旅も終盤になって、一応、イスタンブル内で世界遺産に指定されている有名な建造物をささっと見ておこう、と思い始めた。この地には、2度と来ないような気もしたからだ。とりあえずスルタン・アフメット地区で訪れていないところをまわる。トプカプ宮殿、イスタンブール考古学博物館、そして地下宮殿。2009/10/02
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任天堂、ソニー、そしてwagamamaホテルは新市街を走る地下鉄「Osmanbey」駅か「4.Levent」駅のいずれかの近くが多かったので、その間にある駅「Sisli」直結の巨大ショッピングセンター「Cevahir」(ジェバーヒル)を、よく訪れた。2005年オープンで、ガイドブックによると欧州最大規模だそうだ。歩いた実感としては、言うほどたいしたことはなかった。2009/10/01
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使えない「歩き方」、開業年さえ分かればいいのにイスタンブルのホテル選びは、少々困った。ハノイのように安くないのだ。ハノイは5つ星ホテルでも日本の中級ビジネスホテルくらい(1万3千円程度)とリーズナブルでオトク感があったのだが、イスタンブルはその5割~8割高といったところで、今回のような3週間滞在となると、ばからしい。私はサラリーマンと違って自分の会社のカネで行くので、無駄遣いをする動機もない。2009/10/01
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ジャーミィは残り、木造家屋とボスフォラスフェリーは消え…新市街にあるホテルを拠点に旧市街を散策し、夜は編集・執筆する日々が定着してきたころ、フェリーでボスフォラス海峡を渡り、アジア側も歩いてみることにした。ボスポラス海峡を渡る夏のフェリーは、なかなかの風物詩である。暖かいから、風が当たらない1階よりも、海峡の爽やかな風をまともに受ける屋上階から席が埋まっていく。2009/10/01
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イスタンブル、その名称力名前の持つ魅力は大きい。「イスタンブル」はいい名称だと思う。時代が少々古いのでリアルタイムには聞いていないが、「飛んでイスタンブール」という曲が大ヒットした。あれは「飛んでチャナッカレ」だったら売れなかったはずだ。トルコ語の発音では「ブール」と伸ばさないが、日本語はなぜか伸ばす。どちらにせよ、響きがよい。2009/09/29
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日本人というカルマイスタンブルの世界遺産といえば、この地区の中心的な建造物である「ブルーモスク」と「アヤソフィア」だ。両者は並んで建っており、見た感じ100メートルほどしか離れていない。ブルー・モスクは世界一美しいモスクとも言われ、イスタンブールの絵はがきに最も多用されている。オスマントルコ時代、17世紀の建設と、歴史はそう古くはない。2009/09/29
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「ほぼ単一民族」の強みを残せイスタンブールにやってきて意外だったのは、テロの警戒度が異様に高いことだった。ショッピングセンターやホテルなど、不特定多数の人が大勢集まる施設の入り口には必ず、空港でおなじみの金属探知機(センサー)が設置され、そこを通らなければ入れない。地下鉄の入り口でも警備会社の人がいて、バックなど不審なものを見つけてはセンサーをあてている。私のバックパックも、いちいちセンサーをあてられて面倒だ。2009/09/29
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読売に勝ったジャーナリストがサイト有料化でさらに取材強化へ読売新聞の法務室長が、自社に批判的な報道をするジャーナリスト・黒薮哲哉氏に対して言いがかりをつけるような訴訟を起こした裁判は、9月16日、東京高裁にてジャーナリスト側が完全勝利した。その黒薮氏がこのほど、より経費と時間をかけて問題追及を本格化するため、個人で運営するサイトを有料化した。読者は有料購読によって、新聞の偽装部数問題の追究を後方支援するとともに、タイムリーに広範な情報を得られるようになる。2009/09/29
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シュリーマン型キャリアモデル10日も滞在しているとイスタンブルも飽きてきたので、チャナッカレという街の近くにあるトロイ遺跡へ行くことにした。イスタンブル→チャナッカレが飛行機で1時間、チャナッカレ→トロイが、バスで1時間。長時間の移動は苦手なのだが、このくらいならノープロブレムだ。2009/09/28
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人間党・街派現地に来る前にガイドブックや写真集をざっと見ていて、一番目にとまったのは、ブルーモスクでもなくカッパドキアでもなく、イスタンブル中心部にある「ヴァレンス水道橋」という、1600年も前にできたという建造物だった。ある人が旅行先を選ぶ場合に、「大自然党」の人と、「人間党」の人に好みが大きく分かれるような気がするが、私は断然、人間党である。大自然が作ったものも確かにグレイトだが、人間が長い歴史のなかで作ってきたモノやその背景を考えるほうが面白いし、自分の日々の生活や今後の人生にも役立つ気がするのだ。2009/09/28
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「アイラン」の圧倒的な存在感覚悟はしていたが、トルコ料理は強烈だった。メインの羊肉がイマイチ好きでないうえ、すべて脂っこすぎ、味が濃すぎ、甘すぎで、最初の数日は頭痛がした。魚と野菜とコメと味噌汁を愛する私の口には、どうも合わない。この国では、コメはほとんど食物としてみなしていないし、魚も滅多に食べようとしない。食材、味付けにおいて、日本食とは対極にある食文化のようだ。2009/09/28
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旅の起伏、濃度は変化していくということ2日目は、複数のサイトで見つけた「ファロスホテル」というところを予約した。場所は、スルタン・アフメット地区という、旧市街の真ん中だ。そこに向かおうとしたところ、住所は分かるのだが、地図上の場所が不明で困った。「歩き方」に載っているホテルではなく、地図から判別することもできない。住所を書いた紙をタクシーの運ちゃんに見せても「わからない」と言う。2009/09/28